記稿.2015/11/26
|赤備え紅葉の最期胸に秘め暁に帰らずとも道連れ
‥高校の頃の俺の感性の程度と言えば
桜木花道と流川楓の対の意味がわからなかった。
季節感に乏しい地域ですごしていたから、そんな程度だった。
でもまぁ、花道にしても楓にしても、散りゆく光景を名前に写しているわけではない。
季節感のある場所で過ごすのとそうで無いのとでは、
詩情に於いての感性は、明らかに異なる。
見通しの好い日当たりの良い部屋で過ごせるのとそうで無いのとでもそうだ。
‥はっきり言って、そういう意味では二重苦だった。
もう一つ文句を付け加えるなら、
山も川も海も揃った地域なのに、なぜか、雄大さに欠いていて目玉が無い。
富士山を拝めていてそんなことを言っては罰当たりかもしれないが、
詩人の魂としての感性からすると、何にも感じ入るところの無い場所だった。
(海の地区の方にまで行くと多少味わいがでてくるが‥)
> 引っ越してきたってうれしくも何ともない。それがガキの頃の俺の印象だった。
しかもそこの市章がまた好きになれず、
何が好かんのかとずっと思っていたが、アレに似てたんだな。
実によく似ているよ、真ん中にGは入ってはいないが、文字を意味するそれはある。
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‥富士山を象ったヌの字と千本松をイメージした松葉を上下に組んだ形。
‥しかも地元の明治の偉人の名前に「六」が付いてんだよ。
‥その○六さんは欧米化タイプでな、そんな流れに一所懸命だった人っす。
‥会員だったのではと疑っちゃうよね。
‥しかも家から見える富士山の前に愛鷹山がかぶさっているもんだから
ピラミッドの頭の部分にしか見えないような富士山を毎日拝まざるを得なかったと。
まさにプロビデンスの目状態。愛を嘘吹く鷹がおおいふさがってるかのような組み合わせじゃん。
でもまぁそこの地域住民は、反対反対反対で
コンビナート計画も、新幹線計画も蹴散らしている。
今現在は、古墳を残すか国道246号を通すか‥&鉄道を高架にするかどうかでもめてるっすね。
で、昔からこう呼ばれている。(昔の職事情から出た言葉だと思う)
「伊豆餓死、駿府乞食、遠江泥棒」と‥
俺の哲学観の一端に絡んでいないとは、とても否定できない。
‥ああそうだな、奴らのやり方に甘んじるぐらいなら、餓死を選ぶさ。