記稿.2016/05/15
> 第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
> 第十四条
・すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
・華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
・栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。
栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
> 九条と自衛隊の関わりが矛盾というのなら
> 第十四条と天皇家の存在性も矛盾することになる。
天皇の存在性は一条より確認できても
天皇家の存在性は十四条より否定される。
つまり、天皇の地位についての表記はされていても、天皇家の表記はされていない。
天皇家&皇族なる概念と、並びに、その歴史的流れからの惰性は、どうしたって違憲に該当する。
> だが‥天皇並びに天皇家を、単なる稼業として捉えると話は別になってくる。
二十五条の保障をしっかりやればバランスは確保される。
‥ところが、そうではない。二十五条などどこへやらなのが実際だ。
宮内庁予算と国民負担との差を考えれば、どうしたって、「アレは何?」って話だ。
そこには確かに身分差が発生しているし、差別に不平等、特殊な扱いが改革されずに行われている。
‥誰がどう見たって、稼業の違いたる解釈の範疇には無い。
> では質問です。「天皇家の稼業とは何?」
答え:そりゃどうしたって、それこそが九条の存在意義でしょう。
そこが保たれないって言うなら、
天皇&天皇家なんか要らねぇって、それが国民感情になってくる。
‥そこから自衛隊を考えると、また別の見方が生じてくる。
「あれはね、天皇&天皇家の私設防衛機能なんだよ
日本国に軍隊は存在しない
しかし天皇&天皇家は私設防衛機能を保有している、それが自衛隊‥」
なぜか天皇はその指揮権を有していないように見える。それは一任しているから。
それが「日本国民統合の象徴」と並べ繰り返している文言の正体。
ただし、そこの一任については、法で述べられることが無い。
‥でも、大臣の任命授与は天皇がやるんすよね。
まさに闇‥
{自衛隊}={天皇&天皇家の私設防衛機能}という解釈。
> 続いて第二問。「二十五条を担うべき立場にあるのは誰?」
答え:そりゃ、一任されてる形にあるなら国民でしょう。
言いたいことは、まず、国民の代表としてのあれやこれに言えってことだ。
その点は、天皇&天皇家の存在性に文句を垂れても筋違い。
自衛隊の予算配分が多く見えるにしても、内閣に文句を言えばって話だ。
その内閣にしてみれば、国会に文句を言えばって立場だ。
国会に文句があるなら、選挙をちゃんと考えろって話だ。
選挙の不満のそもそもは、二十五条が行使されていないという一点。
そこがスルーされている要因は、どうしたってカネの仕組み&財源のカラクリ。
‥そこをスルーされては、選挙の価値なんかなんにもねぇ。
(富裕層の劇団員が政権を担ってるだけ)
富裕層は競争の勝ち組だから、競争を否定しない。二十五条より十三条重視だ。
十三条に示されるインフラ(公共の福祉)を維持するのは富裕層の企画推進能力。
‥でもそこの革新には必ずしも民意は伴わない。(建築やネット周りの事情は特にその象徴)
‥民意などあとからついてくる。夢を追う者らの多くがそう思っている。
‥そんなこんなで、少なくとも‥
戦争に巻き込まれていない内は、天皇&天皇家に文句を垂れるのは筋違い。
それが日本国憲法なのだよ。(中身に秘められた絶妙なバランスなのだよ)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:05
|
Comment(0)
|
命題
|