記稿.2015/04/17
家康と朝鮮の講和は、対馬藩の国書偽造に由来し早期解決を経るに至った。
その後、家康が朝鮮側の捕虜返還にどう応えたのかはまったくの謎。
‥ググってみると、捕虜が半島に帰りたくなかったから誰も帰っていないとある。
> そんな解釈は全然つまらん!‥ということで妄想開始
家康が要求された数(違和感あるほどに多い)をそのままに受け入れたとは思わない。
しかし、それなりの姿勢は見せたと考えてみよう。
‥加藤清正連中が捉えてきた朝鮮人らは、陶工など技術を持った者が多かった。
狸の家康が、そんな有望な民をただで帰すわけもない。
そもそも家康は狸なんだから、スパイ戦略の一環という筋もある。
で、
なんだかんだで送り込まれた連中が居たとしよう。
しかし彼らは半島の政を日本同様に構えていたが、
‥ところがどっこい、あっという間に最下層(白丁の身分)に貶められた。
(朝鮮漬けを考えたのは、実は彼らだったとか)
それはもう、家康を怨まざるを得まい。
月日は流れ‥彼らの子孫は、日本の部落勢力(同和)と意気投合し合流。
今日の在日問題に至る‥なんてな。
> DNA的にどうなのかという意見もあると思う。
まぁ当時の半島の風習上、近親相姦が多かったという話がある。そんなこんなで、
‥日本人男性特有のドラゴン因子は淘汰されちゃったとしよう。
「では、ドラゴン因子はどのぐらいの期間で淘汰に至るであろうか‥?」
その確率を出せば、多少の説得力も増すかも知れないな。
‥まぁ妄想なんで与太話でよろすく。
それにしても、こう考えると、すげードラマだな。
(すべては秀吉に始まる。まぁそんな感じになって来る‥)
(‥在日の拠点は大阪、因果よのう)