1-5)記稿.2014/08/06
人間として意識を切り替えようとするならまず、
贅とは何かを自分の中で再確認しておく必要がある。
上を目指して横に並ぶことが贅であると思っているだけで居ると、
どうしたって、競争原理から逃れることはない。
上を目指して並ぶことを、贅ではなく本能だとしても、
切り替える意識が発生しないのなら、ロボットも同然だ。
> だからといって、
自分の価値観に沿うだけを贅と認識するには無理がある。
独りよがりや自己満足だけでは、贅としての説得力に欠くからだ。
‥贅にしたって、ある程度の理解を得られなければ、贅とは言えない。
利休の茶道にしてもそうだ。
作法や目利きにおける常識を壊しても良いとしたって、
理解が得られなければ、誰もそのもてなしを味わいようがない。
そんなのは、決して、贅だ雅だ風流だと表現されることはない。
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