2014年10月27日

【命題】民衆デモと集団的自営権

1-4)記稿.2014/10/27

 戦争は嫌でも、デモなら参加する‥その根っこにあるのは闘争である。
 ただし、闘争が日常の基本原理という程ではない。
 ‥それが民衆だ。


> では、戦うべき敵はどこに居るのだろうか?


 政府、行政、議会‥もとい、利権を握り、裏で糸を引く悪意を持った連中だ。

 「なぜその構図は成り立つのだろうか?」

 そもそもは、税制度に対する理解こそが元凶なのだ。
 なぜ、それが求められてあったのだろうか‥
 それは飢饉対策だった。元々は非常時対応の食料・資材の確保だった。
 だからカネではなく、日常生活に必要な現物で納めるのが習わしだった。

 ‥しかし、どうだ

 戦、統治、そして自由、治安、インフラ‥その維持にカネが必要とされた。
 武器やインフラは、商人から買うことでしか手に入らない‥
 納得してきたのは便利にほだされた民衆だった。
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2014年10月26日

【アイデア】グレーゾーン犯罪先手抑止法

1-1)記稿.2014/10/26

> ここで述べるグレーゾーン犯罪とは‥


 ‥明らかな悪意に対して
 明確な法律が整備されていないという抜けや
 適応となる法がまったく無き状態に於いて、裁くことができない案件を指す。

 それらグレーゾーン犯罪に先手を打つには、

 法の未整備や抜けが、その犯罪性の表面化によって明らかになった場合
 その時点から法が整備されるまでの期間をどう扱うかという見方になる。
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2014年10月22日

【哲学】心相応 (脳と意識の違い)

1-5)改稿.2014/10/22...20090710...

> 心応相(しんおうそう)とは‥


 活字のままの意味からすれば、
 心(思惟・意思・意識・精神・存在)の作用に応じた様を指すだろうか。
 転じて、コミュニケーション、ネットーワーク、精神的かつ抽象的な現象世界像・・・
 ‥と言ったところであろうか。

 その当時の昨日、寝起きの間際に、電撃的に文字の羅列が浮かんだそうだ。
 今となっては、どんな状況だったかなんて忘れているのだが、
 妙にいつまでも覚えていて、如何にも学術用語な感じが気に入っている。

 学術用語として用いるなら、

 原子心応相‥物質心応相‥鉱物心応相‥細胞心応相‥生物間心応相‥
 まぁいろいろと使えそうな雰囲気がまた新鮮でバッチ・グーなのではないだろうか。


 ‥では本題に入るとしよう。
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2014年10月21日

【命題】法治国家から徳治国家へ

1-4)改稿.2014/10/21...20090713...

> 法の下の平等が法治国家の基本である。


 だが、それとは裏腹に、
 法が改正され施行されたその瞬間から訳も分からずに新たな制定法が正義と化する。
 ‥そこが法治国家のさっぱりとしてしまっている所である。


 「では一体‥法の下の平等に、民衆は何を期待したのだろうか?」
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2014年10月20日

【農業】特定種目一極集中大規模栽培の生態系に及ぼす問題点

1-3)記稿.2014/10/20

 アメリカやオーストラリアの広大な大地を用いた特定種目一極集中大規模栽培は、
 大量生産に適しているようでいて、実はとんでもない落とし穴を抱えていた。


> 食物連鎖を考えてみた場合


 上位に位置する生物ほど、広い縄張りを持つ。
 その縄張りにおける密度は一定を保つ。それゆえ拡大性に難しさが伴う。
 下位に位置する生物ほど、縄張り意識は希薄となり移動性が目立つ。
 その拡大性は、上位の生物より圧倒的に条件が単純である。

 つまり、

 特定種目一極集中大規模栽培は、
 特定箇所に特定生物を大量発生させ、そのまま、そこに存在する生態に影響を与える。

 その影響の結果、特定プラントの外に置いて、
 連鎖的に、特定の生態系における疎密が生じることになる。


> 近年に見られる、爆発的な小動物の特定地区における大発生の要因は
> その蓄積の結果なのではないのか?
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【お知らせ】改稿記事(.001)

【歴史観】理想に凶相あり
【歴史観】下克上の下とは忍びのことである

以上二点を改稿しました。


※ 日付を更新してしまうと、執筆期間をブログの過去ログから把握できなくなってしまいます。
なので、こんな感じに表してお知らせすることとします。

ただし、改稿記録の経歴は示しません。

前回以前の記録を追記に回してもいいのですが、ケータイからは追記の分記を認識致しません。
ケータイからは、無駄に重くなるでしょうし、気長な作業でもありますので、
このお知らせ記事に関しては、問答無用で上書きして使い回すとします。

‥代わりの目安として、上書き進展回数をタイトルに数値化して表します。
尚、日付を更新させた記事に関しては、お知らせ記事には示しません。以上
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2014年10月18日

【命題】奴隷と自由と資本主義

記稿.2014/10/18

 その昔の諸諸国の戦の報酬として、奴隷を与える権限が王にあった。
 ‥否、賊の長というべきだろうか。

 その奴隷というのが、捕虜であったり、犠牲になった村や町から出る難民だったりした。
 ‥というのが奴隷の始まりと言えるだろうか。

 それがいつの日か、奴隷は市場と化し
 どこからともなく連れてこられた弱き者を商品として扱うことが、
 平然と日常と化し、幅を利かせるようになった。


> そうであったそもそもの痕跡として


 貴族こそが、奴隷の使用を積極的に推進してきた‥それがギリシャ・ローマの文化色であった。

 ギリシャ・ローマ文明の不思議は、
 その奴隷の扱いに、市民階級へのステップアップが設けられていた点である。
 まるで、それこそが「王様の慈悲」であると言わんばかりに‥


> 時代を経て、奴隷制度は形を変えて、資本主義になった。


 ‥そう言えるだろうか。

 奴隷制度に見られた市民階級へのステップアップの甘言と、
 努力して頑張れば豊かに暮らせるの発想や解釈は、まったく同じである。

 経済競争に負けると傘下に入らざるを得ない株式制度もまた同じだ。同じ臭いでしかない。

 ‥奇妙にも、自ら馬車馬に走るように仕向けられ、結局は、多くの者が奪われるのだ。
 「奴隷には褒美として自由が必要だ」まぁそんな感覚だろうか。
 今にしても、そんな感覚だけの”市民”でしかない。(古代のそれと比べれば天と地だが)


> 実際、そうであろうに。


 それが西洋だった。それが欧米だった。
 そこにプロビデンスの目が見開いていたということだ。


> それにしたって、私たちはニンジンを目の前にぶら下げて貰えないと頑張れないのだ。


 もしそうでしかないのなら、彼らの定義する奴隷と変わらないと言うことになるだろうか。
 まったく以て、恥でしかない。

 最近では、そこの生真面目な人間性を逆手にとって、
 尚更に、奴隷に貶めんばかりの取り組みがされていた。

 ‥そこに皆が気がついて、ようやくにして声を上げるようになった。支えるようになった。
 それでも、未だに多くの者が、ニンジンが目の前にぶら下がっていないと頑張れないでいるのだ。
 まったく以て、牛歩でしかない。否、亀並である。カタツムリであろうか。


> 奴隷が奴隷でないとする人間としての確かな根拠があるとしたら


 それは分け合うことだ。分け合ったかどうかだ。
 それだけが、そんなくだらない搾取側との決定的な差であろうに。
 ‥誰がどう考えたって、奴隷からの自由とは、本当の自由とは、分け合うことでしかないのだ。

 「何が競争だ、何が一番だ、何が頂点だ!!」

 極まることなど決して訪れまい、在るとしても分け合うばかりだろう。
 ‥それ以外の自由競争解釈など、不幸の押し売りに過ぎぬ。
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2014年10月15日

【命題】競争は必要か?

改稿.2014/12/01...20141015...

> 競争が必要なのではない、継続的取り組みが求められるのである。


 信号ルール無き交通が、言い合いと事故多発しか生み出さぬように、
 継続的取り組みにしたとて同じことである。


 「公平と安全が成り立たないのでは、活動どころではないのだ。」


 ‥もう一度繰り返そう。
 私たちに豊かさをもたらす研鑽とは、競争の前提では無い、持続的取り組みこそが前提である。
 公平と安全の確保された取り組みへのルール作りが求められるのだ。


 「豊かさとは‥豊かさを貪ることへの推奨ではないのだ!」


> あとは‥私たちがそのルールを気に入って、守るかどうかである。
> 全体として、たのしく無理なく倦まずに取り組めるかどうかである。


 「赤信号は待つ」というだけの極単純な交通ルールでさえ、守らぬ者は守らぬのだ。

 被災等で社会状態が麻痺して、
 皆で強盗やギャングまがいの行動に出るばかりなら、
 いつまで経っても、世界平和など夢のまた夢である。これは同じことである。


> 社会と経済に求められる信号とは、自由ではない、”礼儀”と”道徳”である。


 絶対王政で植え付けられたのは、王による搾取であった。
 王によって安堵された民衆への飢饉対策ではなかった‥

 いつの間にか、王族をはじめとした貴族の安寧のみを機能させるだけの搾取でしかなった。
 ‥飢饉困窮時の蓄えを、余り物と勘違いして、贅と戦に用いられてきた。


 そこには、”大衆”=”奴隷”=”捨て石”との見下したものの見方しかなかった。


 ‥愚かにも、民主化して尚民衆は、
 その搾取の在り方の方を、もっともだとして歩んだのだ。
 それが、そもそもの資本主義然として突き進んだ産業革命以降の世界の実際でしかあれていない。

 それもこれも‥
 競争×能力主義×個への分化こそが、幸福の追求された形だと勘違いしたからである。
 自分たちの忌み嫌った貴族の在り方を、贅の手本としたからである。


 ‥それでいて、傲慢にも
 王家に刃向かう謀反の正当化と、王に善意は存在しないとする前提での物の見方がそこにあった。
 王に善意がないのだと言わんばかりでは、人間不信でしかあれないではないか。
 まさに、人間不信が生み出したそんな程度の民主主義しか成し得て来なかったのだ。
 (それの鏡似性がそこにあらんばかりだった‥)


> つまり、


 搾取されずに前進する上でのルールを、民衆はまったく理解できずに至っただけである。
 知っていたとしても、理想とするルールを愚直に守ろうとする気概に欠いていたことになる。

 「それはなぜだろう?、どうしてそうなったのだ?」

 ‥人類は今一度、そこの違いから学習し直す必要がある。
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【お知らせ】”むひいて”と零戻経済

1-4)記稿.2014/10/15

> 零戻経済をこれからどのように扱っていくのか?


 ‥こないだの満月もといここ近年
 "蝕"に縁が無いのか、蝕の日に限って曇ってる。orz

 「俺の住んでいる地域は"蝕"に縁が薄いのか?」

 太古の時代なら、"蝕"とは、縁起の悪い類いの代表だった。
 蝕が見えなかったということは、まぁそれはそれで、悪い流れに縁が薄いのかも知れない。
 (バリバリに見えた地域の方が、かえって怪しいのかな‥)


> その満月の日、「むひいて」の零戻経済バージョンが降りてきた。


 キャラの立て方とか、話のもってき方とか、そういった置き換えである。
 昭和時代の発想や構成から一気に更新に至った。(頭の中での転回)

 ‥ということで、零戻経済は打倒資本主義としてきた思想的側面から、
 お話の中の世界観、舞台観、社会デザインの扱いになって行くことになる。
 まぁその方が、お互いに入りやすいかと思われる。ところが‥
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2014年10月10日

【命題】政党と選挙

1-6)記稿.2014/12/01...20141010.20100827...

 誰もが政治への参加が可能だとする建前として立候補制度がある。


> しかし、無所属で当選してその後内閣まで上り詰めたという話はあるだろうか?
> まぁそれが実態だ。


 豊臣秀吉が百姓の出自だったとする昔話が、
 如何に希望的願望であったかという後世の無知がそこにあらんばかりである。
 上絡みの支援や背景を得ずして、中央部への躍進など有りはしないのだ。
 ‥政党制度の必要性は、そんなところに根深く在り続けている。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:49 | Comment(0) | 命題 | 更新情報をチェックする