1-3)記稿.2015/12/17
馬鹿とは、不幸を招くから馬鹿‥
そもそもにおいて馬鹿の言葉はそれ以外の何者でもない。
または、ズレているからそのズレゆえに起こるだろう顛末を思い憂いて用いる言葉でもある。
計算ができないからとか、テストの点が悪いなどに使われる意味の馬鹿は
ただひたすらに劣等感に結びついていくものだが、どうしてそれはそうなのだろうか?
> とくに格差が絡むとそれは尚更に感情的になる‥それもどうしてだろうか?
馬鹿を上座に見て、自らの境遇が冷遇されていると感じると、途端に相手への気持ちが変わるのだ。
とくに社会への感情ともなれば、
もの思い付く年頃には、すでにこびり付くように出来上がってしまっている。
‥明らかに不公平だと感じている自分がそこに居てしまうのだ。
「それもまたどうしてだろうか‥?」
人それぞれの性格もあるにせよ、格差の上に立つ馬鹿の優遇は、社会的な因果関係に大きく絡む。
嫌でも批判の対象になるのに、お約束のように馬鹿ほど上に立てているのだ。
否、誰しも馬鹿にハマり、お馬鹿をやらかしているのが実際ということに成るだろうか。
まぁ大ざっぱに言っても、概ねで、肩の荷を下ろせそうな展開にはほど遠いのである。
‥なぜなら、お馬鹿には、褒めちぎってくれるおべっかしか取り巻きに寄りつかないからだ。
「それもまた、なぜだろうかと‥?」
そこにあるちょっとした感情にした所で、なにも常に能力主義を望んでいるわけではない。
‥ただ腑に落ちないのだ。そういう感情が絡むのだ。
‥時にはそれが、相手次第で怨みにも成るのである。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:57
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