2013年02月10日

【刮目】ブルース・リーの名言に挑戦!!

改稿.2015/09/17...20130210...

 曾て、ブルース・リーは言った。


> “Don't think.FEEL!!! It is like a finger pointing away to the moon.”
> 「考えるな、感じるんだ!!‥それは月を指さすようなものだ。」


 ‥ならば、著生も続くとしよう。

 喰らい尽くすは、即ち、何も与えずに等しき行為である。ゆえに、
 喰らい尽さんと欲した行為は、
 即ち、すべてが手に入るように見えて、実は何も身に付かない結果を自らにもたらす。


> 欲張るな、空(から)になれ!
> 学び切ろうとするな、信ずるところをやり通せ!
> 近づこうとするな、向こうからやって来る


 そうして、すべては丸く育まれん。
 ‥ただし、用の無き所に風は吹かん。

 「お前は風か?」

 腹一杯になっちまった風ほど役に立たぬモノはない。
 我々はそれを「無」と呼ぶ。

 為す必要がないから風は吹かん。

 それが自然にあると思えぬのなら、お前がそれを勝手に成さんとしているだけのこと。
 用の無きところに風は吹かん。努力努力と吹き続ける必要なんぞそもそもにして在らず。
 風が必要だと思うなら、まずは止むるべき時分をわきまえよ。
 ならば、吹くべき時分も同時に定まろう。然りして無為自然なり。


> 始めようとするな、まずは終えよ


 一つを終えておらぬのに、次は始められぬ。
 一つとして終えておらぬ者に、次など努まるわけがない。

 さすれば、無為自然である。

 終わりを知らぬ者に始まりは見つけられぬ。
 始まりを見つけた時、同時に終わりを理解した者は幸いである。
 道とは、始まりと終わりをただ貫いているだけなのこと。
 あとはその道を進めば良し。されど進む必要もまた無し。

 道はどこにでもある。道は様々だ。そして、私たちは一つの道しか選べない。

 同時にいくつもの道を行こうとすれば、必ずや迷うだろう。其は風に非ず嵐なり。
 ただでさえ、一つの物事をきちんとした形で終えられぬ者らに、
 「どうして、人の世の身勝手な資本の嵐をやり遂げられると言うのだろうか?」

 嵐が鎮まる時はそれこそ死なり。死ぬるのみ。
 死ぬに道なし。殺(あや)めるなかれ生かせよ。生かして渡りきるが道なり。


> 武士道の道とは、主君の道なり


 主君が家臣に死ぬるように事を強いれば、自らを殺める危機を招くだけの事。
 又、他を生かして自らを失っても良いなどと何の意味があろう‥
 「どこに挑戦があろうか?」
 己の信じた道を突き進み、そこに死が訪れんのならそれこそが本物だ。

 生き死にの境を踏んでそこにあったなら尚更である。(其は必ずしも勝つことに非ず)

 生き死にの境を踏んでおる者、即ち、始まりと終わりの筋道を踏んでおる者、
 即ち無為自然として道を行く者なり。

 風なんぞ無理に自ら吹かせんでもよろし。乗れば良きこと。乗る必要もまた無し。

 「降り方を知らぬのに、乗る馬鹿とは何ぞ?」
 「風を乗り切る力もないのに、煽られるままに乗ってどうする?」
 ‥降りられる場所とて、そうそういくつもあるわけでもあるまい。

 乗る場所もまた、そうそうにあるわけではない、故に‥人は迷いだす。
 ‥ならば姑息に為らぬように自らを磨かねば為るまい。


 道はいくつもある。風なんぞいくらでも吹こう。
 されど、行ける道は一つなり。そこに目が向かずに疎かな者に風なんぞ吹くわけがない。


> 「風を求めるな、道の先を見よ!!‥それは路端に厠を欲するようなものだ。」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 06:39 | Comment(0) | 刮目 | 更新情報をチェックする