2010年07月19日

【参考】山で魚を育てる時代に思うこと

改稿.2015/08/28...20100719...

 今や、山中で様々な魚の養殖が試みられる時代です。
 うなぎ、ふぐ、えび、ピラルク、チョウザメ‥などなど
 ‥そこで、こんな風に思ったのです。


> 思考1:


 稲作地帯である東・東南アジアでの水耕が減れば減るほど、近辺の魚貝の数に影響を与え、
 そこで起きている食物連鎖の連動から、同時多発的に魚介の数が減少に転じているのでは?


> 仮に上記した思考1が正しいとします。


 ‥ならば、私たちのしていることは、
 養殖という技術開発力を得る試みにおいてこそ、生態への理解を得る上で正解かも知れないが、
 とても無駄の多い選択をしてしまっているのではないのか?‥という疑問に苛まれることになります。

 ‥反対意見として、考えすぎの意見もあるかと思います。

 しかし、山や森が海を養っているとされる理解は曲げられません。
 山や森がそうであるならば、人の行う水耕もまた一役買ってきたと考えるのがここでの姿勢です。
 (‥要因は複合的ですので、絶対的影響としては小さいだろう点も予想されます)


> 思考2


 江戸時代‥地元でタンパク質をまかなうための手段としても水耕は欠かせなかったはずです。
 何はともあれ、水耕と共に、水性生物が寄って来るのです。これを活かさないという手はありません。
 ‥ドジョウだったり、タニシだったり、そういう生き物を捕って頂くのです。
 ‥意図的にも、その手の生きものも共に育つような工夫をしていたと考えるべきかと思います。
 (逆を言えば、他にタンパク質の確保ができたなら、陸稲もありということです)

 また

 それらの生き物を食べに鳥類が寄って来ます。
 鳥類の糞が田畑をはじめとして、山や川に巻かれ、雨に流され、海にまで届き、
 ‥バランスに適った豊富なプランクトンが発生し、海の生態系もより豊かだったと思います。

 人口の面で言えば、今と比べれば漁獲量も消費規模も小さかったでしょう。
 技術の面でも、艪漕ぎの船で行ける距離には限りがありました。
 魚群探知機などなかったわけですから、資源回復する力にも差はあったと思います。

 しかしどちらにせよ、
 生態循環として、アジアの水耕が世界に豊かな魚礁を提供してきたとする仮説に
 否定的な影響を与えません。


> 尤もここでの意見は


 魚貝養殖に対しての否定的な見解ではなく、
 それの目的と期待への方向性が、非効率よりに傾いてきているのではないのかとの疑問です。

 ハッキリ言ってしまえば

 土地利用としての在り方が、人類の技術よりにありすぎても人類は生きていけなくなるのだと
 ‥まぁそういう解釈をして頂いて結構です。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:22 | Comment(0) | 考察 | 更新情報をチェックする

2010年07月16日

アロエメモ

へんな夢を見ました。
このメモはその記録です。参考にどうぞ。

自分がアロエを扱う日本の会社を訪れている場面から始まって‥
会社案内のカタログを見てはいるのですが、なんだか頭に入ってこない‥
社員の給与をいきなり聞いている場面で‥初任給で50万とかなんとか‥
?・?・?・?・?
「アロエってそんなに儲かるの?」
「アロエでそんなに儲かるの?」
「アロエってそんなに潜在能力を秘めるのか???」
なんか猛烈にカタログを読み返すのですが、よくわからない‥
感じ取ったのは、その会社が化学処理する工程を持っている‥ということです。
化学に疎い俺には無理じゃん‥なんでここにいるのさ‥
なんか採用面接してるみたいだし‥へんな夢‥
この夢見では、それが夢であるという認識だけはハッキリしていましたね。

そこで起きてからググってみましたが、そこまで儲かりそうなアロエの話は出てきません。
そりゃ、そうでしょうね。
アロエが南アフリカ原産‥へぇー、だから?

砂漠で育つ植物(草)で紙でも漉ければ、砂漠緑化も適ってそりゃ一石二鳥かもね。
とりあえず俺は、この夢が現地点で正夢でない方に1票。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 05:15 | Comment(0) | 目の付け所をナス | 更新情報をチェックする

2010年07月14日

最近思うのだが‥

 ここ数ヶ月の間、闇暴露情報筋にネタが上がって来ていないように思う‥
個人的にはあれこれ収集するまでの趣味はないのでよくわからないのだが、規制でも引いているのだろうか?

仮に規制が設けられたのであれば、考えられる要素は3通り
1)これまでの流れはすべて双方共に相討ちも覚悟の上での誘導だった‥
2)情報を流していた筋にトラブルが発生している‥
3)情報を流してきた大元で派閥が形成されつつある‥

1の場合であれば、誘導の失敗が想像できるが、闇自体が崩壊したわけではないので、なんとも言えない。反対に誘導が成功しているのであれば、ドカンと一発何かが起こる嵐の前の前触れとも言えそうだ。

2の場合であれば、情報を流していた大元の人物が死亡したとも、監禁させられているなどの状況が想定されそうだが、その情報網のすべてがやられたとは言い難いし、今さら腰が引けているとも思えない。逆に想像できることは、その情報網の筋は、多様には存在していなかったという点が想定されて来る。そしてここの要素は動かない。

3の場合であれば、「オルタナティブ通信」の「BenjaminFulford」に対する態度が変わった時点に遡って、暴露筋に派閥が発生していたという裏付けとも想像できるが、現時点において双方共に新情報を得ていない・流れて来ないタイミングが同じにある点は奇妙である。


これ以上の推理を進める決定的な材料は見あたらないので、不要な事は言わないに限るが、ドカンと一発何かが起きるの「何か」が起こらず、年が暮れるようなら、闇の勢力は完全に沈黙していると考えてもよさそうだ。
そして、闇の弱みを握る討伐勢力の中に方針がないことの現れが今の状況だったという事になるだろう。
それを逆から言えば、ミイラ取りがミイラに落ちる可能性が0ではないという解釈ともなる。

そこで、現時点における発行権の総元締めが討伐勢力にすり替わっただけの、馴れ合い状態にしかない現れとしての現象的なサインが二つほど挙げられる。
それは、日本のねじれ国会再びと、天の助けもあって優勝しちゃったスペインサッカーチームの功績により、スペイン経済崩壊の屁理屈も成り立たなくなっちゃったである。

曖昧な言い方だが、そうでなければ、わざわざ消費税増税を選挙前に持ち出す必要も無かったわけだし、ワールドサッカーを間に入れる必要も無いと思う。

だからとまでは言えないが‥裏からの経済操作をする機能が停止している確率がもっとも高いと思われる。
その中核にいるのが白龍会だとすると、名前を黒から白に変えた意図もうなずけるし、勢力争いがそこにもあって、「オルタナティブ通信」の「BenjaminFulford」に対する態度が変わった流れもうなずけるのかも知れない。

「では、白龍会とは何か?」そこが今後の焦点になるのは確実だろう。

そして仮にベンジャミンが白龍会の主要メンバーに含まれるとすれば、ブログからの自らの発言も控えざるを得ない。
なぜなら、そんな立場で内部方針を逐一明かしてしまえば、インサイダー取引と同様の目で仲間から視線を送られることになるからだ。
逆から言えば、裏情報の発信源を封じられたとも言える。

まぁ参考に‥
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:07 | Comment(0) | 中国読み | 更新情報をチェックする

2010年07月11日

電子書籍が定着すると、トイレットペーパーが値上がりする

1-3)1
 今やトイレットペーパーと古紙の関係は説明するまでもありません。
その古紙の大量発生が失われれば、トイレットペーパーの値上がりは想像に難くないと思います。
 その時、その代わりとなる原材料を直接伐採に求めるばかりにあれば、電子書籍のお名目でもある森林資源への気遣いなど無いに等しい形になってしまうのであります。

 すると、世界でもっともトイレットペーパーの消費大国である我々日本人は、トイレットペーパーの質や改善に対して新たな理解をし合わなければならないのです。

 つまり、そこの所の理解が得られていない限り、電子書籍出版など、日本はおろか世界においてすら定着するわけがありません。
 本や雑誌は普段無理して買わずとも、生活が可能です。電子書籍なら経費削減でお安くなってお得です‥にうなずき駆け寄った挙げ句、その片方において、トイレットペーパーが値上がりしてしまい、結局はさらに生活が苦しくなったのではお話にならないのです。
 電子書籍なんてわけのわからん道具よりも優先されるべきは、トイレットペーパーなのです。ここはどう転んだとしても譲れるわけがありません。

 ‥とまぁ、それが社会の必要順序だと思います。みなさん無意識の中ではそんな危機感を感じておられるのです。だからこそ、どこか電子書籍に対して「?」なのです。そう思います。



1-3)2
 そこで、パルプの原料にケナフがあげられます。一言で言ってしまえば、ケナフとは草に属した植物です。木とは違い草ですから成長も早く生産性が高いわけです。その代わり、繊維が荒くゴツゴツした感じの紙質であることで知られています。
 そうです。ケナフ100%からしっとり柔らかなティッシュの開発が求められるのです。
これは電子書籍が流行る上では欠かせない必要条件なのです。

 しかし、仮にそのような技術が確立し、生産性をさらに高めようと目論めば、海外での生産が検討されるでしょう。
せっかくの技術を開発しても、工場も耕作地も海外では何の意味もございません。儲かって豊かになるのは、それこそ、その技術を開発した企業と、草を生産しているどこぞの土地や地域だけとなってしまうのです。
 しかも、古紙材料の場合とは異なり、そんな状況に陥ってしまえば、日本の文化として根付く所はなんにもございません。それが出版事業をダシにした、さらなる利益主義経済の無能性の現れなのです。ここの辻褄はかなり問題視されるべき事柄です。

 すると、こんなアイデアも思い浮かぶのです。
ケナフに限らず、草として簡単に育てられる原材料にあれば、家庭菜園の代わりに育てられた草を回収し、その代わりとしてティッシュやトイレットペーパーとの交換が成り立てば、食育としての農業を教えるばかりではなく、そのような角度からの農業への誘いも可能だということですね。
そう言う仕組みともなれば、植木鉢で簡単に育てられるぐらいが理想です。
 企業としても、国内で儲けようとせずとも、自分たちで作付けした分で外国を相手に商売すれば良いわけです。家庭向けにかかわらず、様々な場所においてもそれは言えるのです。そして、電子書籍が世界的に定着した場合を考えてみれば、古紙不足の事情はどこも同じに陥るわけですからなおさらにそうするべきだと思います。
 どこの国も、自分たちの文化の足下から切り崩されたいとは思わないのですから。

「そんな準備をしている企業が今、世界中に一つでもあるのでしょか?」
個人的には全く存じ上げませんけどね。
サクッとググりましたら、こんなのありました。

 そして、そこから発生するさらなる可能性として、新聞紙に変わりうる材質の開発が低価格で成り立つだろうという予想が挙げられます。新聞紙の活用範囲は多いわけですから、その活用を活かした市場の開拓が望める点も有望だと思います。



1-3)3
 トイレでさえ最先端を走る日本の技術。
その昔、自分たちのうんこの後始末さえまともにあれていなかった西洋の排泄事情。
その違いを汲み取ってみても、「草からしっとり柔らかなトイレットペーパーを作り出せるのは日本人でしかあり得なーーい!!」

 ‥いえ、別にその辺どうでもいいんすけどね。
熱く語ってみたらおもしろそうだな‥なんて、そう思っただけです。
「じゃ、お前がやってみろ!」というツッコミはされないように希望します。

 後付でなんですが、茅から紙が得られるのもそれはそれで有効な技術だと思います。
茅葺き屋根の保存とかなんとかと、栽培コストが全体で安くなるなら、いろんな意味で一石二鳥かなと思います。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:11 | Comment(0) | 目の付け所をナス | 更新情報をチェックする