2014年09月15日

【アイデア】夢の中で見た傘

1-4)記稿.2014/09/15
 これは、2010年に見た夢の内容である。
 なぜ今頃描いているのかは、ほとんど気まぐれだ。
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2014年09月14日

【マンガ】"ピアノの森"の行き詰まりについて

改稿.2015/09/23...20140914...

 通常、マンガやアニメの表現は客観表現である。
 その結果、脇役が主人公や物語状況について語るという表現方法が確立している。
 ‥ピアノの森は、まさにそこで行き詰まったと言えるだろう。


> 聞こえない音を誰に解説させて、どう読者を納得させるのか‥


 だから、そこに至るまでの付き合いの延長上に居たキャラクターらに、
 どんなに一ノ瀬海のピアノを紙面上で賞賛させようとも、

 最終的に審査員の人間性を描かないのなら、勝敗なんか付けられたもんじゃない。

 しかも賞の対象は、ショパン・コンクールという大舞台かつ外国文化の色濃い主題だ。
 どんなに日本の読者がおおらかでも、そんな雲の上の舞台の話にリアリティーなんかない。


> そもそもにして、ピアノ=ショパンではない。
> ピアノ=海を描くのに、ショパン・コンクールでの優勝はゴールではない。


 読者からして、ショパン・コンクールのことなんかよくわかってない訳で、
 サクッと一度は敗れるなりして、
 素直に自分の音楽に対する思いを振り返っていく時間をカイに与えるべきだったろう。
 (途中までしか目を通してませんのであしからず。)

 その時、再びショパン・コンクールに挑戦させるにしても、安直すぎては面白くない。
 描く方もしんどい。読む方もしんどい。
 そもそものカイの育ちが育ちなんだし、負けて自分の音楽を探し始める展開の方が自然だったと思う。
 ‥日常の音楽家の視点からしても、そっちの方がほっとするはずだ。
 (その上で、因縁に誘われるように再挑戦の展開なら、読者も音楽家の目からも納得だ)


> 主人公のなりや状況を、客観的に脇役の口を通して解説させる手法は、


 読者にはわかりやすく聞こえはしても、
 舞台を変えるたびに、脇役を作って、立たせてを繰り返さなければならない。

 だから、事前にそのことを頭に入れて、物語を作る必要がある。

 ところが、読者が見たいのは、そんな解説役になったキャラの人生回想や持論ではない。
 ‥そういった点で、実に面倒くさいし、目障りになりがちな手法だ。


> そういう意味で言うなら、


 キャラが立つ展開とは、主人公が出会った人物や物語の展開から受ける影響であって、
 主人公自身に、その出会いや展開から、興味の方向性や心の変化を感じさせることが大事だ。
 主人公が「奴はどんな奴?」て思うなら、問答無用で、脇役の人生回想を描くのが当然の流れになる。

 そっちの方が、面倒にならない。

 人生考えたって、そんなもんだろう。
 自分一人で自己解決できたり、勝手に方向転換しているような奴は、
 却ってわからない奴というだけの話だ。
 ‥それをわざわざ「俺はお前のことを理解しているぞ」‥なんて解説はくどいだけである。

 で、その手の解説手法に慣れた作り方をしていると、

 いつの間にか、主人公が疎かになっちゃってたりする。
 (成長するヒーローを描きたいのに、ただの被害者妄想を邁進中だったりとか)
 脇役が主人公に影響を与えるにしたって、主人公が成長しないなら、
 脇役の構成までが堂々巡りになりかねない。

 しかし、一方で

 中には心の成長なんか見せずに、そのままが完成形で突っ走ってるキャラも居るわけだが、
 ‥まぁそれはそれだろうね。

 一ノ瀬海は、多少そんな感じの奴だから、負けたって持ち直すだろう。
 逆に一発で優勝させてしまう方が、つまらないのかなと‥

 レッスン漬けで、何かを忘れていたとするような後付けな発見を、作者が用意できていれば、
 サクッとショパン・コンクールで負けたってなんら不思議はない。
 ‥それが、そもそものテーマである「ピアノ=海」を描くってことの次第だったように思われる。


> 否、"ピアノの森"なるタイトルからイメージされて来た読者側の期待感だったろう。


 雲の上の調べよりも身近な調べ。身近な調べからの洗練と到達。
 それが、”ピアノの森”のタイトルからイメージされる音楽観だと思う。

 「それともなんだ‥作者のショパン観がピアノの森とでも言いたいのか?」
 ‥そんなのは読者的にどうでも好いことさ。読みたいのは作者の持論ではないのだから。
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【食】ユスリカのハンバーグ

記稿.2014/09/14

 先月だったが忘れたが、何かのTV番組の中で、ユスリカのハンバーグを紹介していた。
 アフリカでユスリカの大発生する地域では、
 捕虫網を使ってその大量に飛んでくるユスリカを掬って、ハンバーグにして食べるのだという。

 その話を聞いて、長年の謎が一つ解けた。

 俺は、中学の頃、雑誌ムーに寺田寅彦曰くうんぬんな引っ張りで、
 グリム童話を読むと右脳が鍛えられるという話に「へぇ」と思いつつ、
 単行本サイズの全集を買ってきて、3べん程繰り返して読んだことがある。

 その中に、蚊饅頭なる奇怪な食い物の登場する話が数編ほどあり、
 ‥いくら童話とは言え、蚊饅頭はありえないとずっと考えていた。


> やっぱり食えるんだ!


 とはいえ、堅いパンと酸っぱいビール、柔らかいパンとワインの童話的文化の裏側で、
 裏メニューとしての蚊饅頭の文化が西洋に実際にあったかどうかは定かではない。
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2014年09月13日

【マンガ】ガイバー・ユニットはどうして地上に残されていたのか?

改稿.2015/09/23...20140913...

> "強殖装甲ガイバー"の物語の最大の謎は、


 「ガイバー・ユニットがどうして地上に残されていたのか?」に尽きる。

 物語の骨格になっている降臨者の実験。

 ‥降臨者たちが作りだした人間のプロトタイプにガイバー・ユニットを殖装されてみたところ
 自分たち降臨者側の存在を揺るがしかねない性能の発露に大あわてで計画を変更。
 それは、大げさにも地球に巨大隕石を衝突させて人間を滅ぼすというやり方だった。

 地球から降臨者側が立ち去る段階で、

 アルカンフェルに、ユニット・リムーバーを使わせて殖装者からガイバーユニットを解除させている。
 その時、「どうして、アルカンフェルと共にガイバーユニットを残していくだろうか?」
 ‥アルカンフェルに対しても、人間のプロトタイプ同様に危惧を抱いたはずだ。
 (読み返してみて、そこの所が無性に気になった)


> 作者の高屋良樹がどう考えているのかは知らないが、


 十五巻を境に、話のテンポがだいぶ違うことから、
 「ガイバー・ユニットがどうして地上に残されていたのか?」という視点は、
 今のところテーマとして扱われていないものと思われる。

 そもそも

 ガイバー・ユニットが、遺跡の中に
 ユニット・リムーバーとセットで残されていたという痕跡が何を意味するかである。

 その遺跡にしても、唯一生きている状態だった。
 (生きているがゆえに、ゾアロードでさえ遺跡の内部には簡単には入れない構造)
 ‥ここに注目すれば、話の展開はもっとテンポ良く進められたはずである。


> 物語中でも、ガイバー・ユニットの発見は、
> アルカンフェルが休眠期で寝入っている時であった。


 ‥そのようなことから、細かい諸事情が先行し
 かような遺跡がなぜあったのかに、アルカンフェル自身が疑問を抱くところがなかった。

 作者もまた、ゾアロードの頂点に立つ神々しきイメージを描くことを優先し
 アルカンフェルの戦闘能力の見せ方に始終しただけに留まった。


> その昔


 自らの休眠期の時に、再び降臨者側が地上に舞い降りた痕跡としての謎かも知れないし、
 そうでなく、始めから残されていたのなら、それこそ謎だ。

 ‥なぜなら、見捨てられたはずの自分たちが、
 その頂点として誕生したアルカンフェル自らが、
 ガイバー・ユニットを殖装することを望まれていると考えたっておかしくない。
 (まぁ、実験の対象としてだろうけどね)

 そうではなく、ただ単に置き忘れだったかも知れない。

 もしくは、長き年月の経過の果てに、降臨者側の社会や権勢が様変わりしており、
 地球に残してきた人間への関心が180度変針したという筋書きだって提案できることになる。
 (それにしても、あれだけの隕石落下で人間が生き残ったと言うのも変な話だ)
 (新しき人類がそこに登場していたことにアルカンフェルが気付いていなかったとか‥)


> そもそも


 クロノスがガイバー側を掃討しても、
 ガイバー側がクロノスを排除しても、降臨者なる存在が示された段階で、
 "強殖装甲ガイバー"に、物語としての終わりを見いだせるかどうかには無理がある。

 ならば、物語の焦点を
 「ガイバー・ユニットはどうして地上に残されていたのか?」に絞る必要がある。

 それは私たちの日常にも言えることだ。
 「どうしてオーバー・テクノロジーなるものが地上に存在するのか?」

 そこを考えずして、双方の勢力をあれこれ弄ってみても、玩具を弄る程度の面白みにしかあれない。

 それは、競争し合うことを強いるだけの社会構造に、面白みのなさを抱くのと同じだ。
 ‥少年や青年の年齢だった者たちが、おっさんの年齢になって、読み返すとそこが尚更になる。
 ‥降臨者側の意図を示さない限り、物語の展開に納得など得られないのだ。
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2014年09月12日

【刮目】人権VS.指揮権

1-4)記稿.2014/09/12
 私たちは、人権について教えられてはいるが、
 指揮権についての帝王学的な教育を受けることはほとんどない。

 リーダーに成るための教育なんて次第を最近では口にするが、
 それにしたって、人権の延長線上にある指揮権について深く考えてはいないだろう。

 リーダーに成る論にあるのは、先輩的なアドバスだし、
 そもそもにしてそこには、お互い様の範囲だとの思いがある。


> ところが、


 これが、大手企業ぐらいの規模に成ると、
 途端に先輩としてのアドバイスなどと言う生ぬるい代物では無くなるのだ。

 そこに在るのは明らかに、帝王学に基づいた指揮権である。
 命令権と言っても良い。

 誰しもは、そんなブラックな臭いのするリーダーに上り詰めたいのではない。
 自分たちの活性化に必要だからリーダーに挑戦してみよう程度だろう。
 ‥しかし、その先にあるのは明らかに、指揮権・命令権・帝王学なのだ。
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2014年09月11日

【一般】マウス実験は有用か?

1-2)記稿.2014/09/11
 なんでも、現在医療界では、マウス実験の有用性について揺れているとのことだ。
 早い話が、マウスで効果を見ても、ヒトだとまったく駄目という事例もあるとのこと。


> ようするに、命の無駄を示唆しての問答である。


 で、ヒトの遺伝子を組み込んだマウスなら実証性が高いだろうとかなんとかと‥
 そういう次第になっているそうだ。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:24 | Comment(0) | 日記/2014 | 更新情報をチェックする

【一般】シカ駆除に硝酸塩入りの餌

1-1)記稿.2014/09/11
 詳しくはこちらを参照→9/7日の静岡新聞の記事にて発見

 大ざっぱに言うと、↓の記事の写真の如し。
20140907shizuokasinbun.jpg

 山林の間間に、写真のような仕込み餌を入れたカプセルボックスを敷いて、
 後は、シカさんがくたばってくれるのを待つという作戦だ。


> 致死性の程に過激な点はなさそうだが、気になる点がいくつかある。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:21 | Comment(0) | 日記/2014 | 更新情報をチェックする

【一般】リサイクル料金に消費税を乗せるのは二重課税だ!!

記稿.2014/09/11
 そもそもリサイクル料金自体が税金のようなものだ。
 なのに、それを消費として扱っている現状はあまりにもふざけている。


> どうして皆さん、素直に見逃してるんですか?


 そもそものリサイクル料金の負担にしたって、
 中国に売るのが儲かるという一部市民の節操のなさが蒔いた種である。

 ‥普通に資源としての国内循環が成り立っているなら、リサイクル料金なんか必要ない。

 リサイクルする上で一番にカネが掛かるのは、施設ではなく燃料だし、
 それを自治体が負担する流れでの消費者負担が公平だとの見解にしても、

 「どうして消費税が乗るんだ、ふざけんな!!!」

 そんなのを見逃していると、税金に税金が乗る消費税がドンドン増えるだけじゃないか。
 ゴミを出すのも消費、年金制度も消費、公共サービスには全部消費税が掛かります。


> じゃ、公共のサービスってのは何なんだよ。


 公共サービスに価格を乗せて、さらに税金を乗せていては、公共の意味が無いじゃ無いか。
 それこそ官も民も無いことを宣言している様である。

 ‥自治体がそこの見境の無さを恥だとする認識が無い状況はもはや問題だ。
 民と官のサービス上の違いを再定義する必要がある。

 「それとも、そんなのは法で示さずにあるのか?」‥ならますます問題だ。
 二重課税を防止する意味でも、ハッキリさせるべき事項だ。


> 高齢者は年齢確認だけで、該当年齢に達していると消費税が免除されるとかな、


 そうしないと年金生活者なんか、税金で奪われるばっかりだ。
 そもそもがインチキ制度なんだしよ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:16 | Comment(0) | 日記/2014 | 更新情報をチェックする

【刮目】思い込みこそ味わうべし

1-6)記稿.2014/09/11
> まず、「思い込みとは何か?」である。


 人間計画というのが宇宙の側にあるのだから、
 人間には、計画に則した思い込みが下ごしらえされていると考えて好い。

 ‥その思い込みがあるからこそ、

 時代や地域の言語や文化、民族性に、それぞれ基準が得られていることになる。
 ならばまず、思い込みに溺れて、
 次に泳げるようになることを楽しむほかあるまい。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:32 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする

2014年09月09日

【刮目】得るためだけに学べる次第など何一つ無し

1-7)記稿.2014/09/09
 何かを得ようとするとき、
 なぜか、何かを捨てないと前に進めない状況というのがある。

 ドラマチックでもあり、無常でもある。

 ならば、何も得ようとせず、ただ歩むとする手もあるだろう。
 (歩めないのなら止まっていれば良し。)
 これは同じことだ。


> ただし、


 超個人主義が、得る事で成り立っているとするならば、
 この何も得ずに歩むスタイルもまた超個人主義に匹敵するだけの度量が求められるのだ。

 「何しろ‥生きている甲斐が有るのか無いのか‥丸で解らなくなる。」
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:20 | Comment(0) | 刮目/2014 | 更新情報をチェックする