記稿.2016/04/19
|ふわふわタンポポを手でちぎって「ふっ」とやる
|ごめんね種タンポポたち、強制巣立ちで‥
|どうせぼくも‥路端にありふれた野タンポポさ
|どうせなら‥土手原一面のタンポポの巣立ちのシンフォニーに立ち会いたいな
稚草
なにやら「子供の詩ですか?」‥
‥「ブッ・ブーーッ」違いまーす。オッサンが詠みました。(てへっ♪)
四景句を自由律で詠もうとすると、どうしたことか‥
自分からアクションを立てる必要があるようだ。
‥何をどうしたら、こうなった、こう思った。そんな感じ。
一景句毎に、同じ季語を繰り返すと味が出る。
‥定型句だとこうは行かない。
定型句の世界だと、それこそ風まかせ、わらず任せな感じで
おっさんもおばさんも光景待ちの待ち状態。
待つのが上手なだけの文化で終演する。まぁそうですな。そういうことのようですよ。
‥それも、季節待ちですからな、相当に呑気な民族ですよ。
その中でもさらに、
スローライフに生きないと達人の域に達さないというのが実際でーす。
「ははは‥、俺の場合を正確に述べると放棄ライフだけどな」
「まぁ明治の奴らと違うのは、そっちの時代のスローを完全肯定している点だな」
「あの時代ってさ、金持ちのボンボンが田舎から出て来て、都会でドンチャンの空気だったろう」
「俺は田舎から出なくても詠めるよねって、ツッコんでるだけだから」
「部屋から出られなくなっちまった詩人も居たわけだし(正岡子規)そっちの方が味があったりと」
> そこで、童心に帰る。そこが肝のようですな。マンガとさして変わりなし。
‥当然、脚色も有りなんだけど、あまりにも流れに沿わないのは没。
‥定型句だと、一景句内での脚色不可能。夢を描いているかどうかを表現するのは難しい。無理。