2015年08月31日

【刮目】社会主義はどうして悪役にされるのか?

改稿.2015/08/31...20110723...

 常に思う事だが
 社会上層の語る保障のニーズと、社会下層の語る保障のニーズは質が異なっている。

 中間層の金持ちになりたい願望は資本主義の支持へと向かい、
 貧困層の暮らし向上を地域でヨイショすることを望めば社会主義に向かうことになる。
 ‥どちらが良いかと言っても、どちらにしても腐敗した問題や欠陥を抱え込む。


> また、これら対立に絡む共通要素として


 第三の選択が存在しないがゆえのいがみ合いに始終する点は、愚かとしか言いようがない。
 簡単に表現すれば、マネーを支配する側の術中にはまってきたのが実情だった。

 ‥私たちはその辺をよくよく考えて、
 新しき選択支を築いていく上での話し合いを始めるべきである。


> それにはまず、社会主義体制の本質を理解しておく必要がある。


 ‥社会主義への説明として米ソ対比が、その昔は取り沙汰されていたが
 近年においては、ベネズエラの第53代大統領にして独裁者のウゴ・チャベスの政治が
 社会主義の問題点を浮き彫りにするモデルとして面白い。


> ウゴ・チャベスの政策は貧困層にべったりのように見える


 その財源になってきたのは、自国で採れる石油利権である。
 石油がもたらす売り上げを、貧困層のためにしたい放題にバラまくのがウゴ・チャベスのやり方だ。

 しかし

 国民の暮らしは上向いているように見えてもおかしくないはずなのに、
 なんだかんだで、国家の治安はテロと暴動とにいとまが無い。


> 貧困層から指示を集める者は、結果として、
> 貧困層を質的な金持ちにしてしまっては、存在価値を失する点を考慮しなければならない。


 つまり、国民に一定水準の生活レベルに引き上げて満足感を与えることはできるものの
 それ以上の段階になると、国民に向上意欲と技術ノウハウが伴わない限り無理とされる。
 ‥指導者自身が、先鋭的で優れた科学者でもない限り、この問題は解決不能に置かれる。
 (かつての軍国主義の横行は、国民に技術ノウハウを身につけさせる上での選択支だった)

 それゆえ

 強引さの目立つだけの跳ねっ返りタイプの指導者は、直ぐに行き詰まるだろうことが予想される。
 彼らがそこに填まり込むと‥途端に、
 自らの仕事が如何に困難でそれ以上の前進が難しいかを演出せざるを得なくなる。

 その時、助けになるが、欧米列強の推し進めてきた植民地政策の名残だ。
 なぜそこに敵が居るのかと言えば、それこそが資本家の存在と言う事になる。
 ‥ただし、その本丸に当たる敵の名は伏せられ、中間層との資本絡みの闘争に置き換えられる。


 政権を勝ち取った行動力は、当の本人による指導者としての手腕に認めて良いにせよ、
 国を運営する為の資本調達の問題にぶつかると、途端に萎縮してしまっているのがほとんどだ。
 ‥そこで多くの者らが執る手段は、時流に乗っかった資源等の現物主義に向かう。

 これを実現するには、強引な独裁的手腕の必要から、否応なしに独裁者の汚名が着せられる。

 民衆としては、そこにある諸問題が如何にも複雑そうに見えることになるわけだが、
 実際の所、本音を言えば、金融の根っこを牛耳られたままにある点はどこも同じだった。
 ‥それがゆえに、歴史的な対立が演出され続けているなんちゃって闘争の繰り返しに置かれて来た。


> 金融の本丸として存在してきたユダ金の思惑こそ対立の構造である


 諸処に生ずることになる社会主義政権の台頭は、
 ユダ金にしてみれば、武器輸出先のお得意様でもあり、戦争を仕掛ける上での仮想的役でもあった。

 そのような商売を不安少なく実現していく上でも
 自らの地盤に、資本主義での繁栄を手本として見せつける一方で
 戦争に勝ち続ける為の投資を推し進めた。その成果が米国である事は説明するまでもない。
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2015年08月30日

【詩】99%の否定と1%の肯定の中での強さ

記稿.2015/08/30

 希望がなければ生きていけない
 味方がいないと生きていけない
 でも、それは人の側の理由だ

 生きていく上で必要なのは、ただひたすらに生きることだ
 否定にしたって、その多くは、生き方への見解であって生きていることへの否定ではない

 生き方での否定‥生かされ方での否定‥まぁそういうことになる
 「そこを全否定してしまう態度とは何か?」でもある‥


 世界を選択できないと思っている。
 世界を変えられないと思っている。

 どうしたらいいのか分からないという不安で一杯だ。
 面倒くさいから、ポイと命を捨ててもいよう。

 「それは何だ?」
 その姿勢こそ忌み嫌った世界そのものの有り様ではないのか‥

 命を命とも思わずに簡単に切り捨てる、斬り殺す‥そんな刹那が秩序の世界だ
 それが大っ嫌いなのであろう
 にもかかわらず‥面倒くさいからと、自分で自分を手に掛けることもまた然りである

 そもそもにして、そこは後始末の為っちゃいない世界だ

 その一人として参加しようというのだ
 その選択は決して否定には映らない‥明らかに肯定してしまった姿である
 諦めてしまった者は、すべてその扱いだ


 否定しているというのなら、抗うほかあるまい
 生きる上での逆転を己に誓うほかあるまい

 そうだ、それこそが1%の肯定の始まりだ!

 其を見失わずに進む己以外に、希望など無いのだ
 其を受け入れざる者に強さなど与えられぬ
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【刮目】恋愛=欲情=幸福感は偽である

1-2)記稿.2015/08/30

> 恋は盲目とは言うが、その恋が幸福をもたらすとは限らない。


 「では、その感覚はなぜやって来たというのだろう?」
 ‥誰しもがそこに運命なんてものを担ぎ出す。

 幼少の頃はなんだかんだと、だんまりでも過ごせていたことが
 思春期を経ると、それを口にしないのは損だということに気がつき始め、
 ‥色々とした諸事情が絡み始める。


 昔はどうだったかは知らないが
 現在の教育環境から来る抑圧は、どうしようもなくそこのインパクトを大にしている。
 (‥不思議と誰しもがそう感じている模様)

 否否、社会の仕組みからしてそうなんだ。

 しがらみという奴に対して
 あれこれとしたジレンマを猛烈に感じるのもまた恋愛の最中にまとめてやって来る。


> もしてかして‥これは鏡似性ではないのか?
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2015年08月28日

【刮目】愛してるを言わない日本の遺伝子の見方

1-3)改稿.2015/08/28...20100928...

> 日本は村社会的である。


 その根底にある得体の知れない性質は、
 民主化、欧米化、グローバル化してみた所で‥さほど変わらなかった。
 ‥そこにこそ「愛してる」を言わない日本の遺伝子の見方があった。
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2015年08月27日

【川柳】最期の世界同時暴落を詠む‥11射

記稿.2015/08/27

|ヒャッハー!と急落↓‥まったなし

|ここぞ今、押し目買いにも程がある

|じりじりと盛り返してきたぜ‥もうチョイお願い‥

|さぁ逃げよう損切りするなら今のうち

|キタ━(゚∀゚)━!!、二度目の大破で世界轟沈か!?

|とりあえず腹を決めてたらしいぜ三割元↓

|結局は、リーマン・ショックの水準らしい

|やらせです。アベノミクス飴の如し

|リーマン水準からの轟沈とどっちが好い?

|それだけの延命措置は誰のため?

|もう良いじゃん。嘘を廃して改めよう

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【刮目】翼を生やした天使になりたイカ?

1-4)改稿.2015/08/27...20100824...

> 俗に言う‥背中に翼を生やした天使の存在について


 天使と言えば、背中に翼を生やした優しさの象徴みたいな扱いがされている。
 生きとし生けるものへの‥良心的サポート役で知られているが、実際はどうだろうか?

 聞く所によれば

 天使の意識体といえども、なんらかの肉体生命に宿って生まれ変わることで
 霊としての原生的な性質を損なうという。

 厳密には、元の波動に異なる波動がプラスされてしまうことから
 肉体生命として生まれ変わる以前の意識には戻れない‥との噺がされている。


 何がどう変わるのかを知る由もないが‥これは、

 「自分たち本来的なオリジナルの形質が失われるのではないのか?」
 ‥という耐え難い選択に迫られることを意味する。

 ※ 想定外の経験をしてしまうことに因る従来のスタイルを自己否定しかねない事への警戒だ。


> 是は、何を以てそこまでする必要があるのかの問いでもある。
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2015年08月26日

【考察】神の思し召しって「何?」

1-3)改稿.2015/09/17...20100820...

> NKH番組、33か国共同制作
> 「民主主義」―世界10人の監督が描く10の疑問シリーズ第七回:パキスタン“大統領との晩餐”


 ‥映像は、パキスタンの喧騒を離れ、夕暮れ時のパキスタンの素朴な農村だろうか。
 土壁と藁葺き(?)の広さ一間程の家が映し出されていた。

 その家の家族の身なりは、イスラム圏特有の飾り気のない白のいでたちだった。
 薄暗くはっきりしないが、家の中には家財道具というものが見あたらない。
 家族はムシロの真ん中にランプを灯し、薄暗くなり始めていた外で夕食をはじめた。
 家族の中にいた家長らしき立派に白い髭を蓄えた老人が、撮影スタッフに声を掛けた。

 「一緒に食べる?」
 「結構です。」(スタッフは無言でそう答えた様子)


 皿に盛られたパンはナンだろうか。
 それと‥お茶だろうか、水だろうか‥カップに注がれていた。
 老人は腹ぺこだったのか‥家族に先んじてパンに何かを軽く付けて食べ始めた。
 ‥その日の一家の夕食の食卓に上ったのはそれだけだった。


 ‥老人にインタビューをする予定もあってか
 シワやホリの目立つ老人の顔は、夕暮れ時の色彩のせいもあり、
 あまりにも被写体として魅力的に映し出されて見えた。
 そんな光景を前に、撮影スタッフは老人にインタビューをはじめた。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:39 | Comment(0) | 考察 | 更新情報をチェックする

【盲点】役人への期待が税を欲する

1-3)改稿.2015/08/26...20100316...

> 今時代、行政管理の財源の前提は税金です。


 その範囲でしか安心・安全を確保できないというのが、このルール下でのとりあえずの理屈です。
 不足する分は、国民との相談の下に対応すべきが国民主権上での筋ですが、そうはなっていません。

 国家試験がすべてをあやふやにしています。
 民主選挙がすべてをあやふやにしています。
 権限が与えられたというお約束が全てをうやむやにしています。


> それが財源を自由にしても良いと考えている了見です。


 ‥未曾有と思える大金を前に、誰もが例外なくブレることでしょう。
 例外があるとすれば、それは勇気を以て、たまには全く何もしない政策の実行です。
 仕事が無いなら、役人にその分の賞与を与える必要も生じません。

 だってそうでしょう。

 役人は実質的に不景気を知りません。常に仕事に追われています。
 ならば、彼らにだって公平に不景気を与えるべきが筋だからです。
 そうです。暇を与えるべきだったのです。(勿論その間の手当なんかありゃしません)
 ‥それこそが正しき再分配というべき有り様です。(無い袖は振れやしないのですから)
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2015年08月24日

【詩】自分と人生と公平と至福観

記稿.2015/08/24

 自分に感謝できることをすれば良し
 自分に感謝できないことはしなければいい

 自分を健康にすることをすれば良し
 自分を健康にしないことはしなければいい

 自分が素直になれることをすれば良し
 自分が素直になれないことはしなければいい


 物足りないと思っても相談しながら改善すべし
 他者から意見を伺うにしても問うべきは目的に非ず違和感なり
 違和感を批判する必要なし、指摘だけに留めて改善案を述べよ

 自分に感謝できぬ者は、外ばかりを気にしている
 自分で健康を意識して管理せぬ者は、いつも外に頼りきりだ
 自分に素直になれぬ者が、どうして外と平たくつきあえるだろうか


 気をつけていないと、多くはすぐに自己満足に陥る
 隣に居る人の意思を尊重しようというのに、皆で自己満足を言い合っては争いの種だ
 その証拠に、自慢と偏見は双子みたいなものだ


 「どうしてあなたの自慢が、他の者の卑下に繋がるだろうか?」


 自慢が見事に実っていたなら、そこには拍手が沸き起こるだろう
 拍手が無かったからといって落ち込むなら、そこには不足があるばかりだ

 拍手を得た者にしても、その先に進む上での条件は同じだ
 先に進むには、己の不足を知らねばならぬ
 ならば、拍手を得られた回数に何の意味も無し

 「未熟にも‥伸びしろ付きに誉められてばかりは、恥の掻きっぱなしじゃないか」
 「未熟にも‥伸びしろが乏しかったなら、尚のこと大恥だ」


 「物足りないと思ったなら、自分を満たすと思う方に自分を導け」


 その導きに自ら感謝できたなら、それは正解の一つである
 その導きが自らを健康にするなら、それは正解の一つである
 その導きを素直に受け入れられたなら、それは正解の一つである


 感謝・健康・素直が自分に揃うなら、全てはほどほどに公平と言えるのだよ
 其を幸せにあると定義できぬ方がどうかしている‥「そうは思わないかね?」
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2015年08月22日

【刮目】50キロ法定速度は誰のため?

1-2)改稿.2015/08/22...20130620...

 今や法定速度は50キロが一般的だ。40キロなんてほとんど見ない。
 昔は結構あったんだ。
 子供の頃の記憶をたどるなら、20キロ‥30キロ‥の道路上表記が、
 年とともに速度上昇して行ったのを覚えている。


> 普通に考えれば、世の中の需要と言えるのだろうが‥果たしてそれだけだろうか?


 安全性を第一に考えれば、40キロが限界だと思う。(それ以上はどう見たって危なっかしい)
 しかしこれがおもしろいことに、運転している側にはわからないのだ。
 運転している側にとって、40キロはちんたら速度でしかない。
 ‥それでも40キロが50キロになると途端にカーブ対応が危うくなる。

 一括りに法定速度を上げることで適正を見いだそうとも
 安全の第一であるドライバーの状況判断と操縦テクニックは比例しない。
 ‥渋滞しがちならともかく、比較的少ない交通事情なら上げる意味に欠くばかりになる。

 でもまぁ、エコロジーで考えるなら

 40キロよりは50キロの方が燃費改善を示すのにはちょうど良い目安になるのだろう。
 仕方がないといえば仕方がない。
 それはそれで法定速度の方も合わせておかないと、宣伝にも説得力を欠くことになる。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:11 | Comment(0) | 刮目 | 更新情報をチェックする