2015年11月29日

【短歌】お題‘幸腹グラフィティ’

記稿.2015/11/29

|つやごはん、あなたの血肉になりたくて、いま口に運ばるるこの瞬間(とき)


Koufuku Graffiti 01.png
Koufuku Graffiti 02.png
Koufuku Graffiti 03.png
Koufuku Graffiti 04.png


 「幸腹グラフィティ」とは、「かなめも」同様に
 お婆ちゃん子で、料理を伝授されていて上手という‥是はひとつの黄金パターンなのか、
 それとも、単にお婆ちゃんを描くのが面倒くさいのか‥
 さっさと姥捨て山扱いにも他界してしまっているという‥
 そんな設定から始まるところまでがパターンになっている。

 たぶんどちらの作家も、実際にはお婆ちゃん子ではないものと思われる。
 もしくは、おぼろげにしか記憶がないかのどちらかに思われる。ネタという見方もある。

 ‥兎に角このアニメ、如何にもうまそうに描かれているのが絶品なのである。
 是非アニメーションでご賞味あれ。



妄想AB劇場

> ぼくな絶対あの娘の口におさまるんや
> なに言うてんのや、わしら米粒やさかい、そないな選択権あらへん

> そんなことないやろ、ぼくらはすでにここの家の食材や

> あかん、あかん‥ええか、物事に事故は付き物や
> 例えば、どんなん?

> パターンその1、研いでる時に取りこぼれたらそのまんまや
> パターンその2、窯にへりついてしもうたらそのまんまや
> パターンその3、お椀にへりついてしもうたらそのまんまや
> パターンその4、お椀ごと運ぶ時にひっくり返ったらしまいや
> パターンその5、口に運ばれる時にポロッと箸からこぼれたらしまいや
> パターンその6、せっかく口に収まっても、咳やクシャミの噴飯に巻き込まれたらしまいや
> パターンその7、残り物の冷や飯になると、食べてもらへんというのもあるさかいな‥

> ええ、そんなにあるんか‥

> それに周り見てみい
> ぼんと同じ目しとるのがぎょうさんおるで、すこしでも油断しとるとはみでてまうで

> それでもぼく、あの娘の口におさまりたいねん、強く願っていれば絶対に叶うんや

> ぼん‥、自分ものわかりの悪いやっちゃな
> どうせわしら生きとし生けるものはみんな土に帰るんが道理や
> その道中がどないだったかなんて事になんの意味もあらへん
> そう思っとくのが自然体というものや

> ・・・それでも、願いが強ければ叶うんや!
> じゃ、勝負するか?

> なに言ってんのや、おっちゃんの場合、何が勝ちになるんや?
> それもそうやの、勝負にならんのう、ははははは


> なぁおっちゃん、あれなんや?

> ああ、あれか、あれはコクゾウムシちゅう害虫や、このままやと食べられてしまいよるの
> うそやろ!、この作品的にありえへん‥そうだよねおっちゃん
> まぁパターンその8ちゅうことや‥こないな時こそ、願いの強さなんやろ自分。

> 堪忍や‥あないな奴おったらお願いなんか無理や、ムリムリムリ絶対にあかん‥

> せやな、あかんわな、所詮わしらは誰の口にも収まるように出来とるんや

> ・・ぼく、あないな奴の口におさまるんやったら、取りこぼれた方がましや

> そんなら、あいつの口から取りこぼれるように祈りや、願いは叶うんやろ

> おっちゃんなに言うてんねん、いややわそないな誇りなさげなん
> ぼくらは間違ってもおいしい米粒なんやで、最期までド本命貫くべきやろ

> ならぼん、うだうだ言うなや、わしら最後まで自然体やで、胸張って米粒の意地見せたらんかい!


 ※ なんちゃって関西弁で書いてみました。お粗末。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:33 | Comment(0) | 日記/2015 | 更新情報をチェックする

2015年11月27日

【逆の見方】トイレの撥ね問題の根っこ

記稿.2015/11/27

 その昔、おしめを洗って干すのは大変な仕事だった。
 その昔、おしめを洗って干すのは大変な仕事だった。
 その昔、おしめを洗って干すのは大変な仕事だった。

 そこにパンパースなるものが発明されて、おしめ仕事はポイ捨てになった。
 おまけに、洗剤がもてはやされて無駄に黄ばみが無いのが普通になった。

 おしめを洗っていた頃のお母さんたちは
 おしめを洗ったあとの黄ばみを以て許容範囲としていた。
 だから、誰かのトイレの撥ねなんて気にしたことも無いだろう。

 でもまぁ、自分の着物に撥ねるのだけは気にしていたかも知れない。
 ‥男にしたってそこは同じだったはずである。


> 許容が失われたことで、無駄に誰かのしたあとの撥ねが気になるようになった。
> 無駄に綺麗であるという形のもてはやしも後追いし、ますます我慢できない性格になった。


 そのカリカリとした空気の漂う分だけ、近づきがたい空気を生み出している。
 結果として、触れ合いも自然消滅することになり、墓穴を掘っている。
 ‥赤ん坊だって、そんな空気では癒やされることなく、訳も分からずに泣くしかねぇのかも知れない。


> 赤ん坊にしても、その分、おんぶの時間が急減している。


 おしめを洗いながらのおんぶ。
 考えてみれば、ものスゲー重労働である。
 赤ん坊もその母の姿を見て育つのだ。
 ‥赤ん坊が焼き付けることになる世界からして違っていた。

 我が子可愛さへの許容にしても
 おむつの大変さが失われたことで、手軽さを求めるようになった。
 手軽さの求められる時代性も合い重なっているのだろう‥赤ん坊だってそうなるさ。

 ‥最近の若い者は根気に乏しい。まぁ織り込み済みってことだな。


> おむつを洗うという大事業が失われたことで、お母さんたちの何かが変わったのだ。


 大事業をせずに済むようになった分だけ
 穏やかになれるはずなのに、そういう事には成っていない。

 そういう形に成らないという苛立ちが、結局‥旦那共に向けられる。

 そりゃそうだろう。時間に追われるだけの欲しいに取り憑かれているし、
 そもそもの時間自体が奪い合いなのだ。

 でも、そんな忙しくなるばかりの競争社会に同意しているのは女性の側も同じことである。

 女性の側が競争に許容を保ち続ける限り、自らのイライラも消えることが無い。
 社会の黄ばみをどんなに許容しても、おむつの黄ばみ以上の許容が織りなした穏やかはやって来ない。

 女性の時代とか乗せられるだけ乗せられといて、その辺は結局手も足も出ないという‥
 ‥てかさぁ、男以上に何かを欲しがるようになっているのが傾向だ。

 だったらいっそうのこと、パンパースを禁止にして
 赤児の世話の大変さを復活させれば良いだろう。

 パンパースなんてものがあるから、赤児の世話が軽く見られているのだ。
 ‥否、それは女性の側の意識からしてもそうである。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:25 | Comment(0) | 刮目/2015 | 更新情報をチェックする

【アニメソング】KACHIGUMI

記稿.2015/11/27

> アニメソング‘KACHIGUMI’とは、(→歌詞


 らき☆すたのスピンオフ作品「宮川家の空腹」のオープニング曲である。
 どんなものかと確認してみたら、挑発的な歌詞の羅列に‥
 やはりこの世界観とは相容れないのだなと確信するばかりに至った。


 その中の歌詞にこうある。
 “お金じゃ手に入らないの 必要なモノは掴みとれ”
 そこでこう思った。

 お前らが手に入れようとしているそれらは、全部作り手のつくり物である。
 お前らが作り手になって、そこに渦巻く名声を掴みとるという話ならまだしも、
 そういうのをKACHIGUMIとは言っていない。(テーマとしてもオタク観のツッコミだしな‥)

 作り手としてのそこは、掴みとるモノではない。掘り起こすものだ。


> そう考えると、すべては内在されていないと始まらないのである。


 進化論を信じるなら尚更である。
 進化できるカラクリが内在されていないのなら、それこそ無駄である。
 掴みとれというのなら、それこそを得るべきだ。

 遺伝子的に不足があるから無理とか、そんなのは関係ない。
 見かけ上の不足とて、情熱に於いて変異できなければ、純粋に進化とは呼べない。
 情熱があると言う事は、願い繰り返すことだ。それで進化が起こらないというのなら進化論も無い。

 誰かが作りだしたモノよりも、ノウハウこそを得るべきである。

 確かにそれは、お金じゃ手に入れられない心と汗だ。好奇心とも必要とも言う。


> そもそも


 人間なる群衆は、集合意識においてすべてが共有されるようになっている。
 進化の方向性にしても、集合意識次第に置かれているようなものにある。

 だから

 消費独占・市場独占を求めれば、全体としてもそのようになり、
 勝ち負けしか意識できない群衆に仕上がることにもなろう。

 だかしかし、オタク的な視点で言うならば、それは‘勝ち’ではなくて‘価値’である。
 価値の下にひざまずいているような様だ。でもそうじゃない。
 この曲のそれは、希少価値を手に入れたとしてふんぞり返っている様だ。
 ‥そんな意識で作り手の側になると、ほとほとに六なモノしか作らない。作れない。

 オタクにしたってそこは十二分に心得ているわけで、この曲は、悪ノリしただけのお門違いだ。

 どちらかと言えば、ただの物欲賛歌だ。
 まぁそういう曲なんだけど、物欲にしても、手に入れんとしているのは、
 誰かの作り物だし、サービスだし、そこにしか興味関心がないしても、感謝を持つのがオタクである。
 ‥感謝を持たねぇオタクの推奨は、本質的にクレイジーでしかない。

 「一緒にすんな!、ボケ」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:19 | Comment(0) | アニメ | 更新情報をチェックする

2015年11月26日

【短歌】お題‘真田幸村’

記稿.2015/11/26

|赤備え紅葉の最期胸に秘め暁に帰らずとも道連れ


 ‥高校の頃の俺の感性の程度と言えば
 桜木花道と流川楓の対の意味がわからなかった。
 季節感に乏しい地域ですごしていたから、そんな程度だった。

 でもまぁ、花道にしても楓にしても、散りゆく光景を名前に写しているわけではない。

 季節感のある場所で過ごすのとそうで無いのとでは、
 詩情に於いての感性は、明らかに異なる。
 見通しの好い日当たりの良い部屋で過ごせるのとそうで無いのとでもそうだ。
 ‥はっきり言って、そういう意味では二重苦だった。

 もう一つ文句を付け加えるなら、

 山も川も海も揃った地域なのに、なぜか、雄大さに欠いていて目玉が無い。
 富士山を拝めていてそんなことを言っては罰当たりかもしれないが、
 詩人の魂としての感性からすると、何にも感じ入るところの無い場所だった。
 (海の地区の方にまで行くと多少味わいがでてくるが‥)


> 引っ越してきたってうれしくも何ともない。それがガキの頃の俺の印象だった。


 しかもそこの市章がまた好きになれず、
 何が好かんのかとずっと思っていたが、アレに似てたんだな。
 実によく似ているよ、真ん中にGは入ってはいないが、文字を意味するそれはある。

Flag of Numazu, Shizuoka.svgSquare compasses.svg


 ‥富士山を象ったヌの字と千本松をイメージした松葉を上下に組んだ形。
 ‥しかも地元の明治の偉人の名前に「六」が付いてんだよ。
 ‥その○六さんは欧米化タイプでな、そんな流れに一所懸命だった人っす。
 ‥会員だったのではと疑っちゃうよね。

 ‥しかも家から見える富士山の前に愛鷹山がかぶさっているもんだから
 ピラミッドの頭の部分にしか見えないような富士山を毎日拝まざるを得なかったと。
 まさにプロビデンスの目状態。愛を嘘吹く鷹がおおいふさがってるかのような組み合わせじゃん。


 でもまぁそこの地域住民は、反対反対反対で
 コンビナート計画も、新幹線計画も蹴散らしている。
 今現在は、古墳を残すか国道246号を通すか‥&鉄道を高架にするかどうかでもめてるっすね。

 で、昔からこう呼ばれている。(昔の職事情から出た言葉だと思う)
 「伊豆餓死、駿府乞食、遠江泥棒」と‥

 俺の哲学観の一端に絡んでいないとは、とても否定できない。
 ‥ああそうだな、奴らのやり方に甘んじるぐらいなら、餓死を選ぶさ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:32 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする

2015年11月25日

【グーグルマップ旅】徳島県県道287号線

記稿.2015/11/25

> 昨日、気まぐれにもグーグルマップで旅気分を出してみた。


 俺は、海外線には港があって、そこを中心に集落が形成されるものだと思っていた。
 ところが、徳島県県道287号線はそうではなかった。(阿南市、小勝島が見える辺)

 淋しい急峻な丘づたいを越えて、ようやく海が見えても
 辺りには、家がポツンと一つ二つ見えては、また急峻な細い丘づたいの路が続く‥

 ・・・その繰り返し、集落としての形をなしていない。

 「へぇ☆」

 路が路なのでバス停も見当たらない。
 グーグルマップビュー特有の対向車もまるでなしのところに、なぜか
 丘伝いの路脇に車が一台‥見るからに中で乳くり合ってそうな感じに止まっている。

 「へぇ☆」

 戦後の混乱期なら、農地があって目の前が海なら食料勝ち組だろうに。
 そのまま時代に置き去りにされた感のある風景。

 「へぇ☆」

 ‥戦後の日本は、全体がこんな感じだったのか。

 マイカーを手に入れるのは、女と乳くり合う為。
 当時はマイルームは日常ではなかったし、デートスポットも食い処も小規模だった。
 淋しい光景が広がっているところに、テレビで都会の風景を見せられれば、
 そりゃ、人混みの多さに憧れて、若者が都会へと足を伸ばすのはごく自然な流れだろう。

 でも、憧れてやって来た都会もまた人だかりが多いだけの、本質的には寂しい場所だった。


> アニメ育ちの俺は


 田舎と言っても、本数少なくてもバス停というものの痕跡ぐらいあると思っていた。
 海の前なら、集落で固まっているものだと思っていた。
 でも、そんな思い込みが通用しない地区があるんだなぁとはじめて理解した。

 世の中の政治に期待しない層が居てもそりゃおかしくないでしょう。
 選挙に行かない人口比とは、政治に手を抜かれてきた地区比率でもある。
 ‥概ねその恩恵を受けていない割合が日本国の40%に固定されていると考えていい。
 (地方票は、恩恵を受けた人数分の票数であり、出かけない人数は固定のままかも)

 昭和のバブルでジャブジャブしていても、景気なんてものは実質その程度だった。

 景気が悪くなると、さらに10%〜15%が恩恵から切り離される。
 残りの45%〜50%で選挙をやっているようなものだ。
 ‥その恩恵側にしても、多くがカツカツとしている。(不思議な景気模様だな)

 日本でさえそうなんだから、世界平和なんて文言も嘘八百といったところか。

 有史以来、世界平和とは言葉でしかない。
 精々実現できて地域平和ぐらい。そこに住み続けている人の気丈夫勝ちって所だろうね。
 ‥それも戦争に巻き込まれれば、失われることになるわけです。

 選挙に出かけない層だってそのぐらいわかっているだろうさ。

 わかっていないというのなら、日本も大したことがなかったことになる。
 選挙に出て来ない層が、自民党にダメを押しに行くと、簡単にひっくり返るのが現状‥
 対抗馬が無いのと、出たとしても背景の薄いのが課題。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:11 | Comment(0) | 日記/2015 | 更新情報をチェックする

【短歌】お題‘デスる’

1-3)記稿.2015/11/25

|デスり交う雲を手にした連中の藁をつかめと堂島しよる



 中之島とは、かつて淀屋が開発した淀川の中州。
 中之島は後に、幕府に公認されて、世界初の公設先物取引市場「堂島米相場会所」を経る。
 ここでの意味は、米を運ぶ→カネを持って来い。転じて、かつあげにゆすりの意。
 並びに、周りからすれば飛び火回避の相場同調の意。

 ‥不名誉な言い回しになるが、歌としては、しまりが好いと思った。


 ディスるとデスるは、意味がかなり違うようだ。
 ディスるにすると、‘堂島しよる’の意がネットイジメの意味に見えてくるかなと。お粗末。
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:42 | Comment(0) | 考察 | 更新情報をチェックする

2015年11月24日

【俳句】お題‘風呂’

記稿.2015/11/24

|牛乳を汗に飲み干す風呂上がり


 ‥‘汗に飲み干す’の言い回しについて考えてみた。

 文法的なことを言えば、‘汗と飲み干す’の方が良いように思えるのだが、
 「と」より「に」の方が心地よく聞こえる。
 ‘汗と共に飲み干す’の間が略されているものとして考えてみるに、
 これは、‘一気に飲み干す’の「に」でもあるのだろう。なるほどと思った。



|湯に浸かる沁みる湯加減冬の朝



 漁師が朝、沖から冬の港に戻ってきた後で、
 決まって風呂に入るとかなんとかというニュース映像を見たことがある。
 たぶん、冬だったとの記憶がある。まぁ冬の方がより沁みる気分に有り難みが出るというものだ。

 すでに既出のような気がしないでもないのだが、まぁそんなのは知らんのであしからず。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:33 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする

2015年11月23日

【俳句】お題‘東尋坊’

記稿.2015/11/23

|うねり来る凍て立つ波や東尋坊


 芭蕉の俳句の「荒海や・・・」というのがあるが、
 芭蕉が東尋坊にまで足を伸ばしていたら、「荒海や・・・」は没だったかもしれない。
 でも旅の季節は秋だったので、まぁ寄らずに正解だったかもしれない。
 当時の秋の越後の波であすこまで肥大して詠めるんだったら
 ‥冬の東尋坊はさぞやもの凄かったのだろう。

 それにしても、東尋坊の言葉を織り込もうとすると
 途端に季語で悩む。

 そこで‘凍てる’を選んだわけだが、ATOKのくせに標準で変換できん。糞。
 ‥季語系の単語ぐらい全部網羅しとけよな。何年手掛けてんだよふざけんな。


 ちなみに、東尋坊の冬の波は、津波並みの20m級なんだとか‥
 芭蕉がそれを見たらどう詠むのだろうか‥かなり気になった。

 著生は、東尋坊には立ってみたことがないので
 ‘うなり’と詠みたいが、‘うねり’にとどめてみた。あしからず。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 17:51 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする

2015年11月22日

【零戻メモ】機能分権平行割州制度

1-3)記稿.2015/11/22

> 地方分権の枠組みをどう考えるかはとても繊細な問題である。
> そこで、機能分権平行割州制度というものを考えてみた。
> 是はあまりにも斬新な見立てであり、根本的に意識の切り替えが求められる。


 まず、根っこの思い込みな話として、
 昔ながらの土地分けに従ったままに、そこに領地権のような形でセットで色分けしてしまえば、
 様々な用途から見た場合、途端に不都合までが行き渡ってしまう。

 民主社会にあるのなら、統治権を地域に委譲する形にこだわる必要はない。
 あくまで暮らしとしての機能性のみにこだわるなら、
 列島を用途別に色分けすれば、いくらでも平行的にエリア分けすることも可能と言える。

 それはちょうど民間事業を業種別に分けて、列島の図面を並べるようなものだ。
 ‥民で成り立っているのに、官で成り立たないというはずはない。
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:15 | Comment(0) | 零戻メモ | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

【短歌】お題‘テロ’

改稿.2015/11/20...20151119...

|平和をと国の掲げる旗の色、反テロ以上九条未満


 もう少しツッコんで‥
 国の所を‥世界と詠むべきか、G7と詠むべきか、安倍と詠むべきか‥。お粗末。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 19:54 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする