1-2)記稿.2015/10/15
> “極楽”の翻訳の元になった“sukhāvatī”(サンスクリット語)の意味は
> 「幸福のあるところ」「幸福にみちみちてあるところ」の意味だという。
釈迦の教えの根っこには、生老病死があり、
死後の世界にしてみても、
仏教の描くそれは、解脱できぬ間は、六道をぐるぐると輪廻するとされている。
(※ 六道:地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界)
(仏教の転生は、人が人に生まれ変わるとは限っていない点に注意)
釈迦の弟子でさえ、仏陀が居てようやくにして、‘幸い’の入り口に立てていた程度だった。
釈迦が、末法の世になるだろう点を予見していたとは言え、
その後の‘極楽’の翻訳は、民衆に多くの勘違いを与えたとしか思えない。
そもそも
生老病死から始まる仏法に於いて
「幸福のあるところとは」一体何を意味するというのだろうか?
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