改稿.2015/09/16...20121218...
武士道、それは家臣の心得。
武士道、それは主君の心得。
されど、領民なくば成り立たぬもまた武士道なり。
主君が領民に礼を為せば、領民もまた領主に礼を為すだろう。
巡り巡って、家臣もまた地場にかしずくことになる。
> ところが、日の本の東西においてその色彩は甚だに異なった
日の本の西の武士道は、家臣の心得の色彩に厚し。
日の本の東の武士道は、主君の心得の色彩に厚し。
なぜそのような違いになったか‥其は、歴史の痕跡を遡って見るべし。
その違いは明らかなり。
西の平家は敗れた。西の豊臣は敗れた。
そのどちらもは公家文化を引きずり、領民への配慮に乏しき
民を下に扱いし偏った栄華にその痕跡が見られた。「公家とは何だったのか?」
其は己に跳ね返り、お家を死に所とし、主君の恩義を死に所とし、その有様として敗れ敗れてた。
されど、其もまた武士の本懐にあった。
ゆえに、尚更にお家のプライドが優先されたと言えるだろう。
> 命など惜しくはない。命を賭するが武士道なのだと‥
東の源氏は勝(まさ)った。東の徳川は勝(まさ)った。
そのどちらも武士の棟梁を名乗り、領民からの支持を得るところに土台を見た。
だから、領民を慮る痕跡が見られた。
其は主君の足下の大事を心得、主君の意図は、領民を大事にする方向に向かい長きを育んだ。
だから、民を拠り所とするを優先した。人としての生き様に武士道を見た。
> 人は城、人は石垣。民との繋がりにこそ、武士道ありと‥
西は急進勢力、東は保守勢力。
明治維新以降、日本の地に根ざして来たのは、西の武士道だった。(是は大雑把な見方だ)
西のかしずく心は、立身出生を好み求め、
東のかしずく心は、全体の平和を望み心得とした。(是は大雑把な見方だ)
西と東では土壌が違うのだから、同じ武士道の言葉を使おうとも
その意味する所は自ずと違ってきたように思う。
‥日本にある独特の違和感の一つとして、日本人ならそこの違いをお互いに感じているはずだ。
特にそれは、日の本の繁栄のあるべき方向性を問うに現れよう。