2016年04月26日

【アニメ鑑賞】プラスティック・メモリーズ

記稿.2016/04/26

 いやぁなんか見てるのめんどくせぇなって感じだったぜ‥
 今時の謎掛けとは違って、珍しいぐらいに話の展開の先をわからせるという筋書き。
 最期のお決まりをどう描くのか?
 ‥ああ、しんど。


四憬句

|悲しい思い出を見つめていても楽しい思い出になりはしない
|思い出を背負って生きていく‥辛かろうと可笑しかろうと
|どうせなら自分らしく胸を張れる思い出を作れば好い
|どうした これで最期か‥思い出を手放して逝け!‥それが咲き祝いさ


|傷付かない者はいない、ゆえに、傷の無い者などいない
|傷ばかり見ていても消えやしない、もはや自分の一部だろう
|傷を見せてばかり居ては、傷の舐め合いの毎日だ
|どうした もう治っているのだろう‥傷が力を発揮する時だってある。自分を信じろ


|苦しいぐらいドキドキして手をつなぐ
|ドキドキが続けば好いと思うそれだけの平凡
|ドキドキしては またドキドキして ハートマークがいっぱい
|いっぱいのドキドキのままでお休みしたいな


|痛いぐらいに遠い‥それが死別
|どうしようもなく痛いなら、思い切り泣けば好い
|我慢したままに堪えていては、その痛いを共有できまい
|どうした 涙はもうお終いか‥なら、痛いぐらいにいつも通りがすてきだぞ

posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:59 | Comment(0) | アニメ | 更新情報をチェックする

【人文】時間軸と人権

1-2)記稿.2016/04/26

> 人権に時間の概念を入れて考えてみよう!


 「なぜそう思ったのか?」それは‥
 生存権の解釈を、最低限の文化という意味にのみ特化している人たちが居ることを知ったからだ。
 それでは、どう考えたって幸福の追求権の意味と変わるまい。
 なぜ、そのように勘違いを引き起こすのか?‥それは法律上の「文化」とやらに定義がないからだ。

 そこで、時間軸という考え方をしてみようということになった。

 文化を体験する権利‥そんなのはただの消費の問題だ。
 選択の自由とか言う前に、提供してくれる側がいないと始まらない。
 ‥別に居なくても好い、無ければないで、自分たちで考えれば良いのだ。


> さて問いである。


 消費することを最低限の文化という思考ですすめると、
 どうしたって格差が起きることになる。
 ‥それが消費の収集力の差=人気の差=流行りの差と言うことになる。
 ‥それこそ、そこにあるのは自由性なのだから、公平になど保障できるわけもない。

 しかし

 創造する時間を経たか経ないかを、最低限の文化と捉える思考ですすめると
 基本的な教養を身につけていることは、その第一歩にもなる‥
 でもまぁ、学など無くても、絵を描くことも歌うこともできる。
 ‥その意味で問えば、創造することへのステップに制限も定義も必要ない。

 基本的に、そこには、積み重ねた何かがあったかなかったかの差だけが‥あるばかりだろう。

 それが、公平に最低限の文化の意味を文言に表して考えた場合の「時間軸」と言うことになる。
 ‥そういう解釈にならざるを得ない。


> それでも、同一のジャンルだけで見ていくと‥


 多くの人は、進んでいる人を見て、そこで諦めてしまうパターンにハマるか
 後に付いていくというパターンにハマる。
 ‥その結果、時間軸としては、進んでいる人以外に時間軸の成長はほぼ見られないという経過を得る。

 (ヒエラルキーのピラミッドの下に居るだけでは、そこに発生する時間軸は私にはならない。)
 (我々という時間軸の中に居ると錯覚を起こすばかりだろう。)
 (ポツンと一人になった時を考えてみればいい。あなたには何が残されたか?‥そこに差が生ずる。)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:29 | Comment(0) | 刮目/2016 | 更新情報をチェックする