2010年03月31日

中国人の家と土地の感覚

ポイント1…中国は社会主義国家のため、土地の所有権は認められていないが使用権を認めるという形でビジネスされている。

ポイント2…中国人の結婚には家が付きもので、持ち家の無い男に嫁ぐ習慣がない。
これは多民族国家であり、かつ、格差の激しい国家でどこまで共通しているのかは知るよしもないが、富裕層や経済圏において常識のようである。

ポイント3…持ち家を買うのに中国人はローンを組まずに一括で買うのが常識のようである。これはつまり、逆から見て、ポイント2との絡みもあり、持ち家を担保に第三者からお金を借りるような習慣も根付いていないと予想される。

 以上、ポイント1から3までを吟味するだけでも、中国での土地バブルが仮に弾けたところで、富裕層や企業が高値で買っただけという見栄と不動産会社周りで損失が多少出たぐらいの話にしかならない。
 これは、資本主義社会で俗に問題とされる、住宅ローンが払えずに首を吊るような感覚が始めから防止された国家・国民体質にあることを意味する。

 そしてここを信用創造の面から見れば、中国政府がバブルを可能な限りバブらせておいてから、一気に住宅価格を崩壊させたとしても、富裕層にしてみれば、手にした物件が値下がりしただけのことであり、担保入れで住めなくなったわけではないし、中堅層にしてみれば買い時に映るだけのことである。企業にしてもそこは変わらないだろう。
 もちろん経営の行き詰まりによる入れ替えは起こるだろうが、全体的な競争数の桁が違うわけだから、入れ替えが生じた程度で収束されると思われる。元の切り上げがなされない限りそれは続く‥。
 つまり、住宅ローンを組む習慣がない+結婚には持ち家が必要と言う内容は、信用創造の課題とされる発行資金の回収(インフレリスク回避)と、その後の再発行のサイクル(デフレリスク回避)が同時に成り立った風習とも言える。
 そもそも、土地の所有権ではなく使用権という建前も、国家の政策次第で何とかして行くという約束のようなものだ。
いうなら、資金再投入によるバブルをなんどでも期待されているような感覚にある。

 ただし中国側がこのようなバブル循環を可能な限り繰り返して行くための条件が2つほど挙がるだろう。
一つは、中国が世界の工場として成り立って行けるだけの通貨のポジションと、技術において世界一を自負しきらない点を維持すること。
もう一つは、国土開発における限界領域である。
 少なくとも、中国という国家経済は、通常の資本主義経済の在り方よりは、3倍以上のタフなバブル循環体質を身につけていたと思われる。

 結果、このような特徴があったがゆえに、リーマンショック後の中国経済はどこの国よりも迅速に回復してしまったという落ちだ。

 それにしても、住宅ローンという習慣を持たずに、3億人もの人達が持ち家やマンションを買えていたとはとてつもなく驚嘆である。
‥といっても細かいところを見れば疑問は尽きないわけであるが、実に奇妙にある。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:00 | Comment(0) | 中国読み | 更新情報をチェックする

2010年03月20日

ドバイとフリーゾーンと世界一は、もっとも奴隷社会に近い構造

 ドバイとフリーゾーンと世界一は、もっとも奴隷社会に近い構造‥などと頭から言い出すとドバイの王様・王家に失礼ですが、言いたいことは言っておきましょう。

 まず是の前提としてドバイ国の民族構成が鍵を握ります。
ドバイ人1割に対して外国人が9割です。
さらにドバイ人の多くが国家公務員に属します。
これはドバイ民族が外国人在住者に支えられている事を意味します。
 ‥とこれ自体に問題はありません。

 次に続くのが、そのドバイ国家を支えている通称フリーゾーンと呼ばれる経済特区の在り方です。なんでも域内の商業を活発にするために、企業に対してあらゆる優遇税制が実施されているそうです。
 私、中身を詳しく知らない癖に批判的な事を申し上げるのも失礼なわけですが、誰がどう見ても、そこから得られた収益の一部もしくは権益がドバイ国家に流れていることに変わりありません。
 外国企業は当然ながら、そこで得られるメリットを最大限に活用しようと、低賃金の外国人出稼ぎ労働者を雇います。
 多くがインドからの出稼ぎとの話です。
彼らの多くはタコ部屋労働を思わせるようなすし詰め状態の部屋に寝泊まりし、そこから得た賃金を家族に仕送りする生活をしています。


 ここまでの構造を単純に見つめてみましょう。
ドバイは首長国ですから、王様の意向が法律そのものの社会です。
 それゆえに外国企業からしてみれば、お役人世界での下請け仕事の如しです。
労働者が問題沙汰を起こせば、出て行けの「はい、さよなら」の心配事で毎日がビクビクです。ですから出稼ぎ労働者を管理するのも外国企業の役割同然になるわけです。

 そこでドバイの王様はミラクルを発掘していました。
何でもかんでも世界一を売りにして金融と流通に強い経済構造を目指そう‥
結果、一流能力のない外国企業は始めからお断りの構造がそこにありました。
フリーゾーンと大手に宣伝しても、結局はフリーではなかったのです。
 そう考えてみたときに、一つのメリットが浮かんできます。
それは一流の企業であれば、人材管理も行き届いていて、外国人労働者がしでかしかねないような治安の悪化を始めから避けることが可能だという中身です。
そこをまた自覚してもらえばもらうほどに、その管理費用は外国企業持ちのような状況になるのです。
 一流の企業であれば、其は言われるまでもありません。
その代わり、規制は一切ありません‥の内訳であればどうでしょう。
リゾートを目玉にしている国家として、観光客同士による治安悪化以外の懸念が発生しないことに繋がって来るわけです。


 一方、出稼ぎ労働者はどうでしょう。
どんなに酷い労働条件でも、ストライキに見られるような労働活動をしようものなら、クビも当然だと思っているはずです。また、そのようにクビを切られても首長国ですから、そこに労働者としての権限など用意されていないと思われます。
 そんなものがあるのなら、まずは企業の方から、もしもの時の救済を願い出る行動が見られたはずです。
ドバイショックの最中そのように動いた企業はあったのでしょうか?
 そして、それよりも彼らにとって重要なのは家族への仕送りです。それ以外の興味などないのも出稼ぎ労働者のゆえんです。


 はい、この構造は明らかに新型の奴隷社会の構造そのものです。
それも世界一の構造だと思います。
なにしろ、外国企業からして他人扱いになってしまっているほどですから‥
 ただし、まだ中国企業からの参加が見られないようです。
それはまだ、中国企業が世界一の技術を所持していないという証明と言えるでしょう。
もしここに世界一の実力を翳して中国企業の参入が始まれば、中国の企業は自国の労働者ごと移ってきますから、それこそ、ドバイ国家の内訳の7割が中国人になっちゃったという状況も考えられと思います。
 そして、中国人ほど中央集権になれてしまっている国民性もありませんから、お役人構造にあればあるほど、労働権において何一つ進展しない世界一になりそうです。


 ちなみにブルジュ・ハリファのタワーの高さは828mです。
8+2+8=18です。フリーメイソンの666を意味する6の3倍の18です。
偶然とは思えません。日本のラジオ放送の周波数もこの類だとか‥
しかもタワーの構造は風を上空に逃がすために螺旋構造をしているのです。
バベルの塔のデザインも螺旋構造です。
砂上の楼閣とはよく言ったものです。イラクで原爆実験でも起こして地盤に影響が出れば、ほどよく世界一の斜塔の完成なのかもしれません。


 ところで皆さん、上空に風を逃がす量をさらに増やすとどうなるかご存じですか?
水上であればハリケーンが発生し、地上であればトルネードが発生します。
つまり、人工的に上空に風を誘発し続けるメカニズムを確立できれば、砂漠を緑化することも可能なのでは?‥とふと思ってしまいました。
 でも雨を降らすには海沿いからの季節風が前提です。それを利用して上空への風を誘発するための施設をうまく配置してやらなければなりません。
何よりも課題は、砂漠にそんな雨が降るようになったときの地盤の変化です。
雨降って地固まるであれば十分でしょうが、雨降って砂漠流れるでは、うまく行かないという懸念も考えられます。

 さて、どうでしょう。
ブルジュ・ハリファの上空を観察して得られたデータで、砂漠を緑化できたとしたら、それこそ世界一の出来事です。
ちなみに、風をより大きくするには、都心震災時の火災旋風現象を応用すれば、効果的だと思います。

 ‥とまぁ、王家に対して批判ばかりで何も参考になることを言わないのも失礼なので申し上げてみました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 09:49 | Comment(0) | その他 | 更新情報をチェックする

2010年03月15日

【歴史観】下克上の下とは忍びのことである

1-9)改稿.2014/10/20...20100315...

> 戦国の世、下克上の下とは忍びのことであった。
> その象徴こそ、誰あろう豊臣秀吉だった‥などと推論してみよう。


 ついでに、秀吉と仲の良かった前田利家もまた忍びである‥そう判断しておこう。
 他にも怪しい人物はいろいろといるだろうが、とりあえず前田利家である。

 加賀百万石の農政制度(十村制:とむらせい)
 越後の薬売りからなる販売権の独占(時代は江戸に下るが‥)
 前田利益(慶次)の歌舞伎振りが大名たちの前で不問である点、徳川家との婚姻関係‥等々
 ‥どれをとっても忍びの習性そのものかと。

 忍びゆえの村統制・結束力、薬の知識、スパイ、両建て懐柔策‥である。

 それはそれで、利家の方が忍びとしての立場が上であり、
 秀吉の方が下だったのではと思わせる所だ。

 なにしろ忍びの本懐は、目立たぬ事、忍びであることを気取られぬ事なのだから‥
 一族勢力が存続して行くためにも、それなりの手を打っていたに違いは無いと思う。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 07:14 | Comment(0) | 歴史 | 更新情報をチェックする