2011年10月21日

【詩】二月の豆撒き忘れるでねえぞ

改稿.2015/08/30...2011/10/21...

鬼は外、福は内
心の外は鬼ばかり、心の内は福ばかり

鬼は外、福は内
心の外は鬼ばかり、心の内は福ばかり

心の外とはなんだろな
心の内とはなんだろな

人世は外、宇宙は内
人世は外、宇宙は内

人の目ん玉で見上げている世界こそ実は内側さ
宇宙から見て人世こそ実は外側さ

そら、見てごらん

人はいつでも宇宙を見ては福を探しとろう
宇宙はひたすら人を待つばかり

人世は外、宇宙は内
人世は外、宇宙は内

さぁさぁ、そんなに尖っとらんとこっちにおいで

鬼は外、福は内
鬼は外、福は内

まずは手を洗うだぞ
まずは足を洗うだぞ
うがいもするんだぞ

そうやって身も心もきちんとしとらんと内には入れられねんだな
それじゃあんまりだから、芽が出るようにと豆撒きだ
鬼に向かって豆撒きだ
人世に向かって豆撒きだ

もともと福が大きくなるように
もともと宇宙が大きくなるように

それが内側の願いってわけさ
人の願いなんぞ二の次なのさ

一の月は内の祝い
二の月は外の祝い
二月の豆撒き忘れるでねえぞ

鬼は外、福は内
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:58 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

【参考】士農工商は、平民を印象づけるための明治政府の用いた対比用語だった

1-3)改稿.2015/08/19...20111021...

> 江戸当時、士農工商の序列がどのように認知されていたかはもはや謎である


 政権批判の類いにおいても、それが
 将軍に向けられたものなのか、地元の殿様に向けられたものなのか‥
 日常の心情においても、一極集中に無かったのだから、まとまりなどまず無かった‥
 (一極集中に無かった点に、ここでの論の切り口がある)


 ‥そもそもにしてゴミ一つ落ちていない社会性と、ゴミ落ち放題の社会性との民度を比べようがない。
 江戸時代に情報に娯楽が少なかったからとは言え、この違いをそのままに比べる事はできない。
 庶民の間には、公家と士と坊主と民衆ぐらいの違いにしか認知されていなかったように思われる。

 その理由として、日本昔話のような民話が挙げられよう。

 日本には数々の民話を言い伝える文化がある。
 それほどに、身分差の誇張があったなら、其を基点とした悪政があったなら、
 もっと多くの形で伝承され、表面化していたとしてもおかしくない。

 そこで、江戸時代の身分制度が如何様なものであったかを改めて考察してみた。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:00 | Comment(0) | 歴史 | 更新情報をチェックする