1-4)記稿.2015/12/03
土地の自由・住む場所の自由こそが、きわまるところの贅である。
しかし、そう考える者も居るだろうし、そうでない者も居るだろう。
どちらにしろ人類は持てる技術を駆使して、空に海面に海底に地底に
好奇心ゆえにそこでの居住を可能たらしめんとして進出するだろう。
> その時、そこは国家だろうか?‥それとも自治区だろうか?
想定としては、何らかの領域に属しているはずである。
ならば、自治区という解釈が適当だろう。
自治区の区割を手に入れるには、創設に参加していた方が有利だ。
‥未来的に土地を手にするとは、そういう事になる。
> ところで、土地を売買の対象にした在り方は、どうなのだろうか?
仮に‥割り当てられたとしても、そこにずっと居なければならないというのは横暴というものだ。
かと言って、割り当てられないとなれば、あまりにも不公平というものだ。
‥それでなくても、土地の善し悪しそのものが、幸・不幸の吉凶を握っている。
土地に絡んだ様々な不公平を解消することはとてもデリケートな問題だ。
そこで売買という考え方が先に立ってきたわけだが、それにしても
それが公平な在り方だったかと言えば、元々の地権は何だったのかという疑問も募るだろう。
地権のそもそもはかつての栄華や権威であり、その子孫に譲られるのが当然とされてきた。
‥それは又、そこに土地としての性格が宿っているとも言えるべき中身を担っている。
一方で
理想を問うなら、住まう上で自治体を選べることは、個々の希望に適うべきだと思う。
‥それにしても、受け入れ枠には限度というものがある。
‥それはまた、土地の側が人を選ぶとも言えるべき性格だ。
土地に住む側にこそ暮らしの優先権が有るべきで有るのに
余所から来た者が、やすやすと資本の力で以て、移動先での優先権を主張するというのは
何をどう考えてもおかしな成り行きというものだ。
‥そのような横暴から市民を保護するのが自治権でもある。
> ところが、売買で地権を認めると、なかなかに話がまとまらない。
一度契約が済んだなら、多くの者は手放すことが無い。
‥そこがお気に入りであったなら尚更だ。
‥企業の所有とも有れば、地場産業の在り方とも絡み、色々と細かい話になる。
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