1-3)記稿.2016/03/07
> サルトルを囓ってみたら見えてきた‥人類が唯物論に陥らざるを得なかった理由。
> ‥WWU後、世界を一世風靡した哲学者サルトルはこう言っている。
「人間の本性は存在しない。
「その本性を考える神が存在しないからである。
「それゆえ、人間は自らの本質を選びとった上で、未来を作り上げなければならない。」
↓ 前提をなす基本概念。
「実存は本質に先立つ」
※ 実存、今ここに在る存在。
容れ物が先に登場するものの、何が入るべきかは後から定義される。
‥人間という何かが先に登場はするものの、人間がどのようにあるかは決まっていない‥との定義。
神が先に登場していたとしても
神ですら、人間ひとりひとりをどうのようにすべきかは決めていない。
‥それを示すかのように、哲学が導かれている。
↓ 決まっていないからこそ自由だと語る。(だが‥サルトルの求める自由は角度が少し異なる)
「人間は自由である。人間は自由そのものである。
「もし一方において、神が存在しないとすれば
「われわれは自分の行いを正当化する価値や命令を眼前に見出すことはできない。
「われわれは逃げ口上もなく孤独である。
「そのことを私は、人間は自由の刑に処せられていると表現したい。」
サルトルの考え方に信仰や宇宙観など一切無い。そのような飛躍を枝切りしている。
お墨付きなどどこにもない。真実をどうこう価値付けるかも私たちだとしている。
あくまで人間中心主義である。今ある人間の持つ許容がすべてであるとした現実主義でもある。
‥人間であるがゆえに、どうするべきかを根っこに据えている。
人間の存在性・抱え持つ性質の矛盾すべてをそのままに認めた上で、敢えて
その意味を定義せずに、放置されているとして位置づける。
サルトルは、そこに見えたわずかばかりの開放感に自由を見出す。
だが、確信など得ていない。
‥これとした何かを得たいなら、自分で選びとって、未来を勝ち取れとしてそこで終わるのだ。
> 哲学と言うよりは、決意証明のように思える。
善も悪も問わず、あるがままを見つめざるを得なかったWWU後の世界に
この考え方は実にシンプルに映ったのだろう。
‥そして、そこにあった色合いを、人類の多くが、神との決別として解釈したことになる。
↓/続きを読む/↓