2016年05月23日

【一行詩】アニメ「変態王子と笑わない猫。」から詠む(十一射)

向宜詠吟.2016/05/23

|切なさが軸になってまわりだす仕切り直せないのはなぜ?
|甘えたい気持ちの軸に噛み合う歯車なく空回って私を見失う
|歯車を大きくしたき年頃の軸育っておらず踵を返す
|無理せずに寄せ集まって動かせば、其も歯車の一刻、気持ちの連動
|こんなのとか、あんなのとか、普通とか‥みんな妄想
|目の前の切なさだらけの気持ちから軋ませ軋ませやっと伝わる感じ
|少しぐらいわがまま聞いてくれないとその気も出ないあなたの前
|誰しもの欠いて切なさ滾らせて恋をしようなどと馬鹿ばっか
|切なさを不足と思えば倦みたり気持ちに根付かせれば軸強し
|心細さを抱えたままに恋をする‥どん底大好き独りとの問答
|隣に居て欲しきそれだけの踏み込まざる掟が静かに触るる



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



稚草

> このアニメの世界観で云うと、俺的には、どうでも好いまとめ方にしか思えない。


 だがしかし
 筒隠月子(つつかくし つきこ)のいでたちとか、ツボにハマるっす。
 ‥俺的にはそれだけの作品になる。


 不思議の国のアリスだって読む気にならねーのに
 そんな雰囲気をどことなく醸し出す作品を
 ‥文字の羅列でなんか味わえるわけもない。

 猫神の存在感だけで成り立っているような作品構成は、
 どうしたって、ラブコメとしてはパンチが弱いままだ。
 ‥横寺陽人(よこでらようと)の現実に引き寄せられる深層心理がメインの一発噺。


> お互いに引き合うよすがが、猫神以外のどこに表現されてんだって思っちまう。
> その辺、あまりにも淡白すぎる流れに不満が募る。否、猫神に集約しすぎなんだろうぜ。


 ‥何はともあれ
 魔法に掛かったような世界観と日常を扱っているわけだが
 「常時キャンセル可能なんだから、その辺どうなんだよ?」

 葛藤を無しにできたり、元に戻せたり、そんな便利をまずどうして遠ざけたかが焦点のはず!

 筒隠家のそこの日常は実に不可解だ。
 空間の移動にしたって自由自在だし、キャンセルすれば簡単に戻るのだ。
 ‥超便利じゃないか‥
 万能すぎて、心理上の好奇心との辻褄が崩壊している。

 つまり

 誰かの望みによって与えられた側は、
 与えた側のキャンセルに関わるような事象を、直接的に引き寄せることができない。
 その代わりに、与えられた側は、与えた側当人のそばに引き寄せられるという縁を添えて与えられる。
 ‥そんな辻褄になるだろうか。(そこまでが猫神の側のルールともこだわりとも)
posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:56 | Comment(0) | アニメ | 更新情報をチェックする

【詩】人の自由を見ているだけの自由

向宜詠吟.2016/05/23

人の自由を見ているだけの自由
誰かの自由を見ているだけの自由
それは本当に自由だろうか?

一般に、一方通行に置かれた自由を不自由と思っている
でも一方通行だからこそ機能している形もある
それはそれで自由を為しているのだろう

‥疑問に思ったなら、そこに自覚が無いだけだ



人の自由を見ているだけの自由
其を一般に悟りたる境地と呼べり

そんな慈愛に満ち足りてそうな自由がどれ程にあるだろうか?

人の多くは自分から動いて取り合うのが当然だと思っている
見ているだけのままではおまんまの食い上げだと思っている

人の自由を見ているだけの自由からはそんな風にも見えている
でも大抵の人は、見ているだけの状態になかなか耐えられない

人は同じように誰かに準じて生きることを求める
どことなく均衡であることを求める
誰彼となく公平さを意識して生きるのだ

そして、人の葛藤もそこから生えて来る



同じ目的に寄り集まっても、意見の違いという葛藤‥
違えた方向に進んでも、孤立たる疎外感との葛藤‥
葛藤がさらなる葛藤を呼び、混乱した状況に溜息も出る
そこをよく自覚できていると
どうしてか、すんなり‥
人の自由を見ているだけの自由が、誇らしげに映り出す

無論、そこに自覚を培えてる人に向かってだ‥

でも、そこにだって葛藤はある
それが均衡というものだ
公平というものだ
‥そうにあれていないことに彼らとて悩ましい

ならば、人は自由など選んでいまい
葛藤を選んでいるだけのことだ
ゆえに、そこにある葛藤をどうにかできて始めて自由と言えようか。

‥次から次へと自身の内から生えてくる葛藤‥
まるで雑草か、日々つもりたる塵に砂だ
瓦礫を見て思うように、それら葛藤をショイとどかせば良い

自由とは何かと問われたなら、そんな風に答えざるを得まい



「ならば問おう、地球の現実に見られる不均衡とは何か?」


簡単な話さ
自由という言葉に乗せられて
自分たちの住まいをゴミ捨て場と化して尚、平気なままだ

誰かの裕福を見ていた頃に身に沁みた不幸体験を思い浮かべたままだ
そこにあった瓦礫こそ、自分から動いてなんとかしたいとの憧れだった
でも見ているだけの自由にあったのは、ただただ体験への貪欲だった。
それでは、瓦礫をどかしても尚除いただけだ
瓦礫はそのままに残ったままだ
誰も彼もがそうでしかないのなら、ゴミ捨て場にならざるを得まい


葛藤は誰だって無くすることができない

‥葛藤は繋がっている‥
それが均衡を求めざるを得ない人としての自然体にある

それは、地図を開いて移動に用いるようなモノだ
均衡を失して生きたなら、葛藤からは逃れられるだろうが存亡は不可避
結局は、地図を欲して葛藤することになる
それは、職人が職人を訪ね歩くようなモノだ


葛藤はそのままに、各々の意識に均衡をつらぬこうとして漂う

だからこそ、その都度その都度
個々お互いの単位で少なくするように心掛ける必要がある
ひとり一人が心掛けないのなら、決して望むような天晴れは天下に訪れまい
社会規模に問題化するなんて日常は、それこそ腐敗しているのだ
ならばこそ、まずは、人の自由を見ているだけの自由に徹するべきだろう

そんな視点から格差を問うなら、格差現象は本能からの問いそのものだ

だが、そんな大げさに考える必要はまったくない
所詮、瓦礫は目の前の一つ一つからしか片付けられやしないのだから



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 10:48 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする