記稿.2015/09/29
宇宙はグレーだ。
混沌としている。
それはルールが無いからだ。
そこにルールがあるように見えていたとすれば、
それはまぁ管理が行き届いた宙域が存在するからだろう。
それにしたって
それはただの縄張りの主張のような類いかも知れない‥
つまり緊張と対立だ。
そんな日常に対して、私たち人類はいたって傍観の様にある。
何かをしなければ、そこに在る緊張の解消はもたらされることがないのだとしても
どこから手を付けるべきかにこれと言った見解も又無いのだ。
そしてまた、私たちのルール作りにしたって大した所が無いのだ。
大した所が無いからお互いに守る気もしおしおなのだろう。
自由にならんとばかりはガツガツしていても、
安全にあらんとばかりのガツガツにはないのだ。
そして無駄に心配ばかりに懸命だ。
「ならばこう考えざるを得まい」
自由の価値なんぞそれほどでもない。
一番の価値は安全だ。
支配者は、自らの安全に自信が有るから、人々を自由に振り向けさせている。
その証拠に、庶民に並べられる自由を得ても、大して安心できる代物にはない。
支配者にしたってそうだ、常に安全に駆り立てられている。
そんな安全は大したことがない。
そこに確信がないから、バージョンアップを頻繁に繰り返さなければ安心できない。
自由を奪い合う形には、常にそんな構造がある。
安全は一人では確保できない。
分かりきったことに意識が振り向かないという日常はクレイジーだ。
「どうしてそうなっている?」
それは、自由が一番、安全が二番に置かれてしまっているからだ。
身につけてしまった間違いは、死んだみたところで早々に直るものでもない。
お互いに尊重し合えていない有り様は、まさにそれである。
‥だからその証明こそが宇宙の現実なのだ‥
私たちがそのようでしか無いのなら、安全はただの幻覚のままだ。
理想とする未来はきっとあるとした妄想のままだ。
自由を得る為の力を身に纏って見せても、そんなものだ。
誰彼の安全までを考慮して使いこなせてなどいないのだ。
「見よ、私たちの日常を!」
そこに有る力がちっぽけだとしても、何ら使いこなせちゃいないのだ。
結果、滅び逝かんとばかりの自由にしがみついていては、それこそ生きる価値も無い。
まさにそのような現実の到来は、私たち自身による宣誓にしか映るまい。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:53
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