2012年02月02日

【歴史認識】露寇事件からの鎖国表現

改稿.2015/09/03...20120202...

> 最近の研究によれば‥「鎖国」は、露寇事件の時に初めて用いられた方便用語だったとの次第
> 参考:「さかのぼり日本史|鎖国が守った繁栄」


 当時の幕府はまだ外国の脅威をあまり理解していませんでした。

 露西亜の戦艦が大砲を引っさげて出島に現れた時の話です。
 向こうは手順を踏んで、わざわざ長崎にまで回って、通商交渉に現れたわけですよ。

 ‥これが呆れかえっちゃう話で
 なんと半年も待たせて、ようやく考えた末の文言が、なんと方便としての「鎖国」にありました。
 うちでは鎖国をしているので、これ以上の外商交渉は致しかねるの意を突き付けたというのです。

 あちらさんとしては、
 そんな屁理屈の返答を聞くために半年もの間、手持ち無沙汰に待っていたわけではありません。
 それでなくても、出島では他国の船が出入りしているのです。
 ‥是にキレた船長以下乗組員が暴走して、蝦夷地で大暴れしたというのが、それの下りだそうです。


> 学校で習ったのとは随分と様相が違います。


 ‥少し不自然だとは思っていたのですが、
 その頃に痛い思いをした記憶があったから、
 黒船の時に、幕府が大騒ぎをしたんだという筋書きになってきます。(よーく理解できました)


> もし、露寇事件がなかったなら


 「ペリー艦隊に江戸城陥落されり」‥なんて過激な展開も有り得たと言う事ですね。
 ‥日本としては、露寇事件は救いに神の事件だったことになります。

 で、一方の

 露寇事件をやらかしてしまった露西亜側の船長は、ロシア皇帝から一任されずだった事情もあり、
 外国と騒動を起こしていることがばれるとクビになり、事件のその後も自然消滅になったとの話です。
 ‥でもその露西亜の態度は、どう考えたって上から目線の知らぬ振りになります。
 ‥日本からの応答が何も無いのなら、それはそれで下に見られっぱなしにもなってきます。

 当時の日本の武士たちは、外交感覚という次第について深く考える所がなかったと言う事です。
 相手からの訪問が無ければ、居ないも同然で過ごしてしまっていたという事です。
 ‥通常の生活感覚ならそれも通るのでしょうが、自治経営にあらばそれでは通らないということです。


> そんな話題を


 どこまで当時の士たちが情報を共有していたかは定かになっていませんが
 蝦夷地に派遣されたのが東北の藩士たちばかりだった為、
 それと縁のあった藩士の筋から情報がそれなりに全国に伝わったようには思われます。
 ‥でも、黒船の時に、薩長の藩士たちがその話を前提に開国論を唱えた様子は伺えません。
 ‥知らなかったと考えてよさそうです。文言にしたって鎖国ではなく攘夷だったのですから。


 戦後日本の政府が

 当時の様子を教えるのに、鎖国を前提に教育したのであれば
 時の明治政府の中に於いてすら、見解の一致なきままに、
 いつからともなしに聞き覚えたその鎖国なる文言を、攘夷とはまた違った意味を込めて
 さも当たり前のように、使用し始めた‥と考えてよろしいのかと思われます。


 早い話が当時の幕府に、閉鎖的な交易だったとする概念もまた無かったのでしょう。
 そもそもにして幕府は、黄金の流出に歯止めが掛からずに一杯一杯にあったのです。

 「その状態を以て閉鎖的だなどと申されましても、死ねとおっしゃるおつもりか‥」チャンチャン。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:38 | Comment(0) | 歴史 | 更新情報をチェックする

金慮の臓腑を考える1

1-5)0
 中央集権の悪しき部分を改めるために地域主権が問われ、道州制が問われる所になった。しかし、いくつかに束ねて道州を論じてみた所で、中央集権の縮小版の如く、各地域に代官を送り込むような発想ではおぼつかないのである。

> 道州制の意味する所は、技術躍進の結果のインフラ・ネットワークの重視にある。

 近年に求められるインフラ・ネットワークの整備と費用効率のスリム化とがその主だった目的とされるのだから、地域地域の主体性までを道州主導にしてしまうのでは疑問が残るのである。追記
posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:02 | Comment(0) | 金慮 | 更新情報をチェックする