2015年06月19日

【刮目】資本のインチキに倣うのか?それとも正すのか?

1-2)記稿.2015/06/19

> 資本主義とは、発行権>債権>労働者で表すことのできる三すくみの特性を有する。


 このような構図の中で、支配者として絶対を安堵するには
 まずは発行権を牛耳り、発行権を握った側が、労働者特有のカードを切らせないことである。
 それはつまり、鎮圧力の絶対に投資を続けることにあった。(戦争を仕合うのは兵隊さん)

 また

 発行権の意味を曖昧にして伏せることで、債権>労働者の対峙に置き換えることを目指した。
 (今や法に守られて、兵隊さんほど食いっぱぐれずの職もない。筋力維持するのもまた職務)

 しかし

 発行権>債権側の横暴は、誰がどう見てもフェアーでは無い。
 (誰しもは具体的なことを知らずとも、そこに不可解な疑問を抱くものだ)


 ‥そこで、さらなる保険として、混乱を下げる為の画策が謀られた。

 人権の立場から労働組合を認めるも、それは表面的に認められただけだった。
 気付かれないように自分たちの息の掛かった者を、労働組合内に送り込み、論の焦点を変えさせた。
 それゆえ、見せかけだけの対立劇場を演出するに留まって来た。
 ‥それは、政治とマスコミの間でも繰り返し執りなさて来た。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:18 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする