2016年05月26日

【詩】せせらぎと海&一首

向宜詠吟.2016/05/26

エネルギーが高みから下に落ち流るるは当然
エネルギーが来たるから生く、流る、押す、隔つ
より生きやすくを求めれば、そこは澱み
大きなエネルギーを求めれば流れぞ激しき
耐えきれずに澱みに逃げ込もうとて危うし
清清として流れ穏やかなるはせせらぎ
されど、せせらぎに生くるは程度少数
多きぞ行き交う場所の衝動に駆り立てられし本能
せせらぎの良さを忘れ大海しか見えじ風
自然界とてせせらぎと海を行き来し、産みと育てを繰り返す
人の社会のなんと未熟‥罠たるや


|いつまでも好きだけ選ぶ間抜けさの故の偏り故の閉塞



> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:14 | Comment(0) | | 更新情報をチェックする

【プレバト】五月 日光・華厳の滝、俺も詠んでみた

向宜詠吟.2016/05/26

|鬱蒼に轟き伝う滝の音
|聳えまでたゆたい仰ぐ滝飛沫
|落ちり消ゆ高み征けども滝の渦
|背を穿つ瀑布抜けだし清新た



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



稚草

> 滝が季語だと今日知った。チーン。


 ‘滝’が季語だとなると、○○滝と滝名をぶち込んでも季語に成り得ない。
 ‥要するに、大きな滝というのがお題の本質。でも季節としては五月限定。
 ‥なるほど、まぁ五月はどうでもいいな。どうせ季語としては夏だし。



手直し.2016/05/28

|不可解や絶へぬ華厳の滝の白  辰巳琢郎
|不可解な生と死 華厳の滝白し  手直し(夏井いつき)

 俳句の内容は、
 明治38年「人生は不可解なり」と記し遺書を残した学生
 藤村操(♂)が華厳の滝に投身自殺した事件を引っ張ってきて詠んだものである。

 ならば、事件への不可解さと無念さを詠んでなんぼだろう。

 ‥ではあるが、なぜか、その表面的な部分だけを拾おうとしている。
 その最たる要因として、「華厳の滝」を盛り込んでしまっている。
 ただでさえ、華厳の滝とそのままに詠み込んでは季語が不明だ。
 手直しをするならそこからやるべきだが、その辺はスルー‥
 オマケに、「不可解な生と死」とやりこんでは、生が不可解なのか死が不可解なのかさっぱりだ。
 その不可解さが「白し」となれば、尚のこと、意味不明さを示すばかりで

 事件はあったけど、華厳の滝はいつものように流れておりますと言ってるだけだ。
 「なにが言いたいのか?」
 まるで薄情の人物の言葉にしか聞こえてこない。極めて杜撰だ。「失礼だ!」

 ‥どちらかと言えば
 「絶えぬ」の響きの方が、「どうしてだろうか?」の気持ちを拾うことができる。


↓(余りにも残念すぎたので直してみた)

|不可解を問うて説くまじ身投げ滝



|白雲を吸い込み放つ大瀑布  FUJIWARA・藤本

↓(どうにも白だな‥白のスケール不足にツッコんでみた)

雲を吸い込み放つ大瀑布



|滝落つる水の身投げの如くなり  東国原英夫
|滝落つる水の身投げの如なり  手直し(夏井いつき)

 ‥手直しを不可解に思ったので調べたら

 如し【ごとし】助動詞 ○/ごとく/ごとし/ごとき/○/○
 指定の助動詞[なり] なら/なり(に)/なり/なる/なれ 体言または活用語の連体形に付く。

 指定の助動詞[なり]には、
 [ごとき]の他に[ごとく][ごとし]からも続く。by広辞苑
 ‥要するに、昔からその辺どうでも好い感じだったと。


 ニュアンス的なことをツッコめば、
 「如く」だと「〜をするような」
 「如き」だと「〜のような」
 「如し」だと「〜であるような」という感じか‥

 ‥つまり、「如し」と言い切った場合「なり」は不用。俳句としては未完成。チーン。
 (そんなに擬人化やりたきゃな川柳に行けよ。アホか)

 先週は「かな」でツッコんだんだから
 今回も「なり」でツッコんで降格または現状維持が公平な扱いだった。
 ‥でも、国語教師の勘違い(?)からツッコミ不発。残念!
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:47 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする

【冠揃詩】きみにあいたい

向宜詠吟.2016/05/26...20130819...

|き|気がつけば誰かの面影を探している日常
|み|見苦しくも‥あの子似なんて摺り合わせを別に求めても失礼なだけ
|に|似た顔でもいいからと「キュン☆」したくなる風はなぜ起こる‥?
|あ|味気ない日々に花を添えたくても欠いた器では身垂るるばかり
|い|居たいのか‥痛いのか‥わからないぐらいに御独に倦ねる
|た|「ただいま」と「おかえり」がしてみたい過去検索の狭間のあの子
|い|「いただきます」を思うほどに‥妄想は、会いたい検索を書き換える



> うた詠み終わります、ありがとうがざいました。


語稚草

 御独【おひとり】‥お一人様表記の省略書き。おひとり。ぼっち。



稚草

> オッサンがこんな詩を詠んでも、ちっともそそらないだろうな


 でもしかし
 地球が無事にアセンションとやらを経過すると
 先祖返りが進んで、寿命が200歳になるとか聞こえてきている。

 人間の基本設計寿命は1000歳だそうだから
 200歳なんて、まだまだちんけなステップなんだろう。(病気に不健康が消える)
 まぁそれならそれで、俺にしたってまだまだ若さに乗じた思考をしていると言うことか‥


> だが、問題なのは、どれ程に若返るかだが、それについてはまだ聞き及ばない。


 老いた状態で寿命だけ延びても、そりゃ蛇の生殺しってもんである。
 ‥その時の家族構成というのを考えてみても、ぼっちなんかただの道楽と言うことになる。
 ‥爺婆のぼっちが道楽で、家族様は天国??
 ‥見た目は多少なりとも爺婆のままで、体力は30代40代??
 ‥仮にそうなったとして、今時の性の価値観なんぞ根底から崩壊だな。
 ‥身体的な劣等感思考そのものが維持できなくなる、そう考えるべきだろうな。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:16 | Comment(0) | 短歌・俳句・川柳 | 更新情報をチェックする