2016年05月08日

【四首吟】お題‘湯水のように使う’

記稿.2016/05/08

|カネを湯水のように使ってもきれいにはならない
|きれいにはならぬのに、湯水のように使うとは是如何に!?
|如何にせよ、きれいにする為に使うのが湯水のように使うの心得なり
|理屈から言えば、カネを湯水のように使わせたのは女で、さぞや綺麗になったのであろうな



稚草

 なる程、そうすると、女の時代とか言っても
 自分で稼いだカネを自分に使っても綺麗には成らない‥のが言霊の示唆ということになるだろうか。
 (へそくりは貯めるばっかだし、使うにしたって他のことだしな)

 結果、綺麗な男子という奴が登場するようになって来たというのが流れだったと‥
 (カネがあるばっかりに、女趣味に育てちまうわけだからな)

 中には、男の娘などという理解不能の流れも起きてしまっている。

 もしそうなら、男社会の構造をゼロ値にまで崩壊させようなどと図るのは、
 ‥考え直した方がいいんじゃないのかな。
 ‥同性愛現象という奴も、その流れの上にあるような気にもなってくる。


> マンガでもなぁ、男キャラは根性狼目で、女キャラはきゃぴきゃぴ丸目で


 そんな絵柄ばかりの世代ってのが、少し前まで多く見られたのだが、
 最近では、男描くのが面倒なのか、女しか描かれず‥片寄った作品も多くなった。
 結果、女子の役回りが男子化している。否、オヤジ化オタク化していたりする。

 そんな背景にしたってな

 漫画を描く=資金力でもある。(スクリーントーンの時代は特にそうだったと思う)
 今やパソコンになるが‥上を見ると切りが無いが、マンガを描こうとするとそれなりにカネが掛かる。
 ‥市場が狭いということもあるが、兎に角まだまだ高く付く。

 つまり

 与えられて育った連中の作風ってことで、

 画風も、与えれた分だけ、綺麗になってるのだろうと思うけど、考え方は女子化すると‥
 男になりたかったら、欲しがって良いのは、うまい飯止まりにしておけって事になるだろうな。

 つまり

 男におしゃれを勧めているのは、女子化しろって意味になるから
 そこの所の塩梅までを崩さんとばかりの風潮は、男にとって有り難迷惑ってことだな。
 順番からしても、野郎の世界観に息苦しくなってから、手を広げた方が無難と言えそうである。

 女子にしてみれば、生活観、豊かさ観を絞ってみればって事だろうな。
 そうすると、文化の隅々にある男臭さへの理解も多少はすすむかもな。
 (それは必ずしも男臭いのかというとそんなことはない。有ったのはテメエの偏見ばかり)

 まぁ、問答無用で絞りから入らざるを得ない生活状況なら、不足分はどこからか補った方が良い。

 そういう男女の塩梅ってのは、ある程度、魂にこびり付いてるものだと思っていたが
 ‥なんか、そうでもなさそうだよな。
 ‥不足があるから荒れてくる。満ち足りすぎればふにゃらけてくる(それは普通に生ずる)


 「どれぐらいの過不足加減が自分に丁度良いのか、そこが肝心なのだろう。」
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:59 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

【詩】まずは気持ちを聞こう

記稿.2016/05/08

気持ちをちゃんと伝えなければ、気持ちはすてきになんてならない
気持ちをちゃんと受け止めなければ、気持ちはやさしくなんてならない
黙ったままでお互いに上手になれるのは‥イライラだけ‥

どうして言葉にしないで、あなたのことがわかるだろう
自分自身のことだってろくにわかりもしないのに

それが礼儀だと思っている
それが愛情だと思っている
それが常識だと思っている

それで、あなたは相手のことをどれだけわかっているのだろう‥
お互いにわからないからこそ、だんだんとイライラを募らせて、ますます口を貝にして、
物事を思い込みですすめてしまうのだ、やっつけで済ませてしまうのだ

それでどうして気持ちが伝わるだろうか?

すてきになりたいのだろう(自分の日常において)
やさしくなりたいのだろう(大切な人の前では)
ならばこそ、トラブルだらけの普通ではない環境に身を置くことにもなるだろうよ
だって、それが早道なのだから(膿は先に出すべきだし)

そこに山積みになったイライラから逃れたいのなら
マニュアルなんか捨てれば好い、基準なんかクソ食らえだろう

誰であれ、その人自身を見ようとすれば良い
少しずつ違うのだという理解があるなら
手広く何でもやれて当たり前などという自由を考えることの矛盾に気づくだろう

あなたは、そんな少しずつの違いにどれ程に対応できるというのだろう
どれ程に対応ができたところで、程度の差はあれ、
相手の要求に十分添えるには、どうしたって、誰であろうと限りが生ずるものさ

そのたったひとりに向かってすらまともに成らないのに、どうして手広くなどあるだろうか‥

誰かがそれをこなせているように見えたって、それはどこかに手抜きが潜んでいるというものさ
だから、足りない分が、誰もが同じという言葉に置き換えられてうやむやになっている‥

そこにある同じというのは、わかって貰えていないという感覚だけだ


「だからこそ、どうしたいのだろうか?」

それこそ、そこの気持ちを、誰かを頼って金魚のフンになってみたところで、
あなたが自分に対してそこを考えずままでは、そこにやって来る満足なんてものは
誰もが同じようにあるという流行りに常識を持ち込みたいというだけのことなのさ

もし、あなたがその流行りを手にできないからとして、ふて腐れているなら
同じようにふて腐れている人らがどれだけ居るのかを考えるべきだろうよ

そもそもの視点は、望みのままに手にできているかどうかでは無い
まずはそこに、自身の意思が主を描いて沿っているかだよ
いつの間にか愚痴りたいだけの自分しか居ないんだったら、それが本心にすり替わっている

自分がどうしたいのかの気持ちを、他人にまで頼って預けてしまう人が多ければ多いほど
自分がどうしたいのかをわかっている人からすれば、
手抜きなくきちんと向き合いたい人との時間を奪われて行くのと同じことになるのだから


そこを普通に、物理的に日常を考えても、どうしたって無理も出てくるさ
そこで、こちらに都合付てもらおうと駄々をこねては、それこそ一般論頼みって事だよね
あなたは、そんな一般論のくくりで片付けられたくないはずなのに、
新しい便利が登場した瞬間から、そこに当てはまっているかどうかを無駄に気にしてしまうのだ
そのイタチごっこは本当に矛盾している

それで好いというのなら、それこそ、一般論として捨て置かれることにもなろうさ

だって、誰も彼も、それら新たな一般論を片手に手広くできると勘違いしている‥
だから、あなたのイライラが共有されるべきかのように、次第に沢山‥近くを蠢くようにもなる
これはどうしたって、悪循環が起きてるって事だよね

まずは、手広くできる自由なんか嘘だって理解しないとね

その上で、自分のどうしたいかを‥平たく考えてみるべきだ
そこを押さえられないうちは、
すてきにも、やさしくもなれやしない(自分の望むペースほどにはね)

便利と一般論の進捗に、無理に付き合ってしまっている感覚から、整理すべきことだよ
必要以上に便利を望んでも、自分たちに大切な気持ちを育んでくれるとは限らないのだから
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:29 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

【宇宙な?】カルマゼロの能力引き寄せの注意補足

記稿.2016/05/08

> 【宇宙な?】カルマゼロの能力引き寄せ/に書いたことを実際に試してみたわけですが
> 試したと言っても、制作中の告知しただけですが
> その時の感覚をとりあえず記録しておきまーす。


 なんとなーく、背中を押されている感じが強くなり出して
 そっちの方に集中する感覚にだんだんと引っ張られる感じだった。

 何というのか

 アニメ見てーという気持ちすら薄れる感覚が、
 その時はそれ程に気にならなかったのだが‥

 今から考えると、全部合わせて引っ張られている感じだったと思う。

 結果として時間の節約ができたわけだが
 あまり頻繁にやると、自己崩壊に成りかねない感じ。
 いやまぁ、べつに、マジにやりたいことなら構わないと思うけど
 頻繁にやると、どうなんだろうなと言う戻りの差というのを、振り返ってみて思った。


> つまり、普通に是を業務でやっちまってるのが社会なわけだし
> 資本社会の根っこなわけでして、そこでお金を取るという形に成っているわけだが


 下っ端の位置で働いていても、上の意思など知らんわけで
 そこまでガンガンやる気が来るわけも無いだろうから、
 宣伝している上層部としては、無駄にやる気になっちまってる感覚だろう。
 ‥そこの差はスゲー開くと思う。


 その時問題になるのが、どうにも

 その気の問題と適正と気力と体力。
 そこに張り付くように仕向けられるエネルギーも混ざるようなので
 人生予定として、本当にやりたいことでないなら、潰れかねないということになる。

 それはつまり‥その気に無い奴を雇っても同じこと。

 そして、能力または根気が追いつかないようなら
 たとえやってみたいことでも、疲労困憊が続くことになる。

 稼ぎが良いとか、そんなの関係ねーって感じで、
 大勢との取引の場に参加できるような状況に無いってことになるだろうな。
 ‥続けるにしても、自分のペースに合わせて告知した方が身の為。


 そう考えると、アーケード街にお互いが店を出して
 たまにチラシ出して、お客が来てくれるだろう的な流れの方が健康的かと‥
 それこそ、ガンガン稼ぐぞと、あちこちと取引取引とやっていると狂うんだろうな。

 まずは、趣味が遠のき、普段の付き合いが遠のき、いつの間にか、仕事のことしか話せない。

 男でもそうなんだから、それで粗大ゴミ扱いされてるわけだし
 女でもそのうちそうなるんだろうな、結果としての資本社会の閉塞感だし
 それは何も、男社会がとか‥不公平だよねとか‥そんな作用ではないらしい


> その辺のバランスを維持できるかどうかは、状況次第と言うよりは、
> 結局のところ、無謀さと無神経を兼ね備えているかどうかだろうな。


 仕事の要領を得ていて、そこに競争という渦がそれ程に無い分野なら、そうでもないのだろうが
 それにしたって、人づてに情報が流れて、利用過多にも一極集中的にどどっとやって来れば
 どうしたって、根を張り詰めんとして片寄ることになる。

 で、その分を料金に加算して、家族にサービスなんて考えても
 結局は、気持ちのどこかに悪循環の綻びがじわじわと言った感じになるだろうな。
 ‥外に出掛ける時間を保てる奴とそうでない奴との差もあると思うぞ。


> うーん、この感覚はやっぱり無理。いきなりは無理
> それこそ、すること無くて退屈してるほどじゃないとダメだろうな
> 昔の人の娯楽の無さは、まさにそんな状況だった


 ひっくり返して言えば、子供にあれこれと必要以上の物を与えても逆効果。
 当人が何をしたいかであって、何が欲しいかでは無い。
 はじめに与えたモノがどうだったかにも依るかも知れない。
 (アナログだったか、デジタルだったか‥この差は大きいだろうな)

 ‥そこは大人にしても同じって事だ。

 お互いに、意識散漫になる程に、好奇心を煽ってほめ合っても無駄。
 (映像文化に置かれている段階で、どうしようもないわけだけど)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 03:53 | Comment(0) | 宇宙な? | 更新情報をチェックする