2015年07月25日

【文学観】正義と悪、ライバルとの確執

1-2)記稿.2015/07/25

 「なぜ正義は少数精鋭なのか分かるか?」
 それは、民衆の覚悟に大したところが無いからだ。

 「なぜ悪が細切れにしか戦力を投入できていないのか分かるか?」
 それは、民衆一人一人にとって注目すべきは身の回りのことでしかないからだ。
 何を好きこのんで、お人好しにも他者の理想や野望に参加する必要があるだろうか。


> これは、民衆をその気にさせて、一つの目的に投入させる事が如何に大変かを物語る


 つまり、正義と悪の拮抗とは
 お互いにどれだけ民衆からの支持を得られているかの内訳でもある。
 ‥ゆえに、決着がいつまでも付かないのなら、お互いの支持に差が無いことの現れに他ならない。

 正義をどんなに買いかぶってみても、民衆からの支持に悪とのその差が無い。それが真相だ。

 否、民衆は正義も悪も支持などしていない。
 支持すべきは、自分勝手な都合ばかりである。
 民衆の自分勝手な都合の比率が、概ね似通うなら正義なり悪なりの所業もまた拮抗するということだ。


 ‥斯様な有り様の中に、民主主義を持ち出しても何の役にも立つまい。

 (民衆自らが、お互い自分勝手に繰り返す平和や幸福への妄想からして夢のまた夢でしかない)
 (否定と肯定が拮抗していれば、問答無用でゼロサムゲームにしかならない)
 (‥だからこそ民主主義だとしても、そう主張する者ほど斬新なアイデアを持てていない)
 (‥とどのつまり、先送りするばかりを「民主的な寛容」とでも表現するのだろう)
 (結果、浮かばれる者と浮かばれない者の固定化を胎み、その割合に変化もまた生じず見えてこない)
 (‥統計的に何の変動も見られないということは、実は最低無力な成果を意味する)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:39 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする