記稿.2016/04/11
> 「風そよぐ」は正しい?という記事を見つけた
> 気になったので回答を考えてみた。
‘風そよぐ’の前に、‘風がそよぐ’のがが省略されている。
そう考えると、‘川が流れる’→‘川流れる’
そよぐ作用は、風ではなく草や葉や穂などと言うと
流れるのは川ではなく、水の流れか、それに浮かぶものという‥解釈も同じになる。
> いやぁ、そんなこと考えて使わんだろう。
‘日が照る’→‘日照る’
照っているのは光であって、太陽ではない。はいはいそうですね。
‥まぁ哲学だよね。こんな質問をする君はたぶん理系タイプだね。
‥文学にケチを付けるのはお門違いだから、そこだけ理解すれば良いと思うよ。
昔の人の知識にはね、そんな分子だとか原子だとかそんなのはなかったの
そこまで考えていると文学できないよね、そしたら何を楽しみに生きれば好いのかな?
君みたいに哲学できたらそれはそれで楽しいだろうけど
他の人から見たらそんなのは糞みたいな生活感なんだよ。
‘風そよぐ’といえば、そこに生命の躍動を感じ、
‘川流れる’といえば、そこに生命の躍動を感じ、
‘日照る’といえば、そこに生命の躍動を感じるの、それが文学のほとばしりと言う奴だよ。
> いやぁ一生懸命に回答している側の大人も大人だよね。こっちまで呑み込まれちまいそうだぜ。
じゃ、もう一つオマケだ。
‘宇宙動く’というのもおかしいのかい?
動いているのは星や塵、星雲群であって、宇宙本体ではない。
いや〜、そんなこと全然無いよね、本体の大きさなんて分かってないでしょ。
宇宙と言ったって、誰も厳密に大きさや区分を求めたりして会話しないよね。
そう考えるとだね、風だっていろいろあるでしょ、弱いのから激しいのまで
川だって、増水すれば、氾濫したりして流れに変化が起きたりするんだよ
太陽だって、春夏秋冬で光の強さが違うよね、
そういうの‥生命一つ一つの顔をだね、大胆に表現するんだよ。言葉にはそういう魔法がある。
君はその言葉の魔法にケチを付けているだけだよ。ケチを付けるのも表現の自由だからね。
‥ケチを付ける視点を間違えないようにすることを心掛けると良いと思うよ。