2016年04月25日

【ツッコミ】G7農相会合の宣言骨子

記稿.2016/04/25

> なんか不思議なことがいっぱい書かれているので書き起こしてみた


・女性の社会的地位の向上は農村を変革する。施策や成功事例を紹介する会合を開催
・家畜疾病のまん延防止に向け、獣医師を含めた政府当局間で情報共有を強化する枠組みを創設
・気候変動研究の取り組み状況を共有する国際会合を開く
・発展途上国での農場投資を促す会合を開催
・熊本、大分両県で相次ぐ地震の被災者に心からの連帯の意を表明。東日本大震災の復興が早く達成されることを期待


> 女性の社会的地位の向上は農村を変革する


 「は?、だから?」
 成功事例の情報交換をしましょう。では、開催が必要ですね‥(開催が趣旨???)
 あと、創設とか開催とか会合とか、そんなのばっかだな。
 ‥要するに、税金を使って、各地の視察も兼ねてまったりやりましょうにしか見えない。

 「はじめのそれは、好感度アップ用の振りですか?」

 他にも記事をググると、若者などの参入支援強化とか含めて言ってるようだが、
 肝心の農家の側の意向が何もうかがえない。なんの為の集まりをしようというのだろうか?
 ‥そうやって、イスを増やすのだけはお得意なんだね。(手順だけであと中身なしのパターン)


> 復興が早く達成されることを期待


 期待ってあんた、その会合の立場は官じゃないのかよ‥
 「それは民間有志の会合なんですか?」
 紛いなく、G7農相会合ってありますよね、「期待」じゃダメでしょう。
 達成されるように合わせて検討‥って方向で閉じるべきだろう。
 ‥他の箇所が振りでもそれなりに格好つけてるのに、どうしてそこだけ、本音なの?


 「ただ単に利権の集まりだって言わんばかりだな‥」
 「鐚一文、大衆にカネを回す気のない連中の口にしか見えん‥」
 「それとも何か、復興の権益はまったく別ですからと暗に示しているのか‥」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:56 | Comment(0) | 日記/2016 | 更新情報をチェックする

【提案熟語】デリケートをどう訳すか?

記稿.2016/04/25

> デリケート【delicate】は一般に繊細の意味に用いられている。


 しかしだ、最近の若い奴に見られる‥
 人前に出て何か発言しようとすると腹が痛くなるとか、吐き気をもよおす風なタイプを
 そのように表現するのは、違うと思う。

 ‥そういうのはそのままに

 即腹、即吐と書き表した方が通りが良い。
 しかしそれはその者の感覚であって、第三者に直接に言い伝えるには、症状としてよくわからない。

 そうなると、即鬱、即憂ということになるだろうか‥
 しかしそれにしても、鬱などという症状との区別が付かない。そこで、


> 並苦【へいく】:人前で普通にできると思われていることが難しい様。


 まぁこんな感じになるのではと思う。
 アスペルガー症候群等にも用いることができそうだが、どこが境になるかというと
 ‥人前が苦手という意識があるかないかだろうか。(ひっくるめると、意味としてはぼやける)
 (日常としては、当人に自覚が有るか無いかが相手に伝われば良いので、そんな感じかなと)


 「私、どうしても並苦なんです」
 「ああそうですか、それじゃ、我が社では、端末席ということになりますね」
 「あのう‥端末席ってなんでしょうか?」
 「我が社では、自宅勤務もしくは自宅待機のことをそう呼んでおりますが‥」

 (・・もしかして・・ここってブラック!?)

 「どうしましたか、並苦でもひどくなりましたか?」
 「・・・端末席でも一生懸命頑張らせて頂きます‥」


> 懸末【けんまつ】:並苦なのに人並みになろうとして頑張ろうとする様。


 「お前ってさ、並苦なの?」
 「なぜそう思うんだ?」
 「だっていつも一人で居ようとするじゃん」
 「ほう、それなら、そういう見方をする方が並苦なんじゃないのか
  俺から言わせればな、スマホと睨めっこばかりしている奴の方がよっぽか懸末だろう」

 「・・お前、それって自覚が無いだけなんじゃないのか?」

 「それを言うなら、お互い様と言うことになるだろう
  だからこそ、並苦は、当人に自覚があるかどうかが重要であって、
  第三者から誘導的に持ちかける言葉として扱ってしまいかねない偏見に用いるのは間違いだ」
 「つまりそれは、自己申告扱い用語ということになるのか」

 「そりゃそうだろう、気の持ちよう次第では、いつ直るとも限らないわけだからな
  こちらがレッテルのように貼っちまったら、迷惑なだけだろうが」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 09:34 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする

2016年04月24日

【二次創作】のんのんびより 24 ダブって欲しいのんの巻

↓2)改稿.2016/05/17...20160424...

 ー 四月。れんげ小六、凸激中一 ー
 れんげと凸激の仲睦まじい(?)生徒二人で通う分校生活が始まった。

 朝のバス停から一緒、教室でも一穂が寝落ちしている時間もまさにそれ‥
 ほぼ毎日が二人きりになるのだ。
 意識しない方が不自然といえば不自然に思える流れだった。


 始業式&入学式のその日の朝、飼育小屋の世話を終えると
 れんげと凸激は、教室に戻るのも息苦しいとばかりに
 校庭の鉄棒に寄り添いながら、しばし、のんびりと春の空気を吸うことにした。
 すっかり青葉ではあったが、
 桜の木の近くで過ごすことで、蛍が居なくなった気持ちの名残を味わおうとの阿吽でもあった。

 春の日射しの下、
 おもむろに、れんげがため息をついてこぼした。


 「ウチ‥とっつんが居てくれて、ほんとによかったのん‥」


 普通に聞いていると、それは意味ありげに聞こえてくるが
 凸激は、達観した風だった。


 「‥ああ、わかるわかる
  俺が居なかったら、れんげ
  今日から4年間、それこそ独り、雨ニモマケズの生活に突入だったよな

  朝はひとりで教室を開け、昼は姉の遅刻を横目で蔑み、夕刻まで姉の居眠りを見て堪える‥

  考えただけでも窒息しそうだもんな」


 「そうなんな、とっつんの居てくれたお陰で、それも一年程で済むん
  でもん‥その一年を考えるとなん、どうしてもウチ、耐えられそうにないん
  ‥そこで相談なのん、とっつんには、ウチのために一年ダブって欲しいのん!!」

 「・・・れんげ、お前それ、本気で言ってるのか?」
↓/続きを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:37 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする

【ツッコミ】破棄されたおにぎり映像

記稿.2016/04/24

 inigiri.jpg


> 誰かもう指摘しただろうか?


 このおにぎりは、どう考えても
 被災初日に、救助に出回れずに炊き出ししていた自衛隊の班の全力握り‥
 あまりの握力の強さにおいしくなかったとか‥

 まぁ他にもコンビニの奴でも残っちまってるようだし

 思うに、これは‥
 蓄え食料あるんだけど、とりあえず貰っとこう、並んどこうぜのなれの果て‥
 東北の時でも同じような破棄が起きてた話があるようだし
 これはこれで、配るタイミングやら配り方に問題ありってことのようですね。

 まぁしかし

 混乱時にそんなの誰も考えられまい。
 言えることは、初日に配って良いのは、レトルト&缶詰系のみってお約束にすべきだな。
 ‥とくに、自衛隊がご丁寧にも調理して炊き出すなんて、無駄というのがよくわかる。
 ‥自衛隊には全力で、救出周りに専念していただくのが一番だ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:21 | Comment(0) | 日記/2016 | 更新情報をチェックする

【四首吟】獄悦狂舞

記稿.2016/04/24

|消えるのも消すのも簡単人生の思いの丈は命有りき
|気がつけば立ち尽くして振り返る失敗失敗残念無念
|無念から臆病慎重疑念疑問‥辿れる道ぞ血の怨み
|怨みを啜り踏み越えり 狂気苦悶さえ 背負えれば生くる悦

|苦しくて駄目で元々始めからトコトン喰らわん恥の底
|底よりもどん底なんぞありゃしない 生きれば勝ちぞ勝ち地獄
|獄悦のゆかしと思わば狂い死に タフこそ極上 阿鼻上等
|上等に価値など有らぬ化かし合い 無様もなれれば根こそぎ悦

|美学など個人の勝手思い込み 貫かんと前に己を知れ
|己を知れりその果てに 醜から美への果てしなき泥沼芝居
|芝居の果てに何を見む 端から全開 本音こそがひとの髄
|髄に沿う生き様なくば平和もあらぬ明日もあらぬなんとふぬけ



稚草

 ‥歌リングですね。闘争アニメも見過ぎるとこういう感覚を身につけると。
 いやぁ、そりゃ、何十年と戦闘戦闘ってお馬鹿な表現を見続けてるわけですから
 潜在的に感じ入ってる部分があるわけですよ。

 そこの何に魅入られてるかっていうと、そういうことのようですね。

 あ、でも、恥知らず×恥知らず=嘘の化かし合いばかり
 ‥ってのは、現実社会をご覧いただいていれば、もはや呆れんばかりっすね。


> どうしたら好いかって?


 そりゃ、何が平和だったのかを思い起こすことですよ。
 そこを思い起こせない、踏み出さない、まぁふぬけってことだそうです。
 ‥詩人としては、そこを文字に刻めないって段階で、くだらん言われてるってことですよ。

 最終的には、お花畑をどう表現するかってのが真髄なんだろうなと。
 ‥でも、お花畑だけだと誰も振り向かない。その辺の矛盾をどう捉えるかでもあります。

 いやぁそれにしたって、

 獄悦狂舞の詠みの世界観を行って来いってのは、遠慮したいところですな。


> 例えば、ヒトラーが語っていた、子供の国日本‥


 それはある意味、ヒトラーの戸惑いでもあったのだろう。
 戸惑いがあったとしたら、そこに有ったのは、イコール技術大国という背景になる。
 「なぜそれがイコールで成り立つのか?」
 ヒトラーには謎だった。まぁそうなるだろうね。
 不可解な存在を排除したい。否、利用しよう。引き込んでおけば、問題なし。
 ‥で、政治家共々合わせて、人類を手のひらで踊らせてきた‥恐怖というダンスを。

 恐怖を乗り越える凄みとか完成度とか努力とか‥
 ‥まぁそんなのは、外野なんだけどな、そこに魅入られているとなかなか抜け出せない。

 実際は、お花畑スタートで全然OKなんだけど、それもまたジレンマだという感触。
 ‥毒されてます、毒されてます。で、行き着いたのが適当という流れになる。
 ‥適当が一番とか言ってると、妄想が激しくなり、不能の自分とご対面だ。


> 何事にも積み重ねと、それが日常に沿った具体的なイメージになって浮かぶかどうか‥


 積み重ねもない癖に、
 妄想だけが先走ってイメージが先に来るってのは、ある意味でセンサーが故障した状態だ。
 エラーが発生しているなら正す必要がある。(就職競争自体がそんな流れだ糞)

 まぁ、やりたいことの積み重ねってことになるだろうね。良い意味でも悪い意味でも。

 で、頑張っているのにイメージが来ないんだったら、そりゃそこにもセンサーの故障があるんだよ。
 イメージなんてのは、何も自分で考えずとも、誰かに感化されて爆発することもある。
 ‥己の世間を見ている角度がズレてりゃ、残念にも反応が来ない。
 ‥そしてようやく見つけたかも知れないそれを、自分がすべきかどうかも判断できず彷徨う。

 そんないろいろを‥みんなでバカバカ言ってると、標準が合わないという落ちにもなる。

 ‥馬鹿とか言う前に、ほめられる何かを提示すべきだろう。無かったら考えるしかない。
 そこを考えられもしないのに、他人を馬鹿よばりすることを優先するから尚更にイメージが来ない。
 なにが本当の馬鹿かっていうとそういうことだよね。そういう甘さに酔っちまうんだな。


 (どちらかというと、糞表現の方が、不用なモノの排泄の用を語るだけだから問題なし)
 (クセーとかイジメ言葉でよくあるが、何が臭うのかを考えさせる意味では問題なし)
 (自分を含め相手の存在否定にスイッチオンになると、自身に跳ね返ってくる。そこが肝)
 (自信なさげに頑張らないっていうか、ただぼさっとするばかりも同じだろうな)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:19 | Comment(0) | 刮目/2016 | 更新情報をチェックする

2016年04月23日

【提案熟語】センチメンタルをどう訳すか?

記稿.2016/04/23

 センチメンタルの翻訳は一般に「感傷的」とされている。
 グーグルで中国語の方を確認したが「感傷」になっていた。
 (‥これは、日本からの輸入だろうか、それとも並行?)


> で、思うに


 日本人の感傷的という言葉の印象を考えると
 それはたぶん、思い込み的な感性に偏った使われ方をしていて
 勝手に煩っているような感じに思えなくもない。

 昔の一頃の懐かしさを振り返るような気持ちを表現するには、
 どうにも違うんじゃないのかな‥と、そう思った。


 ‥そこで考えたのが、回想と感傷の中間ぐらいな気持ちだろうとして

 旬想、旬懐、懐傷を思い浮かべた。


 懐かしい頃を人生の旬と解釈して思うから
 旬想【しゅんそう】、さらに強調したいなら旬懐【しゅんかい】

 でも、それほど距離感の無い日常だったなら
 旬傷【しゅんしょう】かなと思うが、ぱっと見‥訳わからん。ピンボケ感ありありだ。
 ‥それは懐かしさなのか青春時代の傷なのか、その辺が曖昧になる

 表現したいのは、もっと身近な日常での懐かしさの振り返りなのだ。青春時代に限定はしたくない。
 そこで、懐傷【かいしょう】かなと思った。

 懐傷【かいしょう】:過ぎてしまった時間を懐かしく思い出した様。うれしい様。
 懐怨【かいおん】:過ぎ去った時間を無駄にも思い出してしまった様。不快な様。少しは大人目線。


> 昨夜、子供の頃のアルバムを見て懐傷してました。
> 昔なつかしい駅弁の味に懐傷です。


 まぁそんな感じ。
 今時の日本語を見ていると、誰しもが馬鹿の一つ覚えのように
 「感動」しましたと言っては、その言葉の単調さに疑問を抱いていない。
 それは、どうにも違うだろう。そう思わざるを得ないのだ。

 で、向かった方向として誕生してるのが、若者用語の「ヤバイ」表現‥

 詩人としては我慢ならん。
 ‥それはまるで、中指を立てつけられた心境だ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:08 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする

【四首吟】お題‘とみこうみ’

記稿.2016/04/23

|人間を味わいきらずに疲れちゃう 遠見近見の世間の渡り

|渡りきらむとす人の斯様な願いなど 天に願えど人は知らん

|知らん顔している互いの言い訳を 如何に聞こうとどうもならん

|成らんから棚に上げても余計成らん 腹割って話せ まずはそれから



稚草

 左見右見と書くのは当て字だそうだ。
 そこで
 読みの【とみこうみ】を、遠江(とおとうみ)近江(おうみ)
 に見られる訛りのパターンと考えると、遠見近見と書くのが筋なんじゃないのかなと‥

 遠くを見通せば、近くのそれに対する見方も変わるのだろうが
 それにしたって、近くに集まる人の関心も捨てがたく気になるのだ。
 意味としても「あちらを見たり、こちらを見たり」と同じになる。
 ‥どちらかというと、遠くを見るか近くを見るかで言い表した方が賢そうだ。

 そう考えると、左見右見の方の当て字は
 世間様の先見が賢くなるのを嫌って、封印されたような感じに思えなくもない。
 ‥それとも、遠江の読み間違えの増えるのを嫌ったか。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 19:18 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

【二次創作】のんのんびより 23 卒業と蛍の巻

改稿.2016/05/14...20160423...

 ー 時は過ぎ、すっ飛ばして、蛍が卒業間近の3月 ー

 その年は例年になく、早くに桜が満開になった。
 卒業式まであと僅かばかりだった。
 三人は、机を窓際に沿い付けて、しばしの窓辺咲きを楽しむ。

 ‥凸激は懐傷にも、自分が転入してきた時の事を思い返していた。
 ‥それは蛍にしてもれんげにしても同じだった。


|過ぎし日々追い綴らむと花の咲く卒業近づく友との窓辺


 ついに卒業式の朝。
 蛍が記念に写真を撮ろうとカメラを持ち込んでいた。
 少しずつ散り始めていた桜の前、三人で一緒に写真を撮った。


|けふ風にひとひらひとひら散れり花 思いとどめむ卒業す友


 長かったような短かったような‥蛍との分校生活が終わった。
 卒業していく蛍の胸中が如何ばかりかなど、凸激には知る由もない。
 ‥ただそこに募る気持ちは、誰が巣立つ側でも変わらないのだろう。
 ‥桜だけが、それをよくわかっているようだった。


|舞い降って花も祝うか門出咲き泪か笑みかうしろがみ覚ゆ


 卒業式が終わった。門出咲きのその中を蛍が去っていた。
 四月からの旭丘分校の生徒は、れんげと凸激の二人になるのだった。


|在校の幹を残し友巣立つふたりだけに減りさびしき分校


 ‥この日
 凸激は、自分にしても小学校の卒業式だったが、そっちはまったく気にすることがなかった。
 なにしろ、また同じ校舎に通うのだ。それが旭丘分校に通うこの地域の事情だった。

 凸激が目標だった中学課程をやりきれたかというと、幾分まだやりきれていなかった。
 ‥そういう意味合いも含んでいたかも知れない。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:21 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする

【詩】妄想からの脱出

記稿.2016/04/23

> 動きと動きとが絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ
> 命と命が絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ


 命のやりとりがとくにそう‥攻防一体の達人芸‥
 実力は五分五分、釣り合っているから起こり得る生き生きとできる瞬間‥
 でも、命のやり取りだったら、繰り返すことは叶わない‥


> 主張と主張が絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ
> 私が求めてあなたが求めて絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ


 私の妄想だったそれが、あなたの妄想だったそれとなぜか共鳴していた。
 それが広がれば広がるほどに、現実感が湧いて来た。
 でも大きくなりすぎると、誰も私を肯定しなくなった。

 それは簡単な理屈だよ。私の妄想が、私たちの妄想にすり替わったからだ。

 「私たちの妄想と共鳴するあなた方という妄想はどこにあるのだろうか?」

 それは常に戦いだ。意見の衝突だ。家族としてのそれではない‥
 私たちが家族になったという証として、どうして分離を描かせるのだ!
 誰だって、冗談じゃないだろう。それこそ妄想だ。誰にでも共鳴する妄想ではないのだから‥


 「だから、どんなに共鳴が起きたとて、精精は家族と呼べる大きさにしか成り得ない」


 そうだ。そこに村ができたとて、
 余所の村に影響されて、そもそもの共鳴が失われたらそれはお終いになる。

 しかし誰しもは‥
 そこに見えた大きな何かに憧れて、家族になろうとする。なりたがる。
 でも、その憧れは‥どうしたって家族ごっこだ。

 そこに見えだした勢いのある村とは、良かろうと悪かろうと
 誰かの共鳴が土台となり、柱となり、梁となりそうやって構築されてきた。
 「あなたがそこで暮らすことを夢見たとて
  あなたはそこの暮らしに何を添えられるというのだろうか?」
 ‥そこが空っぽで、ただちゃっかりと居たいだけのお客さんとしてなら
 いずれお暇しなければならないばかりだろう。

 だってあなたは家族として住むことを望んでなど居なかったのだから‥
 ‥どう見たって、お客さんだった。

 例えお客さんでも、気の良いお客ならそれなりにちやほやされて長居もあるかも知れない‥

 でも、どうして、住んでいる人たちの気持ちを掻き乱すような人が受け入れられるだろうか?
 ひっくり返さんとした思惑を少しでも抱えていたなら、そこで暮らせることなど有り得ない。
 家族になろうというのに、そこに居る人たちを追い出そうと目論んでいるなら尚更だ。

 「人は其を否定と呼び、忌み嫌う‥」

 余所の村と影響し合えば、良くなるだろうなどと考えるのは、それと一緒でどうしようもない。

 始めから支え合うことが目的の連合にあったなら、始めから共鳴して在り続くだろう。
 ‥もし、そうでなければ、中はどんどん朽ち果てて、見るも無惨に引き裂かれるばかりだ。


> その中で、あなたはどんな妄想を描いている‥囁いている‥叫ぶのか‥


 あなたが、心の底から嘘を張り上げてみても、誰にも共鳴するまい。
 「あなたの本音の叫びとはなんだ?」
 「嘘の叫びに、あなたは満足しているのか?」
 もし仮初めのそれに満足があるのなら、そこに起こり得る共鳴は、あなたを幸せにはしないだろう。
 その後に訪れるだろうあなたの後悔が、精精の満足感という程度で費えることになる‥


 仮初めに見えている誰かの共鳴の華やかさを真に受けて、横から掴もうとする必要は無い。
 あなた自身の本音の妄想が、いずれ共鳴を起こすだろう。
 しかし、本音をわからずに疎かにしていては、
 そこに起こり得る嘘の共鳴は、いずれあなた自身を嘘の谷に放り込む‥


> 大好きと大好きが絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ


 ‥そこを発見しようとしないのでは
 いつまで経っても、仮初めに見えるばかりの共鳴に翻弄されるばかりだ。
 「なにをしたいのだ?」
 妄想一つ取っても、本音で大好きを貫き通せぬ者に、大好きでいっぱいになど訪れるわけがない!
 少なくとも、あなたがその中で‥死に切れる瞬間など訪れやしないのだ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:59 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

2016年04月22日

【アイデア】避難タワーの最上部を筏にして備える

記稿.2016/04/22

 避難タワーの高さは概ね、15〜20m。
 それ以上の高さの津波への対応は諦められている。

 しかし


> 最上部を筏構造にして備えればどうだろうか?


 それ以上の津波が来ても、筏となって浮いて流れるならそりゃまだ望みが持てる。
 車いす避難だからって、うなだれることも減る。


> さて‥アイデアは良いとして、問題は流されるパターンと流された後だ。


 想定1として、一番に望ましいのは
 だんだんと水かさが増してきて、体よく筏が浮き出すことだ。
 (入り口には扉を設けてガッチリ閉められる様にしておくのは当然だが)
 流されっぱなしでは困るので、命綱をどこかに結んでおく必要がある。
 (簡単に切れない経年劣化しないという点で考えれば、炭素繊維になるだろうけど)
 どのぐらいの長さを用意しておけば良いのかでもある。

 ふつうに考えれば、長くても500mぐらいだろうか。
 できればその都度、自動である程度の長さまで巻き戻してくれた方が良いのだが
 津波の強さを考えれば、早い段階で巻き戻すのは無理というものだ。


 想定2として、タワーと同じぐらいの高さの津波が一気に勢いよく押し寄せた場合である。
 この場合、うまく浮き出すことが肝心だが、
 そのような場合でもうまく浮き出せるような構造である必要がある。
 そして命綱の対応が悩ましい。勢いが強ければ強いだけ押し出す力も強く流され、距離も遠くなる。
 ある程度の長さがあれば、そのまま、釣りに食いついた魚状態で釣り合っていられるだろうが
 勢いが強いとどこまで引っ張られるかわからない。釣り竿ごと持って行かれる様では困る。
 そこの力学の釣り合いの程度がまるでわからない。


 想定3として、想定を遥かに凌駕する高さの津波がやって来た場合、
 嫌でも上から叩き付けられる次第になる。
 その時、筏状態の上部がうまく離脱して浮くのかさえ危ぶまれる。
 上から叩き付けてくる高さが増せば増すほど、筏の破壊が想定されるのだ。
 その前に、人体がその衝撃に耐えられるかということにもなる。

 ‥構造上の備えとしては、早々に投げ出されないような工夫がまずは求められる。
 柵の高さにしても見晴らし用になんかこしらえていないで、 
 人がこぼれ落ちずに済む高さを設け、さらには、周りにネットを絡ませておく必要がある。
 できれば、柵を取り外しても浮きになるような備えが求められる。
 (外すというか‥くくりついている浮きが引っ張り出せるような何か)
 (引っ張り出したそれらをつなぎ合わせると、つかまっていられる箇所が増やせる構造)


> 想定2と想定3の場合


 命綱の流される距離を長くし過ぎても、どこかで絡まって、筏が不安定になりかねない。
 だから、ある程度まで流された後、一定以上の力が掛かり続けて想定を越えた場合、
 自動で切れる構造の方が良いのかも知れない。(どちらにしても最初の内は内陸側に流される)

 筏を二重籠構造にして、すべての隅と中に浮きを散らばらせて置けば、
 絡みやすいネット網を使わずとも、こぼれ落ち出さない構造にはなるだろう。
 その場合、仮にひっくり返っても上も下も関係ない。
 でもまぁ濡れずに済むと言うことは無いだろうし、赤ん坊や幼児にはキツいだろう。

 そういう意味では、とりあえず入っとけと言うカプセルスペースは求められるが
 常時、掃除が行き届いていなければ、必ずしも清潔とは言い切れない。


> まぁ後は、筏とやらのデザインがどうなるかということになるだろうか‥


 このアイデアは、山間部河川の避難タワーとしても使える。
 山間部の避難タワーに求められるのは、せいぜい5m。それを越えたら筏で浮いてる‥
 想定1で対応できるから、筏にくくりつける命綱の長さも想定内で行けると思う。
 ‥二日程凌げる体力があれば、十分に救助される可能性を期待できる。

 でもまぁ設置に積極的ではないだろうから、

 ‥良いとこ、河川敷のグランドにお目見えしましたぐらいでポシャりそうだ。
 ‥河川敷に5mの眺望台として考えると、見聞人にはそれなりに人気はでるだろう。
 (でも、雨の日にグランドを利用している人も居ないので、役に立つとは思えない)
 (せいぜいが‥設置した筏が想定を越えて流れていた、それに掴まって助かったぐらいの要素)

 (多摩川の河川敷ぐらいあると、20mで用意しても見晴台としてスポットになるだろうけど)
 (それにしたって、津波対応としては良いにしても、増水対応としては地盤と漂流物が問題だ)

 山間部で5m以上の増水が流れ込んでくると言うのは堤防破壊のレベル。
 ‥予算を掛ける順序としても悩ましい限りだろう。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:47 | Comment(0) | 目の付け所をナス/2016 | 更新情報をチェックする