2016年01月11日

【謎】ユダヤ教はどこから来たのか?

記稿.2016/01/11

> 今やユダ金のことを、「なんちゃってユダヤ人さんたち」と呼んで茶化している。


 しかし、この表現は的を射ていない。
 なぜなら、大戦以前もといヒトラー以前において、
 ‥ユダヤ人とはユダヤ教の信者を指して来た。

 それがイスラエルの建国と共に、ユダヤ人の解釈に変化が生じている。

 ‥もともと、ユダヤ人がおねだりしたようなイスラエルなんて国家性も、
 ユダヤ人なる民族も人種も無かった。
 すべてはユダヤ教の経典から始まっている。
 そのユダヤ教を受け継いでいるのが、キリスト教で、見せかけの拮抗がイスラム教である。


> ユダヤ教の出自はとにかく謎に満ちている。


 ユダヤ教の信者であれば、ユダヤ人‥
 それはつまり、無国籍であることを推奨している。
 無国籍であるからこそ、無駄に交わっていくことが自在でもあるのだ。
 それはつまり、白人の比率が高くてもなんら不思議ではない。

 そして、ユダヤ教の経典。つまり旧約聖書の中身である。
 ‥そいつが一神教を語りうる最も著名な原点にある。

 すると

 世界の多くは、有色の多神教であることに注目が集まる。
 北欧神話にしてもケルトにしてもそうだろう。
 世界の土着の神々の痕跡としては、どこも多神教であり、同時に白人人種では無い。
 ‥白人人種の多神教などという奴だけが、どうしたことか存在していないのだ。

 古代ギリシャ人をなんちゃって白人に仕立てたのは、それを隠す為だったとしか思えない。
 北欧神話にしてもその追跡に乏しく、古代ローマからのすり替えと大差ないと思われる。
 ‥そうだからこそ、ケルト民族が追われ、魔女狩りを徹底したのだと思われる。

 (ローマ軍の進軍の本当の目的は、白人人種の多神教をねつ造する為だった)
 (すべてを一神教にすり替える為にも、そのステップが欠かせなかったのだ)


> 絶対神(白人)の一神教などという奴は、まさに殴り込みのように発生したとしか考えられない。


 私たちが遡れる一神教の始まりは、エジプトの一時期である。

 その一神教にしても、ツタンカーメン王が後を継ぐとすぐに途絶えた。
 その当時の排斥された神官らが、地下に潜って、陰謀を企てたとしか言いようがない。
 ‥この推理は憶測でしかないが、それより遡るならソロモン王の頃よりの企てがあったのだろう。
 ‥どちらかというと、後者の方に思われる。

 何かしらの計画犯グループが存在してきたのは明らかである。
 ‥その者たちの目的は明らかだ、地球圏をキレイに乗っ取ることである。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:11 | Comment(0) | 刮目/奴ら絡み | 更新情報をチェックする

【発想】{目薬の木}×{腸内菌}={効用}という図式

記稿.2016/01/11

> 今や目薬の木は迷信と言われてしまっている‥本当にそうだろうか?


 昔と今の時代ほど、食事情の異なる時代は無い。
 それはつまり、腸内菌の事情もまた異なっていると言うことだ。

 目薬の木のようなただの木の皮から効用を得るには
 それなりに、有用に分解してくれる腸内菌が欠かせないという事である。
 ‥だから何らかの食事事情の中にその手の菌が形成されていたと言えるだろう。

 目薬の木の言い伝えを掘り返し、その土地の食事事情を調べてみる必要がある。


> このような考えは、漢方にも当てはまることになる。


 一つの成分では効き目が弱いのに、組み合わせると効能が抜群に上がるのは、
 腸内菌が材料を手にしたことで、より有益な成分を身体にもたらすからだと定義してみるのだ。

 すると、より効能を引き出すには、腸内菌のバランスなり環境にまで注目せざるを得ない。

 漢方の効く人、効きにくい人。まぁその辺の腸内菌を比較すれば良いと言うことになるだろうか。
 ‥このような着目点はまだ無いと思われる。
 ‥論文にまとめることができれば、大発見なんだろうな。まぁ頑張ってくれたまえ。


> 長寿国信州では昆虫食が見られる。


 ‥蜂の子を生きたままパクリとする奴だ。
 あれなんか腸内菌にもの凄く影響を与えていると思われる。

 江戸時代以降、外国から砂糖が入ってくるようになって、
 イナゴを佃煮にするなんてことになっているが、それ以前はどうやって食べていたのだろうか‥
 ‥ふと疑問を思った。(ちなみ、著生はイナゴはイケる口だ)

 カイコのさなぎを茹でてパクリと行くほどだから、そんな感じだろうか。
 それで長寿になれると‥子孫が長寿になっていくと‥
 そう考えると、じゃりじゃり感や偏見よりも有り難みが湧いてくると言ったところか。

 これは世界中の昆虫食事情とその腸内菌を調べてみる価値がありそうだ。
 ‥昆虫食と腸内菌と寿命のテーマでまとめることができれば、フィーバーである。
 ‥だってね、無理してまで食べたいと思わないし、怪しい薬飲むより自然食の方が安し。


> ちなみに著生の経験から勘ぐると


 青カビチーズを食って以来、痔持ちになって行ったように思っている。
 ‥西洋人と日本人との、その辺との違いを調査してもらいたいなぁなんて思っている。

 胃が受け付けないのに無理に二度も食ってしまった。二度目はさすがに残したけど。
 (西洋のチーズセットなんてのがあってね。その中に入っていたんだな。二十歳の頃の話)

 ‥西洋人は腸が短いからな、難いデカいし、多少長くなっても痔になんかなりそうにないけど
 ‥日本人は、ガタい小さいし腸が長めだからな。長くなっちまったらそりゃはみ出るよ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:07 | Comment(0) | 目の付け所をナス/2016 | 更新情報をチェックする

【先見】同性愛結婚の比率が程度高まることで起こるスキャンダル

記稿.2016/01/11

> まだまだ誰しもは同性愛に偏見を持ち、高をくくっている。
> それで無くても同性愛はどん詰まりを意味し、何が好いのかに説得力に乏しい。


 それでも変わった奴は居る者で、そいつの好みを批判してもしょうがないのだろう。
 だから、今から述べる点においてツッコむ奴もいなかった。

 ‥程度、同性愛結婚が増えることで
 普通に男女恋愛を楽しむ側もその問題性を抱え込むことになる。
 それは、パートナーの男友達・女友達を見ても嫉妬の対象になりかねないという異常さである。

 例えば

 それを取り上げるようなマスコミが現れたとしよう。
 そんな記事を読んでいる内に、次第に思考が侵されていく。
 とくに、家で過ごすことを好むパートナーが、外出好きのパートナーに対して
 男だろうと女だろうと‥どこかで待ち合わせるという中身の話を聞くだけで、浮気では無いのかと
 常に警戒しなければならない状況を孕むようになる‥

 社会的にそのようなケースが1%の割合で出現し出すようなら
 すでに、ニュースや記事にちらほらし出すのが日常になっている。
 ‥タレントなんか、普通に同性同士で歩いていてもパパラッチのネタにされかねない。


> とまぁそんなことにはならないとは思うが


 高をくくって様子見を決め込んでいると
 いつの間にかそっちの方の割合が肥大化し、割を食うことになりかねない。
 ‥試験管一つで完成できるからなんて看板が立つだけでもそうなりかねない。

 例えば、実験的にどんな子が生まれてくるのかに合意して誕生させるような試験管時代である。
 (それをネタに、実際には身体を交わす方の浮気も成立してくる‥)
 社会全体に、高度な科学者気質が満ちてくれば、嫌でもそうなるだろう。
 それが科学者の異常な好奇心としてある。アーティストでもそうだ。
 マイケル・ジャクソンなんか遺伝子的な掛け合わせへの好奇心があったようだし、
 世界的に絶大な有名人の影響を受ければ、そりゃもう歯止めなんか効かないのだ。


> そう考えると、それはまた


 誰しもが科学者レベルの知識を常識として身につけている時代と
 身につけることを争っている時代との違いでもある。

 ‥より○○だからという理由をかざして、行動原理にしているのが競争としてある。
 そのような状況はつまり、科学が進めば進むほど、好奇心の暴走を巻き起こす。

 科学を身につけることを争っているのが今の時代だ。
 それをそのままに続けていては、
 自由自由と言いつつ、まったくのDQN社会に突入してしまう種を蒔いているようなものだ。


> ‥先手を打って引き返すならば、


 競争という意識付けをまずは脇に置いて歩くことを選ぶべきである。
 そのような社会がどのような可能性を秘めているのかに好奇心を抱くことである。

 本質的に誰しもは、恋愛に競争なんか要らないと思っている。持ち込みたくないはずだ。
 でも、どうしてそのように平穏さを維持できていないのかということでもある。

 ‥より○○だからという意識付けは、どうしたってHAPPYで無ければならないと思い込む。
 そのHAPPYの定義にしても、それぞれで微妙に異なっている。
 そしてそれへのスイッチが剥がれることで、必要ないとの結論を安易に誘発もさせている。


 人の好みなんか、そうそう変わるわけもない。あるとすれば健康や体調の変化だ。


 それの区別が付いていないのだ。科学的な理解が乏しいゆえに。否、自身の経験値不足でもある。
 相手への思いやりを深める為に科学を用いるのに、偏見はあってもDQNは無いはずだ。

 ‥仮にあったにせよ、それは、思いやりに比重を置きすぎることで
 何が正しいのかが見えなくなる落ちである。(通常それを独善ともヘンタイ気質とも呼ぶ)

 人の思考の暴走を押さえる為にも健康に体調がある。それはまた
 自らの心身の変異の最中に正しき判断などままならないとして、自覚すべきと言うことでもある。


 ‥尤も、異常の中において異常を認知できるわけも無い
 特に、競争ともなると、自身の視野がそれこそ勝ち誇りしか見えていないことの方が多い。


 そんな時代に登場しているのが‥とは言わないが
 反発からの同性愛感情というのは、それなりにあるのだろうと思う。
 しかし、当たり前になってしまえば、元の木阿弥にならざるを得まい。それが人の社会感覚にある。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:05 | Comment(0) | 考察 | 更新情報をチェックする