1-11)記稿.〜2015/06/13
具体的に個人を評労するところまでは、物理的規模として無理である。
なぜなら、組織評労でさえ大がかりなインフラ整備の如しになるからだ。
また
徹底して事細かくやる意味があるかといえば、評労自体がアバウトになりかねない要素を含む。
組織であるがゆえの基準や模範は検討できても 個人にもそれでは途端に息苦しくなるものだ。
‥そもそもの焦点は、向上と継続と協調であり、それは主に組織の在り方を見れば済む。
> つまり、個人評労とは
> 当人がどのような組織評労の過程を歩んできたのか‥の蓄積で見なされた方が無難と言える。
‥組織評労がそもそもの基点になると、転職しても、以前の勤め先の組織評労が付いてくる感覚だ。
‥また、組織評労を物理的に可能にするために、先に百社組の案を挙げている。
※百社組とは
組織評労の中に、地域的ランダム要素の組み替えの枠での成長度などを取り入れようというものだ。
そうすれば、どこどこの会社だったからと言う偏見が一人歩きすることもない。
‥付いて回るそれを、人生道中に於ける出会いの道筋と受け止めることができるだろう。
地域内で起きるであろう関わりゆえの可能性について、お互いが知ることも重要だ。
オールSが一番に優秀などと勘定せずに、自身の足取りが思い返せたならそれで良しとすべき事だ。
それでも
自らが経た評労の道筋が付きまとうにせよ
「最近十年廿年のあの人は‥」とした区切りの範囲で見られる感覚でありたい。
それ以前の事を、私たち自身が、評価の対象に含めたいなどとは思っていないだろう。
‥常に、前年度から特定年数分の枠を遡って、その期間を対象とすれば
汚名挽回にもなるし、過去の優・良にしてもその期間までとし、気持ちの切り替えにもなる。
(遡り対象期間が短いと取り分も減ることになる。その辺のバランスも含め素案は40年とした)
‥ただし
間違ってもそれらが転職先に通達されることはないが、
穂認から雲座入れをするのは金慮である。それの意味では
行政がその手の記録を保存・管理する点に変わりはない。
それに対して大衆がどのような免疫やアレルギーを示すかの関心は尽きない。
ではあるものの‥ここでは、一通りの意見を連ねるとする。
(税金も金利も返済もない。その上での穂認である。情報管理されると言っても嫌味は薄いと思う)
(それでも個人レベルで見た場合、働き方の自由度を抜きに‥評労は語れない。そこが今回のお題)
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