2015年10月30日

【Windows10】予約アイコンのGWXが乗っ取られたような気がする

改稿.2015/11/08...20151030...

> 昨日だったか一昨日だったか


 起動立ち上げの過程に於いて、いつもは見られない起動の振る舞いを確認した。
 通常なら拝めないのに、GWXの表記が小さく窓を立てて消えた。

 気持ち悪いのでタスクマネージャーからクリックして起動を消したが

 その次の日か、日本語表示ポップが英語表示ポップに変わった。
 (それから後、日本語になったはものの、今度はフォントが違う)


 ‥これはもう明らかに怪しさ倍増じゃん。


 アップデート直後なら別なんだろうが、そうじゃないし、明らかに書き換えられちゃった感じ。
 英語表記というのがモロに分かりやすい。
 ‥いやもう、こうなると、Windows10への切り替えキャンペーンに意味を感じない。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 08:45 | Comment(0) | パソコン悩ましいZ | 更新情報をチェックする

2015年10月29日

【宇宙な?】時間跳躍は概ね同じポイントが狙われる

記稿.2015/10/29

> その第一回目、世界には白人しか居なかった。


 ※ この時の白人とは、
 初期段階でのプロトタイプで、後々に出現するに至ったアーリアンブルーとは異なる。


> 第一回目の実験は行き詰まり、時間軸を遡る事になった。


 繰り返すこと、ゼータレチクル星人が出現した。
 ゼータレチクル星人の遺伝子が組み込まれたことで人類に黄色系が出現した。

 パーフェクト・マン計画の折、このゼータレチクル星人の遺伝子が一部に採用された。
 ‥その結果、以降の因果律が急激に変化した。


 異変を感じた時間軸後半の勢力がこぞって、
 パーフェクト・マン計画近辺の時空ポイントに集結することになった。
 ‥そう考えないと辻褄が合わない。


> 一見してうまく行っていたそれは、覆されることになった。


 その時空ポイントでの戦いは、平行宇宙が出現する度に繰り返されたと考えられる。
 何度も何度も繰り返していると、同じ顔ぶれがぶつかり合うことになる。
 すると、ちょっとしたタイミングのズレで形勢は逆転してしまうことになりかねない。
 ‥実際、光の勢力とされる側は負けたとされている。(一度負けると、因果律は決定的に変化する)


 尚、同じ顔ぶれが揃っても、お互いに支障は無かったのかも知れない。

 むしろ、共鳴による融合現象が見られたかも知れない。
 それは、潜在能力の開花に繋がることなのかも知れない。
 ‥仮にそうなら、気がつかれないように情報を封印操作しておくことになるだろう。


> そしてそうなら


 様々な平行宇宙から来たダークな連中(特にトカゲ勢力)は、
 特定ポイント以降から、地球に集結してしまったと言えるのかも知れない。
 (‥なんでも現時間軸の連中も、UFOを手にしてからそれを目論んだそうだ)

 また

 その者たちに連れてこられた連中も合わせて居ることになる。
 当然そういう面々も、地球の魂群に紛れているわけである。

 ‥なんだかんだで
 地球の特定未来時間軸上において、一気に負の勢力を粉砕すればどうなるだろうか?

 謀反集団が、平行宇宙に散らばること無くそこに集結しているのなら大崩壊が起こるだろう。

 そして、主を失った‥強引に連れてこられた面々は行き場を失い追い出されるハメになる。
 元々の実験参加に招集された面々では無いのだからそれは当然だろう。
 ‥尤も、ある程度の選別余地はあったかもしれない。それは日月神示を鑑みればそうなるだろうか。


> つまり人類がその峠を乗り越えると


 超未来からの援軍が到達し、一気にすべてが無かったことに書き換わる。
 問題は、地球から追い出された状況で魂が存続できるのかどうかだが‥

 宇宙人情報の中で気になった話に、
 母星の崩壊から脱出してきた魂群は 早い段階で転生できないと消えてしまうという。

 察するに

 人類タイプの魂は、個々のエネルギー保有量の差にも依るだろうが
 集合意識に連結できていないと、エネルギーの循環を得られずに魂が崩壊するのかも知れない。
 その集合意識の母体として、惑星意識の受け入れが必要と思われ、
 且つその段取りとして、その惑星の環境に転生する必要がある。
 ‥まぁそんな感じなのではないのかと。

 ただし、“消える”=“死”であるかどうかは不明。

 ‥まぁ、チャンスに恵まれなければ、何十億年も消えた状態を彷徨うことにもなるのかも知れない。
 ‥何十億年と言っても、惑星の発生から消滅までの時間と比べればそんなものだ。
 ‥隔離とも放置とも。浮遊夢の中から出て来られない状態とも言えるだろうか。


> 能力なんてものは、所詮、経験値の差と言われている


 つまり、目覚めた頃には随分と下っ端から始めることになるわけである。
 ‥まぁ、無駄に生意気か、頭ペコペコかのどちからはあまり変わるまい。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:03 | Comment(0) | 宇宙な? | 更新情報をチェックする

【マンガ】未来日記を読んでみた

1-2)記稿.2015/10/29

> アニメで見てからマンガの方を確認した。


 初っ端からネタバレ含みのツッコミになりまーす。
 ‥まぁ尤も、遅まきながらの発言になるのでどうでもいいだろう。


 主人公:天野雪輝の妄想だったはずのデウスが、
 実は、現実含みの存在であるというところから話が始まり、
 そのゼウスの寿命をネタに、神の後継者争いというのが話の柱になっている。

 そもそもにして

 神の寿命による後継者争いなんだから、死んだ魂が蘇らないのは織り込み済みというものだ。
 ‥でもそれに気がついた争奪バトルメンバーは居ない模様としてスタートしている。

 ツッコんだ見方をすれば、
 未来日記のシステムを提案した11thは、それに気付いていたのかも知れない。
 でも、そういう角度からの思惑の一切は描かれていない。
 ‥話は、突然の後継者争いに巻き込まれて動揺したままの雪輝視線で進んでいく。


 例の襖に印された初っ端からの「助けての」刻印からして

 作者は初期の段階で、始まりと落ちを思いついていたように見えるが
 死んだ魂が蘇らないとするうんちくについて見破ったキャラクターを考えなかったのだろうか。
 ‥そこに気がついていたなら、11thのキャラクター性はもう少し角度の違う形に成ったと思う。
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:09 | Comment(0) | マンガ | 更新情報をチェックする

2015年10月28日

【読書】嘘だらけ世界経済

1-2)改稿.2015/10/30...20151028...

> ベンジャミン・フルフォード×板垣英憲の二大裏ジャーナルによる暴露本


 ‥ここ最近の根詰まりな感じの中身かなと思いつつ
 地元の書店にまさかの一冊があったので、思わず買ってみた。

 二人の談話がもたらすものは、
 どっちがどれだけ知ってるかのバトルでもやるのかと思いきや
 なんと、静かに阿吽の呼吸で話が進んでいく。

 「!?」

 思ってたのと空気が違う。
 二人の話は、ほぼ一致している。うだうだした摺り合わせ感がまったくない。
 「‥おお、スゲー」それだけでも世界の嘘が、本当に嘘だったことが伝わってくる。

 まだ300ページ中88ページ辺だけど、概ねベンがしゃべりまくっている。
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:10 | Comment(0) | 刮目/奴ら絡み | 更新情報をチェックする

2015年10月27日

【参考】二宮金次郎の失敗話

記稿.2015/10/27

 道徳の話ついでに一つ。
 二宮金次郎のこんな話を知っているだろうか。

 ‥今時の女子が聞くとかなり唖然とするような中身である。
 (ソースは、俺の高校の図書室の中の一冊だった記憶がある)
 (いつ書こうかなと思ったまま忘れてた)


 金次郎は父母を亡くしている。
 昔は何かと子沢山だったから、普通に目にする光景だったはずだが
 叔父の家に世話になっていた金次郎に、それへの機会も関心も訪れなかったようだ。

 ガリ勉くんだったし、村の大人も一目置くような頑張り屋でもあった。
 同じ年頃の悪ガキも、そんな下ネタ話をしに近寄ることも無かったのだろう。
 ‥金次郎は、女の出産時の介助の必要に無知無頓着だった。


> お陰で、嫁さんは流産をしてしまった。その後、実家に逃げるように帰ったという。


 早い話が、嫁さんは口べた不器用で、旦那も周りにお願いしないから結果そうなったと。
 あと金次郎が真面目すぎるので、その手の話をしなくても大丈夫なんて思われていたのかもな。
 ‥天然無垢の落とし穴って感じだが、いろんな条件が組み合わさった結果かと思われる。


> 無論、失敗を見逃さずに学ぶのが金次郎だったが、変わりようも半端なかった。


 なんでも再婚して家を構えるようになってからは、
 お手伝いの娘たちにも、まんべんなく手を出すようになったという。

 ‥その時の奥さんに漏らした屁理屈がある意味で絶句ものである。

 「娯楽も少ないことだし、たのしみは分け合わなければならない」

 当時の印象としてどうだったのかは知らないが
 奥さんは、とりあえず金次郎の方針を飲み込んだらしい。


> 誰にも失敗は付き物だが、未だ知られずに全国の小学校で薪を背負っている姿は複雑だ。


 ガリ勉くんはある意味、そういう流れでしかないって話だ。
 ‥好いですね金次郎の下ネタ話。
 ‥もはや時代のニーズじゃ無いって感じが危機感度MAXっす。

 「そんな金次郎を手本に立てているから、そこらへんでの厄が鎮まらない」‥なんてな。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:13 | Comment(0) | 考察 | 更新情報をチェックする

2015年10月26日

【読書】「新しい道徳」北野武を読んでみた

1-4)記稿.2015/10/26

> 北野武のこの著書には、本質的なツッコミがされていない


 なぜ、最近になって道徳教育が求められているかの背景が省かれている。

 その省いている理由として北野武は、
 大人の方が矛盾を抱えているのに、お前らに道徳を語る資格があるのかと説く。
 ‥まあ当然だ。そうでなくてはタックルの甲斐が無い。


 しかしそれにしても、北野武は自らの答えを先に述べてしまっている。

 道徳は自らが身につけていくものであって、どうのこうの言うのは余計なことだと‥
 多様化の時代でもあるし、尚更だと‥

 それはそれで、正論だろうが、
 ‥教育として求められてあること自体に反対なのかどうかを、自分からそらした言い回しだ。


 (尤も、俺は、北野武の根っこを知りたかったので読んでみたわけだが‥)
 (道徳について書きしたためるとは、そういうことだ)
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:03 | Comment(0) | 日記/2015 | 更新情報をチェックする

2015年10月25日

【考察】道徳教育×→礼孝教育○と名称すべし

記稿.2015/10/25

> 「新しい道徳」北野武著作を買ってきた。
> ‥第一章を読んで気になった点をいくつか


 読んでいて、道徳の言葉のニュアンスがそもそもにして気になった。
 字引を引いても‘道徳’=‘倫理’で通っている。世間的に言えば、人としての常識だ。

 でも実際の「道徳」は、老子の言葉から始まっているわけである。

 その老子は、世間の常識についてうんちく垂れて語ってなどいない。むしろ離れている。
 隔世の観ありなのは、孔子との対比からも常識である。

 そこに見られる思想の趣は、内面の鎮まりへの導きである。
 「道徳を以て人生に花を咲かせましょう」などとは、これっぽっちも説いてなどいない。


> いつから道徳は、老子から離れたのだろうか?


 ‥そこでふと思った。
 日本語の中に於いて老子の語らんとしていた意味合いは、すでに「禅」に置き換わっていると。
 つまり、道徳は宙ぶらりんの言葉に果てていた。

 人はその余った余韻に対して道徳的という響きを当てた。
 (その昔は、倫理の言葉は用いられていない)
 道徳的という響きは、表面的に何が道徳的に見えるかを誘導する意味合いを果たした。

 結果、それが道徳の意味にすげ変わった。

 次第に、‘道徳的’も‘道徳’も同じ意味として見なされるようになった。


> そもそもの道徳とは


 人が下した行動に、賛同を集めれば、付いて回るものであり
 そこに道が開け、徳が付いて回るという次第を指している。
 ‥だから、時の経過と共にそれの経験則を指すようになった。(知識による形骸化)

 一方で、禅は、自身で徹底的に考え抜く姿勢を指している。(自分で気がついて身につける)


 まぁようするに、道徳教育とは、
 本来の道徳から魂を抜いて、抜け殻を着せようとしている教育観ということだ。


 考え切ってから行動をすることも然りだし
 状況に応じてとっさに行動することも然りだが、
 実際に道徳として付いて回るかどうかは、ケースバイケースだ。

 だがしかし、花を求めてするような行為を道徳とは決して呼ばないのだ。


> まぁそういう花や実を求めるのは、仁義の方に値するのではないかと‥


 だから、道徳教育という言葉は間違いで、本質的には「仁義教育」と呼んだほうが近いか。

 そもそも、江戸の時代は儒学だった。善悪を形式的に諭すなら礼儀作法で十分だった。
 なにも世間にお着せがましく、仁義を持ち上げる意味合いもなかった。
 ‥なにしろそれは、士の専売特許だった。

 江戸時代からの乖離を図る為に、明治政府は、そこに「修身」なる言葉を填め込んだ。

 そして戦後‥言葉の意味を持て余していた「道徳」にスゲ変わった。
 ‥仁義と付けようにも、どうしてもヤクザを連想してしまう。そりゃ無理というものである。
 ‥礼儀と付けたくても、すでに米国追随になっており、自由化の流れに於いて遠慮された。


> 北野武のツッコミの多くは言葉の綾からでしかなく、まぁうんざりの部分が多い。


 普通に「礼孝教育」(らいこうきょういく)と冠して揶揄すれば一言で終わる内容だ。
 所詮、教育などという代物は形式的でしかあれていない。
 ‥そんなこたぁ誰も重々承知なんだよ。


 「教育とは、過去を学ぶことから始まり、過去への敬意で綴じられるべきである」


 中には賞賛に価しない過去もあるだろう。でもそれがご先祖様の生き様だった。もしくは今である。
 「お前の所の先祖or親は情けねぇなぁ」なんてほじくり返されては、いつまでも胸を張れまい。
 ‥だってそうだろう。そこにしつこい隣国を相手にすればするほどそう思うばかりじゃないか。


 「また、自身の人生の蓄積に少なき者らに道徳という響き自体が不相応である」
 「叩き込むと言う意味合いで言えば、礼と孝である」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:22 | Comment(0) | 考察 | 更新情報をチェックする

2015年10月24日

【夢日記】現代の教育は、壁と机と椅子にこだわりすぎ

記稿.2015/10/24

> リアルな教室の風景に誘導された


 始めはゲームのタクティクス風の建物をアバターが移動している感じだった。
 ‥だんだんとアバターがリアルに生命っぽくなって、いつの間にか乗り移ってた。

 で、その建物の中の光景をあれこれ見ている内に、廊下に出ると、
 2クラスほどの繋がりのある教室の風景がそこに‥

 向こうの方から、「ようこそ」歓迎の声が掛かるものの

 まぁ夢だし、学校だし、俺は即行で立ち去った。
 ‥大体そんなん興味ないし迷惑だ。


> しかし、その夢はしつこかった


 いつの間にか、豪華なロビーの空間に居た。
 「まぁ特に興味なんかねぇな‥」と思いつつ、夢の流れの前後を考えてみるに
 「もしかして‥ここは学校なのか?」とふと思い、踵を返して見学することにした。

 人だかりだと即行で俺が逃げ出すからか、そこに授業風景は無かった。

 ただ、だだっ広く絨毯が引き詰められた椅子の置かれていないロビーそのままな感じながら
 ホテルのような教会のような多目的に使えそうな雰囲気を醸し出していた。
 ‥壁というか仕切りという概念を排除している。


 「まぁ、これだけですべては賄えまい」と考えると隣に移動していた。

 直ぐ手前に、図書館にありがちな配置の机と椅子が見られた。奥は視聴覚室だろうか。
 あまり良く確認しなかったが、その空間は二つになっていた。
 廊下伝いにさらに隣に行くと、これも二つのブロックのようになっていたが
 奥にはピアノらしき代物が見えた。

 そうするに

 「物事を考えさせて学ばせるのに、壁と机と椅子はそれ程に重視する必要がない」と‥


> 目を醒ましてからそこを考えていると


 俺の中にあった学校嫌いとは、
 沢山の机と椅子がキッチリと並べられている光景そのモノということになりそうだ。
 自分の席という限定が嫌いとも思える。
 ‥そう考えると、仕事ですらそういうのは選んでいないからそうなのかも知れない。

 それでも、俺の才覚は、机上での作業の方が向いているように思えるものだ。
 ‥兎に角、そういう机の並べられた光景が好かんということらしい。(早い話が社会性不適応)


> それにしても、夢の中の会話は、なぜか良く聞こえん。


 何語なのかがまるでよく分からん状態にしか聞こえない。
 どうせ夢だしするから適当に聞き流すことになるわけだが‥
 まぁ考えてみれば、ガキの頃から会話のある夢を見たためしがない。
 ‥ここ最近の突発感としての妙な変化がちらほらと見られる。


 俺の不器用は、そこまで不器用みたいだ。これはこれで、疾患としか思えない。

 そもそもにして、人との会話を前提にした生存的欲求が薄い。
 ‥まぁそういうのは、帰る家の無いこどもの行き着くコソ泥感覚に近いものがある。
 ‥無駄にそういったストリート感覚の筋書きを好んで読んでいたりする。

 そのせいか

 しあわせぶりな環境が前提にあるストーリーを見ていると、無性に空しくなってくる。
 ‥まぁなんというのか、別にどうでもいいやという感じだな。
 ‥幸せなる光景などという奴は、客観的にしか存在し得ないのだから、まぁ向こうの勝手だと。


 だからだろうか、しあわせぶりな会話のある日常的な夢見を味わうところがない。


 そもそもにして、画に描いた幸せを欲していない自分を識るばかりだ。
 ‥ある意味で、幸福の追求とばかりに縛られているだけの人類社会は迷惑だ。

 現代教育に見られる壁と机と椅子の関係は、特にそこを象徴していると思う。
 ‥高が行き当たりばったりの誰かの思いつきの文化色なんかそれこそ迷惑だ。

 もう一度言っておこう。

 「汝の浅はかな欲の皮のツラ的な糞文化を、他人の暮らしに持ち込むな!」
 「そこのくだらない糞競争を煽るだけにあるような教育の形なんか消えて良し」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 18:30 | Comment(0) | 日記/2015 | 更新情報をチェックする

2015年10月21日

【零戻メモ】穂と電子マネーの使い分け…その1

1-2)記稿.~2015/10/21

> 穂カードは、貴金属を使用しない点にメリットを置く(安価&そうしておく必要がある)


 しかし‥処理スピードにおいて
 レーザーを用いた媒体への読み書きは、ICチップ内蔵のカードに比べて劣るだろう点は否めない。
 その点、交通機関での利用時は、電子マネーが推奨される。(端末一体型含む)

 時間的効率が求められる場合には、そういう理解になるが
 そうでない場合は、穂カードでの支払いが、システムとしては推奨される。


> では、穂カードの金額を、電子マネーサービスにチャージし続けられるとしたらどうだろうか?


 誰もが、気軽にネット枠の電子マネーを利用して、フルチャージしておこうとするかも知れない。
 穂からのチャージが自由に可能なら、誰もがより気軽にネット購入を考えるだろう。
 ‥そうなれば、地域経済や労働意欲がどうなるかはまったく予想できない。吉と出るか凶と出るか‥

 一方で

 電子マネーでの買い物は(交通利用兼用タイプ)
 チャージした金額分のそれを保証しない扱いから、月使用分をまとめた枠での利用を前提にする。
 週間隔を単位にしたチャージ想定ともなれば、多少なりともその使い勝手に煩わしさが伴うだろう。
 その点で、穂カードにも分があり、使い分けの余地は十分あるように思う。
 (雲座からのチャージには金額に限りが伴うが、穂カードからはカードの確保意欲が限度になる)

 ※ 穂カード郵送サービスは地元自治体域内だけとし、管轄外への郵送は有り得ない。
   基本は各々で取りに行くことが求められる。
   ‥足を運んで貰えばこそ、各地域にお金が落ちるのであり、すぎた郵送サービスなど無だ。


 「‥で、是は成り立つのだろうか?」
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:57 | Comment(0) | 零戻メモ | 更新情報をチェックする

2015年10月20日

【ガンダム】鉄血のオルフェンズに思う

1-3)記稿.2015/10/20

> ガンダムの解釈がまた変わった感じかな


 主役側で、躊躇無く人を殺すタイプのガンダム乗り。
 今のところ心の中にそれへの不快も動揺も描かれていない。
 ‥あるとすれば、弱さへの憤りだろうか。

 今後の変化に注目と行きたいところだが

 組織上、ダチの命令で動いているという展開が、うんともすんとも苦々しい。
 自分の意思で殺しているわけで無いとした見方が、すれすれでずるい感じだ。
 そういう奴ほど、殺すことへの躊躇に後悔の色は薄い。


 「そもそも、それをガンダムでやる意味があるのか?」
 「ガンダムという影響力を過小評価しているとしか思えない」

 ‥変化させるべきなら、単純にダチが死んじまって、三日月がどう出るかになる。
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:14 | Comment(0) | アニメ | 更新情報をチェックする