2016年04月23日

【提案熟語】センチメンタルをどう訳すか?

記稿.2016/04/23

 センチメンタルの翻訳は一般に「感傷的」とされている。
 グーグルで中国語の方を確認したが「感傷」になっていた。
 (‥これは、日本からの輸入だろうか、それとも並行?)


> で、思うに


 日本人の感傷的という言葉の印象を考えると
 それはたぶん、思い込み的な感性に偏った使われ方をしていて
 勝手に煩っているような感じに思えなくもない。

 昔の一頃の懐かしさを振り返るような気持ちを表現するには、
 どうにも違うんじゃないのかな‥と、そう思った。


 ‥そこで考えたのが、回想と感傷の中間ぐらいな気持ちだろうとして

 旬想、旬懐、懐傷を思い浮かべた。


 懐かしい頃を人生の旬と解釈して思うから
 旬想【しゅんそう】、さらに強調したいなら旬懐【しゅんかい】

 でも、それほど距離感の無い日常だったなら
 旬傷【しゅんしょう】かなと思うが、ぱっと見‥訳わからん。ピンボケ感ありありだ。
 ‥それは懐かしさなのか青春時代の傷なのか、その辺が曖昧になる

 表現したいのは、もっと身近な日常での懐かしさの振り返りなのだ。青春時代に限定はしたくない。
 そこで、懐傷【かいしょう】かなと思った。

 懐傷【かいしょう】:過ぎてしまった時間を懐かしく思い出した様。うれしい様。
 懐怨【かいおん】:過ぎ去った時間を無駄にも思い出してしまった様。不快な様。少しは大人目線。


> 昨夜、子供の頃のアルバムを見て懐傷してました。
> 昔なつかしい駅弁の味に懐傷です。


 まぁそんな感じ。
 今時の日本語を見ていると、誰しもが馬鹿の一つ覚えのように
 「感動」しましたと言っては、その言葉の単調さに疑問を抱いていない。
 それは、どうにも違うだろう。そう思わざるを得ないのだ。

 で、向かった方向として誕生してるのが、若者用語の「ヤバイ」表現‥

 詩人としては我慢ならん。
 ‥それはまるで、中指を立てつけられた心境だ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:08 | Comment(0) | 提案熟語 | 更新情報をチェックする

【四首吟】お題‘とみこうみ’

記稿.2016/04/23

|人間を味わいきらずに疲れちゃう 遠見近見の世間の渡り

|渡りきらむとす人の斯様な願いなど 天に願えど人は知らん

|知らん顔している互いの言い訳を 如何に聞こうとどうもならん

|成らんから棚に上げても余計成らん 腹割って話せ まずはそれから



稚草

 左見右見と書くのは当て字だそうだ。
 そこで
 読みの【とみこうみ】を、遠江(とおとうみ)近江(おうみ)
 に見られる訛りのパターンと考えると、遠見近見と書くのが筋なんじゃないのかなと‥

 遠くを見通せば、近くのそれに対する見方も変わるのだろうが
 それにしたって、近くに集まる人の関心も捨てがたく気になるのだ。
 意味としても「あちらを見たり、こちらを見たり」と同じになる。
 ‥どちらかというと、遠くを見るか近くを見るかで言い表した方が賢そうだ。

 そう考えると、左見右見の方の当て字は
 世間様の先見が賢くなるのを嫌って、封印されたような感じに思えなくもない。
 ‥それとも、遠江の読み間違えの増えるのを嫌ったか。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 19:18 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

【二次創作】のんのんびより 23 卒業と蛍の巻

改稿.2016/05/14...20160423...

 ー 時は過ぎ、すっ飛ばして、蛍が卒業間近の3月 ー

 その年は例年になく、早くに桜が満開になった。
 卒業式まであと僅かばかりだった。
 三人は、机を窓際に沿い付けて、しばしの窓辺咲きを楽しむ。

 ‥凸激は懐傷にも、自分が転入してきた時の事を思い返していた。
 ‥それは蛍にしてもれんげにしても同じだった。


|過ぎし日々追い綴らむと花の咲く卒業近づく友との窓辺


 ついに卒業式の朝。
 蛍が記念に写真を撮ろうとカメラを持ち込んでいた。
 少しずつ散り始めていた桜の前、三人で一緒に写真を撮った。


|けふ風にひとひらひとひら散れり花 思いとどめむ卒業す友


 長かったような短かったような‥蛍との分校生活が終わった。
 卒業していく蛍の胸中が如何ばかりかなど、凸激には知る由もない。
 ‥ただそこに募る気持ちは、誰が巣立つ側でも変わらないのだろう。
 ‥桜だけが、それをよくわかっているようだった。


|舞い降って花も祝うか門出咲き泪か笑みかうしろがみ覚ゆ


 卒業式が終わった。門出咲きのその中を蛍が去っていた。
 四月からの旭丘分校の生徒は、れんげと凸激の二人になるのだった。


|在校の幹を残し友巣立つふたりだけに減りさびしき分校


 ‥この日
 凸激は、自分にしても小学校の卒業式だったが、そっちはまったく気にすることがなかった。
 なにしろ、また同じ校舎に通うのだ。それが旭丘分校に通うこの地域の事情だった。

 凸激が目標だった中学課程をやりきれたかというと、幾分まだやりきれていなかった。
 ‥そういう意味合いも含んでいたかも知れない。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:21 | Comment(0) | ネタ文学 | 更新情報をチェックする

【詩】妄想からの脱出

記稿.2016/04/23

> 動きと動きとが絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ
> 命と命が絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ


 命のやりとりがとくにそう‥攻防一体の達人芸‥
 実力は五分五分、釣り合っているから起こり得る生き生きとできる瞬間‥
 でも、命のやり取りだったら、繰り返すことは叶わない‥


> 主張と主張が絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ
> 私が求めてあなたが求めて絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ


 私の妄想だったそれが、あなたの妄想だったそれとなぜか共鳴していた。
 それが広がれば広がるほどに、現実感が湧いて来た。
 でも大きくなりすぎると、誰も私を肯定しなくなった。

 それは簡単な理屈だよ。私の妄想が、私たちの妄想にすり替わったからだ。

 「私たちの妄想と共鳴するあなた方という妄想はどこにあるのだろうか?」

 それは常に戦いだ。意見の衝突だ。家族としてのそれではない‥
 私たちが家族になったという証として、どうして分離を描かせるのだ!
 誰だって、冗談じゃないだろう。それこそ妄想だ。誰にでも共鳴する妄想ではないのだから‥


 「だから、どんなに共鳴が起きたとて、精精は家族と呼べる大きさにしか成り得ない」


 そうだ。そこに村ができたとて、
 余所の村に影響されて、そもそもの共鳴が失われたらそれはお終いになる。

 しかし誰しもは‥
 そこに見えた大きな何かに憧れて、家族になろうとする。なりたがる。
 でも、その憧れは‥どうしたって家族ごっこだ。

 そこに見えだした勢いのある村とは、良かろうと悪かろうと
 誰かの共鳴が土台となり、柱となり、梁となりそうやって構築されてきた。
 「あなたがそこで暮らすことを夢見たとて
  あなたはそこの暮らしに何を添えられるというのだろうか?」
 ‥そこが空っぽで、ただちゃっかりと居たいだけのお客さんとしてなら
 いずれお暇しなければならないばかりだろう。

 だってあなたは家族として住むことを望んでなど居なかったのだから‥
 ‥どう見たって、お客さんだった。

 例えお客さんでも、気の良いお客ならそれなりにちやほやされて長居もあるかも知れない‥

 でも、どうして、住んでいる人たちの気持ちを掻き乱すような人が受け入れられるだろうか?
 ひっくり返さんとした思惑を少しでも抱えていたなら、そこで暮らせることなど有り得ない。
 家族になろうというのに、そこに居る人たちを追い出そうと目論んでいるなら尚更だ。

 「人は其を否定と呼び、忌み嫌う‥」

 余所の村と影響し合えば、良くなるだろうなどと考えるのは、それと一緒でどうしようもない。

 始めから支え合うことが目的の連合にあったなら、始めから共鳴して在り続くだろう。
 ‥もし、そうでなければ、中はどんどん朽ち果てて、見るも無惨に引き裂かれるばかりだ。


> その中で、あなたはどんな妄想を描いている‥囁いている‥叫ぶのか‥


 あなたが、心の底から嘘を張り上げてみても、誰にも共鳴するまい。
 「あなたの本音の叫びとはなんだ?」
 「嘘の叫びに、あなたは満足しているのか?」
 もし仮初めのそれに満足があるのなら、そこに起こり得る共鳴は、あなたを幸せにはしないだろう。
 その後に訪れるだろうあなたの後悔が、精精の満足感という程度で費えることになる‥


 仮初めに見えている誰かの共鳴の華やかさを真に受けて、横から掴もうとする必要は無い。
 あなた自身の本音の妄想が、いずれ共鳴を起こすだろう。
 しかし、本音をわからずに疎かにしていては、
 そこに起こり得る嘘の共鳴は、いずれあなた自身を嘘の谷に放り込む‥


> 大好きと大好きが絡まった瞬間、その一瞬に焦点を注ぐ


 ‥そこを発見しようとしないのでは
 いつまで経っても、仮初めに見えるばかりの共鳴に翻弄されるばかりだ。
 「なにをしたいのだ?」
 妄想一つ取っても、本音で大好きを貫き通せぬ者に、大好きでいっぱいになど訪れるわけがない!
 少なくとも、あなたがその中で‥死に切れる瞬間など訪れやしないのだ。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:59 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする