2015年08月05日

【BIOS】UEFIとAHCIの選択は、SSDの性能に絡む

記稿.2015/08/05

> 俺は迂闊にもレガシー混在モードでOS更加しちまっていた
> しかもAHCIの指定もせずにIDEの設定のままだった


 知らんかったのだが、UEFIに完全対応させるには
 BIOSを弄るだけではダメで、そこからのOSの更加を必要とする。
 しかも、UEFIでOS更加したCドライブは、レガシー混在設定からは認識されない。
 ‥レガシー混在モードでのOS更加ならその逆になる。

 つまり、レガシー混在に対応させたOSの更加は、
 後々的に、UEFIを前提にした規格において相性問題を孕む可能性が高い。
 (‥SSDにWindows10を入れる予定ならUEFIを選択だ。間違えると二度手間になる)


> 特に気がかりなのは


 パラレルドライブ等を接続する上でのROMとの相性だろう。
 UEFIは拡張カードの状態も一括にして管理するので
 ‥とくにブートドライブ周りの接続規格が古いのでは、どうしたって弾かれそうである。

 弾かれるだけならまだしも、UEFIに一本化していない状態のままなら、仮に弾かれずとも
 新規格でのパフォーマンスに於いて、期待されるだけのものを得られない結果に見舞われそう‥

 (UEFIでOS更加した後、レガシーカード接続認識されないようなら、諦めるのも肝心だ)

 ※ ただし、レガシーかUEFIかの選択がCドライブの認識に関わってくるなら
 レガシーとUEFIの両方でのドライブを何食わぬ顔で接続またはイメージ等で用意しておき、
 必要な度に、BIOSと拡張カードをセットし直すという手もなくはない。
 だが、それはそれでBIOSフラッシュの削命が気になるところだ。


> AHCIの場合は


 ‥AHCIだけの変更なら、後からでもレジストリ等を併せ弄って変更が可能だとの事。
 とくにSSDランダム読み書き時のNCQの効き目が段違いになる傾向だ。


 つまり俺の今のマシンセットアップだと
 SSDを買ってきて、キャッシュや作業用にしようとしてもコケるだけだった。
 (‥なまじ3.5インチパラレルのHGSTが余っているからと言って、それを使うことを考えても無駄)
 (クローンからの検証という点において、予算軽減できそうだったのだが‥)

 ちなみに

 今時のマザーは、3G接続でもOSは起動するので
 一本しかない6GにSSDを接続して、作業用に使いたい主旨でも
 そのパフォーマンスの恩恵を十分に味わえるという感じにある‥
 (まぁ普通に考えれば、OS更加したSSDを6Gに差すんだろうけどね)


> ‥2016年になると積層化タイプのSSDが登場してくるようなので


 SSDの価格がさらに下がることになり、120Gクラスが市場の片隅に追いやられる傾向になると思う。
 ‥どう考えたって、240Gクラスになると削命が大幅に増える。
 性能と価格差を考えても120Gクラスは、中途半端にしか見えない。

 またそうなると

 SSHDに搭載されるキャッシュ用SSDも容量倍増するかも知れない。
 どちからというと、予約パーティション領域に潜んだ削命を気にするよりは
 ‥SSHDのキャッシュ用SSDの削命を気にした方が、なんぼかやりようがある。


 どうせならSSHDには、
 OS起動系とProgram File系以外はキャッシュしないモードがあっても好いと思う。
 例えばCドライブにフォントを一杯入れちゃってたら、そのキャッシュはどうなるのだろう‥
 ‥考えるだけで大失敗って落ちでは、SSHDに大容量なんか必要ないって落ちになっちまうからな。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:13 | Comment(0) | パソコン悩ましいZ | 更新情報をチェックする

【日記】ここまで分かったナンバ歩き

記稿.2015/08/05

> 目的の無い散歩は残酷だ‥なんて思っていたが


 ナンバ歩きを習得して、さらにナンバ走りへと至る‥という好奇心を抱くと
 そんな退屈感はどこへやらになった。


> ポイントは三つほど挙げられる


 まず、足で歩くことしか考えていないようでは覚束ない。
 先んじて腰で歩くのだ。

 ‥腰で歩く感覚とは
 腕からパンチを繰り出す時、威力があるのはジャブよりストレートだ。
 ようするに、腰を意識してツイストさせて脚を繰り出すのが良い。
 そうすることで、歩幅が出せる。
 ただし、そればかりを意識しているとフォームが悪くなる。
 結果的に、先んじて後ろ首の付け根から歩く形になる。

 身体全体の体重を左右交互に振り分ける必要から
 姿勢を良くして軸線をぶらさずに首の付け根から、身体を左右交互にぶん回す感じになる。


> しかしこれだけだと筋肉一辺倒に陥りがちだ


 ナンバ歩きはそれだけではない。
 カラクリ人形のように、体重の移動を、骨でやり繰りすることも忘れては為らない。
 身近な例で言えば、ペンギンだが‥朦朧とした人がふらふらと歩く時の状態がそうだ。

 力を限りなく使わずに歩くにはアレが好い‥ギッコンばっこん‥ギッコンばっこん‥
 右に倒れそうで、ふらっと左に寄って、左に倒れそうで、ふらっと右に寄る‥繰り返し。

 これを、下り坂でやってみるとよく分かるが、力をまったく使わずに機能的に進む。
 あと‥ある程度、路の状態は凸凹していた方が、そういう感じに歩けやすい。
 そういう意味では、完全舗装の真っ平らだと、ナンバ歩きはたいへんだ。
 ‥そこで、積極的に身体をツイストさせて進行する感覚が大事になる。


> ところが


 そんな感じで走って見ろと言われると
 誰が考えても、反復横跳びで走らざるを得ないだろう。
 右側に体重が掛かる‥そこをグッと堪えて、やや左前に跳んで‥
 左側に体重が掛かる‥そこをグッと堪えて、やや右前に跳んで‥

 スキーやスケートと同じ体重移動を、滑らない状態でやる形になる。

 スキーやスケートの場合、滑るという行為自体の中に、体重の移動とバランスの確保が備わるが
 滑らない状態では、どこでバランスを保つのかという課題が生ずる。
 そこで、両腕をヤジロベエのようにして扱うということらしい。

 ‥ようするに、無駄に振る必要がない場合は、ほぼ腕を左右に置いたそのままだし
 必要とあれば、バランスを取るために勝手にヤジロベエが反応しているという趣になる。


> まぁそんな塩梅で、すっすっすと歩けると、明らかに従来の二足歩行とは違うという感じになる


 しかしまぁ、身体が慣れないと
 少しリズムが変わるだけで、そんな感覚はどこへやらだ。
 ‥その前に体力落ちちまってんで、疲れると同時に集中力も途切れる。

 とにかく、ナンバ歩きで歩こうとすると、自然と背筋を伸ばして歩かざるを得ず
 気がつけば、ものスゲー集中している状態を発見する。それはまるで「歩く禅」とさえ思える。

 ‥江戸の士は、無駄な物をぶら下げていたのではなく
 ものスゲー集中力アイテムをぶら下げていたとも言える状態にあったと思われる。
 そりゃ、身体の使い方が違えば違うほど、その個人の集中力も雲泥の差だったと言うことになる。
 (ナンバ歩きでより速く動ける=腰を積極的に使えている=無駄な動作が少ない=集中力ハンバない)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 01:36 | Comment(0) | 日記/2015 | 更新情報をチェックする