記稿.2016/01/28
> へその緒を取っておくのは昔からの智慧だった。
へその緒を煎じて飲むとどうたらとか‥まぁそんな感じなわけだが
前代の科学では、へその緒には幹細胞を含むとある。
だったら、自分のへその緒に限る必要もあるまい。
自分の細胞から幹細胞を培養して、飲み込んじまえば好い。
肉の塊のように考えずに、ちびちび試せば好い。
もしかしたら、劇的に肉体再生を促せるのかも知れない。(総的なパフォーマンスの改善)
> 肉体の方が自動的に判断して肉体に吸収するはずだ。
ダウン症だろうと奇病だろうと自分の細胞を幹細胞にリセットできるんだったら
その細胞を自身に取り込むことで、少しずつでも緩和するかも知れない。
死肉を口に運んで悦になれるんだったら
自分の幹細胞を食らってみたらどうかというのは、どうと言う倫理にも触れるまい。
それは、自分の血・汗・涙を舐めてみるのと似たようなもんだろう。
> あとの課題点は
生のままの状態と乾燥状態からの服用とどちらが効果が得られるかなんてところか‥
目的はあくまで改善であり、一時的な服用と常用的な服用に差があるかどうかも気になるな。
あと‥他人のと間違えて呑んじまった場合の違いというのも気になる。
> 動物実験みたいな言い方をすれば
近しい種の幹細胞を呑み込むことで、どんな変化が見られるかという話でもある。
性格が変わったとか、食べる好みが変わったとか、好みの環境が変わったとかな‥
‥身体が、ただの肉と判断するだけなら、害など起こりようもない。
「安全性の確認とは、即ち、くだらない好奇心の確認でもある。」
「ああ、おもしろそう。」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 01:40
|
Comment(0)
|
目の付け所をナス/2016
|