2016年04月14日

【参考】詠みとポカ

記稿.2016/04/14

 ポカは誰にでもある。
 ハイになればなる程、右も左も同じに見えてしまうことがある。
 ‥トポロジー的錯覚だ。

 冷静になってよくよく考えてみれば分かることでも
 なぜか、分からないという事態に陥っている。
 ‥まるで初心者に成り下がる。

 例えば

 同じことばかり繰り返していても、トリックのように間違える。
 ピアノでも指の運びにそんなミスが発生するという。
 じゃ、毎日の練習なんか程ほどで好いじゃん。気分が乗った時にやるだけで好いじゃん。

 ‥しかしそれはそれで

 自分で自分に、スイッチを自在に入れることができるかどうかという点に注目が集まる。
 スイッチの入れ方を学ばせたいなら、スパルタもありだろう。
 でも、楽しみたいだけなら、気持ちが大切と言いはじめる‥


> モチベーションなりやる気のスイッチは、自分で入れるモノだろうか?
> それともやって来るモノだろうか?


 うーん、まぁ両方必要だろうね。
 でも肝心なところは、ポカやミスの発生時にどう対処するかである。

 ポカは、気がつかないからポカに繋がるのだ。ミスにしても同じである。
 まぁそういう時は、素直にその失敗を受け入れるしかない。


 傲慢にならない為にも、初心に帰る必要がある。
 ‥脳や体の全神経が、そんなことを言わんとしているのかも知れない。
 ‥もっと違う刺激が欲しいから、休みたいから、距離を置くべきだから。


 自らへの労りなり、他への労りを忘れていると‥そういう流れも醸し出されるのだろう。

 お互い様なんだから、そういう場合、どう対処されたかという所に次の注目が行くはずだが、
 ‥でも大抵の大勢は、無駄に期限や本番での完成度を要求してしまう。


> なぜゆえに、そんな勘定にハマるのだろうか?
> それはそんなにも‥絶対に外しては成らないのか?(事と次第に依るだろうけど)


 罵りたいから、嘲りたいから、自分の方が勝っていると思い込みたいから‥
 まぁ確かに、そう考えると、それだけの社会なんだよ‥競争資本なんてさ。

 ‥それをプロとか言われたら、楽しむと汗するのバランスは誰にも見えて来ない。

 人それぞれで、成長の度合いも飽きっぽさも異なっている。
 育ちにも因るだろう。暮らしにも因るだろう。民族にも因るだろう。

 ‥そんなにも異なっていて、人はどうして、やたらと外の文化を取り入れたがるのだろうか?
 ‥どうして外の方が優れているというように思い込むのだろうか?


 本来的なことを言えば、生まれ変わった方が新鮮に呑み込めるだろう。言語のように。
 ‥無理に違いがあるというのに、取り入れる必要など無いと思う。


> そんな気持ちをめぐらせていないと、定型句での詠みはどうしたって読み切れやしまい。


 「削ぐに非ず、まずは用意しないの心得なり。構えないの心得なり
  ポッカリ空けていれば好し、そこに己の気持ちが注がれるだろう
  勿論、ある段階を維持していないと開かない扉もある。その逆も然り

  ‥その為にも、知るという事への好奇心は欠かせまい。その逆も然りなり」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:31 | Comment(0) | 日記/2016 | 更新情報をチェックする

【プレバト】つつじと鎌倉大仏、俺も詠んでみた

記稿.2016/04/14

|聖衆の祈りのつつじ 高徳院

|諸々のつつじを愛でる阿弥陀仏

|鎌倉の歴史添えたる燃ゆつつじ

|躑躅さそう阿弥陀の縁ゆかし古都



稚草

 今回は調べちゃいました。(高徳院なんて単語‥押さえてねえからな)
 鎌倉の大仏は阿弥陀仏。(まぁ外に置かれているというニュアンスではあるな)

 ‥あんまりにもかっこよく詠みすぎると
 鎌倉はツツジの苑だ‥なんて次第になってしまうので
 その辺を引き算しながら詠んでみた。

 まぁ昔は、ソメイヨシノは無かったから、躑躅で一杯だったかも知れないし
 梅だったかも知れないし、桃だったかも知れないし、山桜だったかも知れないし
 まぁそこまではググっても引っかからないだろうから、妄想過ぎてもダメだろうね。


 蓮の花と言ったら盧舎那仏‥
 つつじと言ったら阿弥陀仏‥と使い分けても似合いそうかもな。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:24 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする

【二次創作】のんのんびより 19 夏を味わうの巻

改稿.2016/05/11...20160414...

|茂り狂う緑にどっかり雲の峯 注げり暑さに揺らぐみち


 外も暑かった。
 日中に家で勉強ばかりしていたせいもあっただろうか‥
 凸激には自分の体の感覚が、どこか鈍っているように思えた。
 ‥歩いているのもしんどく思えて来てもどかしかった。


|へとへとす木陰に退避 日なた見る‥あんなにまっしろ 気分まっくろ‥


 これは何か相当にヤバいのではないのかと思うと
 凸激は栄養補給が必要だと思い、久しぶりに駄菓子屋に行くことにした。

 「そういえば、かき氷があったよな‥」

 ‥今こそ食うべきだ!
 食わずに夏を通り過ごしては、楓姉からも後で何を言われるか分かったものではない。


|蝉やかましや氷シャリシャリかきこんで染みわたる夏の涼


 駄菓子屋に着くと
 凸激は一番高い宇治抹茶金時を注文した。

 「なんだよ、かき氷食うのかよ」楓がそうツッコんで、さほど経たずして‥

 凸激が二杯目を注文した。
 同じ物を注文するそのパターンに、楓はいつになく呆れた。
 そして、また同じかき氷の三杯目を凸激が注文すると‥


 「大丈夫なのか?」
 「なにが?」
 「いや、その腹の方だよ、いくら何でも普通、三杯はイカねぇだろう」
 「又、後で寄るのも悪くないけどさ、腹も減ったからそのついで」


 凸激はその日から外を歩くようにした。
 ‥さすがに、太陽に弱いなどという自分の身に起きてしまったその感覚が気に入らなかったのだ。


|夏空に憎いほどまっすぐ向日葵のじりじり迫る盛り丈


 凸激が時間を決めて、夏の外を歩き始めるようになると
 いろいろと欲が出て来た。
 ‥考えてみれば、越して来たここら山里の夏を堪能しないのではもったいないのだった。


|掻きむしる夏にあぐねて飛び込めばザッパンと川に涼しさ跳ねる


 肌もだいぶ黒々としてきた。
 暑さにも慣れだすと、羽目を外して川の流れに飛び込んでも見たくなる
 凸激にしてもそこは変わらなかった。


|ヒグラシの夕暮れ綾なす帰り道 すっかり残照灼くる余韻


 気がつけば、外をぶらぶらしている時間も長くなっていた。
 自分の体調が充実感に満ちてきていて、凸激にはゴキゲンだった。


|すがすがし昇る光で息を吸い 夏に挑まん再びの朝

|絶好調そうめん啜る勢いのツルリと喉ごし夏の昼


 こうなると、自分のペースというのが充実してくる。
 食欲も湧いてきて、あれほどに暑苦しく感じられていた家での学習にも集中力が戻っていた。


|「沈むのか‥」遥かに消ゆる熱き日よ 背影立ちたる思い余りぬ


 それとなく自分なりの景色のベストポジションを探すように
 凸激は、夕暮れ時を狙って足を運ぶようにした。

 ‥その暮れていく‥
 この日一日の夏の夕日を見送りながら、凸激は思うのだった。
 今日もまた暑かったが、乗り越えられる自分が居てこそ、夏は味わい深くなるのだと。


|夏休みけふで終わりぞ月並みの宿題放棄も備え良し

|「待ってろよッ」残念教師の居眠りの退治に挑まん鼻の息


 ‥いよいよだった。
 凸激にとってのこの夏の志はとりあえず成ったようだった。さてどうなるやら。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:55 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする

【二次創作】のんのんびより 18 夏休みにこもるの巻

↓3)改稿.2016/05/10...20160411...

|1・2・3‥右に回して鳴る声に胸を大きく‥なぞらう不思議?


 夏休みの朝、その都度ラジオ体操を終え、
 ハンコを押して貰うと、凸激はチャリにまたがりダッシュで帰った。

 なにか誘われようとも、
 「勉強があるから」と言うだけで、有無を言わさずそれは成り立った。
 ‥れんげも蛍も、それが、男子の行動としてなのかそれなりに不可解だった。


|カブトムシ暑さ湧け立つ誘う山 遊べばその分負け戦


 里の朝の道のりを一人チャリで飛ばしていると、どうしたって気持ちが良い。
 しかしだからと言って、のんびりしていては、気温が上がりはじめて勉強がしんどくなる。
 夏の生い茂った山々の青深さが目に入って来るも、そこそこに切り上げなくてはならない。

 ‥朝のラジオ体操通いという奴は、この夏の凸激にとって、実に中途半端なものだった。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:55 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする

2016年04月13日

【刮目】戦後とTVと地域崩壊

1-4)記稿.2016/04/13

> どうして女らしい女、男らしい男は減ってしまったのか?


 そこを突き詰めてみたら、戦後昭和のある頃から
 井戸端会議をしている親の姿に無関心だったという所に行き着いた。

 むしろそれは、“ダセー”という言葉に集約されるのだろう。

 そうだ。親のしている‥主に母親のそれになるが、
 井戸端会議の光景は、昭和のテレビ世代の少年少女たちには
 どうでもよさそうな日常の無駄な付き合いに見えていたのだ。

 だからだろう。地域の付き合いというのが尚のこと下手くそになった。
 ‥むしろそれは、うっとうしさにしか思われていない。


> それは、なぜそうなったのだろうか?


 それは、言うまでもない‥テレビがあったからだ。
 そして、何だかんだと平和だったからだ。


 ‥戦争中だったら
 そのコミュニティはささやかであれど、必然だった。頼みの綱だった。
 子供にしたってそこは肌に染みて感じ取れていただろう。

 しかし

 テレビに魅了されるようになると、日常の会話の中身もそっち寄りになった。
 まずは、テレビを見ていることが、日常の条件になってくる。

 その結果、まずは、子供の意識から井戸端会議への関心が薄れていった。
 ‥大人のあれは、時間の無駄という見方を抱え込んで大人になった。
 ‥将来にしても都会志向がもてはやされ、尚のこと学力路線、地域コミュニティは化石と思い込んだ。
 ‥糞どうしようもない上から目線の鉄壁の官僚構造・資本重視の礎になった。


> 誰しも大人になれば、多少なりともコミュニティを形成して、基盤に据えるわけだが


 でも、どうだろう、便所めし世代ともなるとそれも積極的に始めるという風にはなかなかなるまい。
 ‥便所めし世代には、親のしていた井戸端会議がダセーとかの感想を持つ機会も得ず
 ‥気がつけば、携帯端末に夢中になっている大人の姿を目にして憧れている。

 それはもう

 情報に繋がるには、そこが入り口というなぞらえにしか映っていないのかも知れない。
 それは、個室を当てがわれてうきうきしてるような感覚なのだろう。それのさらなるバージョンか‥
 そしてそこに形成されるのは、顔が見えずとも文字だけのやり取りでOKとの思い込みだ。
 ‥そこにある落とし穴に気がつかないままに大人になるのだ。

 そうだ、自分の文章読解力以上の指摘を問われることがない。
 ‥そこには、緊張感も信頼感も培われるよすがを見いだせないままだ。恐怖しかない。

 サイトには様々な書き込みがある、色んな見方を学べるよすがはある。
 自分の思い違いやおぼえ間違い、地域レベルでの独特だった何かを発見することもある。

 でもそれらはあるだけだ。
 自分への直接の指摘がのし掛かってこないと、実際には自己研鑽には至らない。
 ‥せいぜいが、他人の罵り方を覚えるだけになる。
 ‥せいぜいが、無駄に攻撃されないようにとして、己の無知をのさばらせるばかりだ。
 ‥分からないことはすべて、答えてくれるサイトで確認すれば好いと考える。
 ‥とにかく、無難に避けて通ることばかりが身につくことになる。(誰も否定やしまい)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 14:21 | Comment(0) | 刮目/2016 | 更新情報をチェックする

【ネタ】チネリ米を包餡機で作ることはできそうだが‥

記稿.2016/04/13

 粘度の違うペースト状の米粉を包餡機で流して
 下の受けで型に入れると、コメとはまったく違うチネリ米になるはずだ。

 しかしそんなことをやる意味がない!
 (栄養強化を目的とした栄養成分を混ぜての再構成なら、用途も多少あるかも)


 そこで、中身をカレーとか、ボルシチとかで考えてみる。
 ‥それでも、外側が白いままのチネリ米もどきの見た目に、なんの好奇心も湧きやしない。
 ‥脱ケチャップとばかりに、ふわふらオムライスのライスにしてみたいぐらいだろうか。


> じゃ、五平餅はどうだろうか?


 五平餅を後から味付けしなくても、すでに調理済みの五平餅の登場だ。
 見た目は表面にちょっとお焦げが付いていても気にならない。
 どんな餡でもOK。チネリ米もどきによる五平餅の革命になる。


> ところが、コストが問題だ


 シャリ一貫が大体二百粒程度だったから、
 五平餅なら五百粒程度は必要か。包餡機をそれだけ動かしても、生産できるのがやっと一串分。
 ‥あまりにも効率が悪すぎるのだ。


 さらに問題点として、使用される米の産地偽装が危ぶまれる。

 そもそもしなくてもいい分解をして、
 再構成させるわけだから、誰にも見分けが付かなくなる。


> しかし、手抜き料理としては、レパートリーが妄想拡大するだろう


 牛丼のタネを買ってきた。でもカレーも食いたい。
 そんなとき、チネリ米(中身カレー味)という選択肢なら、無残な姿で牛丼を食べずに済む。
 ‥まぁ、おもしろ半分の料理解釈としては持って来いだな。

 見た目チャーハンなんだけど、米粒の中が実はカレー‥
 キーマなチャーハンでは、玉子の混ざり具合が見栄え良く映らない。
 ‥だから、カレー味のチャーハンとしては有りだと思う。
 (冷凍でも実際は、ちゃんと炒めて作るので、その時に形を維持できていないとダメだけど)


 とりあえずのネックは、製造の効率化と言えるだろう。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 02:56 | Comment(0) | 目の付け所をナス/2016 | 更新情報をチェックする

【対策】嫌・山の温泉まで来て赤身のマグロ

記稿.2016/04/13

> こんな記事があった→東洋経済
> ‥口の肥えた旅行好きが漸くにして気がついたようだ


 どこに行っても
 赤身のマグロを始めとした海産物での
 おもてなしの不可解さという奴に

 「山に遊びに来たんだから、山の幸出せや!」
 「申し訳ございません、その手の食材が大量に確保できないので無理です‥」


> じゃ、改善するしかありませんね!


 と言うことでこう考えた。
 かなり前から案は出てたんだけど、大量さがポイントだったとは始めて知ったよ。

 エビの偽装問題の根っこもそうなるんだろうけど、
 結局、特定の産地の幸ということでなく、ある程度
 全国的に均等に手配が利くという仕組みが必要ということをプラスして考え直した。


> まず、季節の幸を手配しようとしても


 農家は売上の確保を図るべく、旬をずらして早期に出荷をする。
 そちらの方が値段が好いからだ。お陰で全国に出回る時は旬の前になる。
 ‥旅館やホテルがその手の食材を使おうにも、旬の時期にはもう材料が確保できない。

 だから、ここを

 旬の時期に合わせて大量に生産しても
 無駄にならずに安定した価格で商売が成り立つようにする仕組みが必要だ。

 そこで、CAS冷凍だ

 旬の時期に大量に収穫する。そちらの方が味が良い。
 保存するにも旬の味の最高に乗った状態が求められる。


> 次が肝心だ


 春夏秋冬に分けて食材を考えているだけだと
 春なら夏秋冬が、夏なら春秋冬が、秋なら春夏冬が、冬なら春夏秋が‥
 通年を通してのメニュー立てを考えても、どうしたって悩ましいことになる。

 だから

 普通なら、季節の旬以外の旬の食材は手に入らない。でもその分も確保してCAS冷凍しておくと
 一泊だけのお客は、その時の旬の食材料理を味わって帰れば好い。

 しかし、二日三日と泊まる客になると、これが同じというのでも納得できないだろう。
 ‥そこで、季節をローテーションしてお出しするとなる。

 嫌でも春夏秋冬を味わって頂けるという、CAS冷凍ならではのおもてなしが可能になる。
 多少しっくりこない話に思えても、それは日本人の感覚だけで、
 外国人からすれば、それがファンタスティックに映るはずだ。

 「一回の旅行で、日本の四季が味わえるんだってさ。そりゃ、連泊しないとな。」

 ‥それでなくても、季節感なんか無くなりつつあるのが今時の食卓事情でもある。


> 流通としては、


 結構な量を倉庫にまとめてCAS冷凍しておき
 注文の都度、配送をする形に成るだろうか‥どうせ全国を相手に手を広げるだろうし
 どこの旅館だホテルだと‥CAS冷凍設備が整っているわけでもない。

 ‥極端な話
 海でも山の幸が食えるようになる‥なんて逆転現象にも成りかねない。

 でもまぁ、メインに川魚が食いたいって言うのは、どうなんだろうなと思う。
 養殖しないと間に合わないのは、エビの偽装を思い浮かべても流れかと‥
 ジビエ料理が精精だと思うにせよ、
 ‥猟師も少ないと言うことだから、悩ましい課題はてんこ盛りだよね。


 (国券でベーシックインカムを始めれば、一気に変わると思うけど)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 01:39 | Comment(0) | 目の付け所をナス/2016 | 更新情報をチェックする

2016年04月12日

【解釈】日本が世界からどう見られているかという勘違い

記稿.2016/04/12

 日本が世界からどう見られているかという心配発言をされる方は
 よほど世界を上に見ているのだろう。


> まず普通に考えてみよう。


 ‥自分たちの下に居る側が、何やらヘマした場合
 まぁ織り込み済み程度の反応だろう。その後で、彼らがどうするかで評価はいくらでも変わる。
 (個人や法人相手なら首に取引停止もあるが、国と言うことになるとそうそう無下にできない)


 ‥自分たちのライバル存在が、何やらヘマした場合
 とりあえず様子見。レッテルとしての黒が確定すれば、それなりに叩いてくる。
 政治やビジネスでの話であれば、最悪、ハブるということになるだろうが、そんなの今は昔。
 個として日本より秀でる部分は見られても、総合力と言うことになるとなかなかそんな相手は居ない。
 日本の実力低下を気にしないなんて余裕ある国の方が、今や少数派。

 つまり

 ‥世界から見て日本は、もはや自分たちより上の存在感
 自分たちより上の側が、何やらヘマした場合、日本人ならどう考えるだろうか?

 とりあえず様子見。レッテルとして黒が確定しても、しばらくはなぁなぁが続く。
 どうしようもなくなって、自分たちでなんとかせざるを得ない状況を受け入れて漸く動く。


> では、世界ならどうだろうか?


 日本の場合は、まだ自分たちでなんとかしようと考えるだろうが
 世界は必ずしもそうじゃない。なぁなぁがそのまま続いてしまうのだ。その確率が高い。
 ‥何とかできてしまえる程だったら、支援やパクリを前提に物事を考えない。


 日本に並ぶほどの意欲ある国民性があるのかないのか‥
 どうなんだろうね?‥所謂舶来モノ好きだと、今時の外人目線の変化は見えてないんだろうね。

 まぁ中には、中国よりなんて国はあるだろうけどさ
 それにしたって、支援が前提なんだから、右がダメなら左の発想だよ。
 ‥そういうのがどうなるかなんて、お決まりコースさ。


> そんな時に


 もしも、日本を凌ぐだけのまともな国が出てきたなら
 それこそ、チャンスだろうね。今の日本の状況なら褒めちぎって近寄るだろうね。
 まぁそれって、少し前までの日本に対する米国の表向きの顔だったけどね。
 ‥でも、操られはしていても本質的な立場は逆転しているからね。
 ‥操るのを諦めて貰えたなら、それこそ本望さね。


> それにしても、どうして日本の消費税論議に海外の意見が日本で飛び交ってるんだろうね?


 それこそ未だに世界様を上に見立ててのご意見バラマキ作戦だよね。
 つまり、勘違いなんかじゃなくて、そういう側の解釈って考えざるを得ないよね。
 ‥そういうのってのが、そもそもにして、なぁなぁがそのまま続いてるパターンだよ。

 なぁなぁ側だから、そのなぁなぁにみんながうんざりしていることが分からないんだな。


> 好いじゃん、鎖国して好いって言うなら、それこそ大歓迎だろう。


 OSからCPUまで全部国産に切り替えて、国券発行でやれば、何も問題ない。
 しばらくは輸入ストップで混乱するかも知れないけど、日常のイライラはグッと減るだろうよ。

 地震兵器とか核ミサイルとか、不安要素にしたってさ
 それはそれで国防精神として本望なんだろう。‥それともなんだ、在日米軍に居て貰いたいわけ?

 ‥そんなところで堂々巡りするから、奴らの術中にハマるんだよ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 04:58 | Comment(0) | 刮目/2016 | 更新情報をチェックする

2016年04月11日

【へんな記事】「風そよぐ」は正しい?

記稿.2016/04/11

> 「風そよぐ」は正しい?という記事を見つけた
> 気になったので回答を考えてみた。


 ‘風そよぐ’の前に、‘風がそよぐ’のがが省略されている。
 そう考えると、‘川が流れる’→‘川流れる’

 そよぐ作用は、風ではなく草や葉や穂などと言うと
 流れるのは川ではなく、水の流れか、それに浮かぶものという‥解釈も同じになる。


> いやぁ、そんなこと考えて使わんだろう。


 ‘日が照る’→‘日照る’

 照っているのは光であって、太陽ではない。はいはいそうですね。
 ‥まぁ哲学だよね。こんな質問をする君はたぶん理系タイプだね。
 ‥文学にケチを付けるのはお門違いだから、そこだけ理解すれば良いと思うよ。


 昔の人の知識にはね、そんな分子だとか原子だとかそんなのはなかったの
 そこまで考えていると文学できないよね、そしたら何を楽しみに生きれば好いのかな?
 君みたいに哲学できたらそれはそれで楽しいだろうけど
 他の人から見たらそんなのは糞みたいな生活感なんだよ。

 ‘風そよぐ’といえば、そこに生命の躍動を感じ、
 ‘川流れる’といえば、そこに生命の躍動を感じ、
 ‘日照る’といえば、そこに生命の躍動を感じるの、それが文学のほとばしりと言う奴だよ。


> いやぁ一生懸命に回答している側の大人も大人だよね。こっちまで呑み込まれちまいそうだぜ。


 じゃ、もう一つオマケだ。

 ‘宇宙動く’というのもおかしいのかい?

 動いているのは星や塵、星雲群であって、宇宙本体ではない。
 いや〜、そんなこと全然無いよね、本体の大きさなんて分かってないでしょ。
 宇宙と言ったって、誰も厳密に大きさや区分を求めたりして会話しないよね。

 そう考えるとだね、風だっていろいろあるでしょ、弱いのから激しいのまで
 川だって、増水すれば、氾濫したりして流れに変化が起きたりするんだよ
 太陽だって、春夏秋冬で光の強さが違うよね、
 そういうの‥生命一つ一つの顔をだね、大胆に表現するんだよ。言葉にはそういう魔法がある。

 君はその言葉の魔法にケチを付けているだけだよ。ケチを付けるのも表現の自由だからね。
 ‥ケチを付ける視点を間違えないようにすることを心掛けると良いと思うよ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:39 | Comment(0) | 日記/2016 | 更新情報をチェックする

【自由律短歌】まっすぐに生きられないからこそ地獄‥二十射

記稿.2016/04/11

|まっすぐに生きられないからこそ地獄、抗えばそれは光‥否、吾なり

|立ち止まることを怖れるから遠し 安まるところを得ようとすれば近し

|前向きなどと言ってもあてなどない、やけくそと破れかぶれが寝そべっている


|どこまでも空っぽ どこまでも青空、あるのは風と光と陰

|大きな穴がポッカリ その存在感こそいのち、心に虚ろが見えたってそれが普通なんだよ


|手本なんか思い浮かべるから続かないんだ、手本なんか無くて良い 本当の手本はよろこびだ

|自分にうんざりしてるってそれはチャンスだね、無知であることを知ろうとしている

|徹底的に自信とやらを削ぎ落としてみよう、そうすれば‥誰かの悔しさに素直になれるだろうよ


|‥逃げればいいさ うまく行けば底を這えるだろう、辛酸を舐めてみるのも貴重な経験


|蹴落とす奴なんか本当には居ない 君が君を追い詰めるだけだ‥敵視に気がつかないのは君なのだから

|すべては付き合いさ 穏やかにやればいい、成果だと意気込んで搾取に管理したい方がどうかしている

|無い物ねだりするのはおかしなことだ、あるところにおねだりだけ行くのも恥なだけだよ


|落とし物には落とし主の気持ちがあるよね、そこを慮らないなら どこにも至遊を得る社会など無い

|平等なんて無いさ あるとすれば平道だよ、道を先に行ってる人が居たって不思議はないからね


|不公平も公平もいくらでも転がっている、誰もがまずは自分を基準においしい人生を浮かべてるよ

|思いやりに進化なんてない 思いやりはいつも最先端だ、古くなると途端にゴミ扱い‥それは困る


|超サイヤ人に成りたいと憧れたかい?、ならば素直に意底ればいい‥儚き己にね


|「一番人気に成りたいって?」それは病気だね、自分しか見えていない人は誰が見たってビリケツさ

|得たいモノなど何も無し、何かをやり切ってみたい欲求だけが湧き起こって在る

|誰かの芽に憧れても自分の種を知りやしない、さぁ土壌を見つけ耕し そこから‥風雪を堪えるのだ



稚草

> 自由律短歌というのはいろいろと微妙である‥


 字数は多くなっちまうし、二行詩の感じだと決めてかかっても何か違うし
 でもまぁ訴えかけようとすると、こんな感じになるようだ。

 以前にも一度、“むひいて”にて試みたが
 ‥それはひとえに、ただの語りかけ口調ということか、まぁ中二病だよね
posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:08 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする