向宜詠吟.2016/05/26
|鬱蒼に轟き伝う滝の音
|聳えまでたゆたい仰ぐ滝飛沫
|落ちり消ゆ高み征けども滝の渦
|背を穿つ瀑布抜けだし清新た
> うた詠み終わります、ありがとうございました。
稚草
> 滝が季語だと今日知った。チーン。
‘滝’が季語だとなると、○○滝と滝名をぶち込んでも季語に成り得ない。
‥要するに、大きな滝というのがお題の本質。でも季節としては五月限定。
‥なるほど、まぁ五月はどうでもいいな。どうせ季語としては夏だし。
手直し.2016/05/28
|不可解や絶へぬ華厳の滝の白 辰巳琢郎
|不可解な生と死 華厳の滝白し 手直し(夏井いつき)
俳句の内容は、
明治38年「人生は不可解なり」と記し遺書を残した学生
藤村操(♂)が華厳の滝に投身自殺した事件を引っ張ってきて詠んだものである。
ならば、事件への不可解さと無念さを詠んでなんぼだろう。
‥ではあるが、なぜか、その表面的な部分だけを拾おうとしている。
その最たる要因として、「華厳の滝」を盛り込んでしまっている。
ただでさえ、華厳の滝とそのままに詠み込んでは季語が不明だ。
手直しをするならそこからやるべきだが、その辺はスルー‥
オマケに、「不可解な生と死」とやりこんでは、生が不可解なのか死が不可解なのかさっぱりだ。
その不可解さが「白し」となれば、尚のこと、意味不明さを示すばかりで
事件はあったけど、華厳の滝はいつものように流れておりますと言ってるだけだ。
「なにが言いたいのか?」
まるで薄情の人物の言葉にしか聞こえてこない。極めて杜撰だ。「失礼だ!」
‥どちらかと言えば
「絶えぬ」の響きの方が、「どうしてだろうか?」の気持ちを拾うことができる。
↓(余りにも残念すぎたので直してみた)
|不可解を問うて説くまじ身投げ滝
|白雲を吸い込み放つ大瀑布 FUJIWARA・藤本
↓(どうにも白だな‥白のスケール不足にツッコんでみた)
|青雲を吸い込み放つ大瀑布
|滝落つる水の身投げの如くなり 東国原英夫
|滝落つる水の身投げの如
きなり 手直し(夏井いつき)
‥手直しを不可解に思ったので調べたら
如し【ごとし】助動詞 ○/ごとく/ごとし/ごとき/○/○
指定の助動詞[なり] なら/なり(に)/なり/なる/なれ 体言または活用語の連体形に付く。
指定の助動詞[なり]には、
[ごとき]の他に[ごとく][ごとし]からも続く。by広辞苑
‥要するに、昔からその辺どうでも好い感じだったと。
ニュアンス的なことをツッコめば、
「如く」だと「〜をするような」
「如き」だと「〜のような」
「如し」だと「〜であるような」という感じか‥
‥つまり、「如し」と言い切った場合「なり」は不用。俳句としては未完成。チーン。
(そんなに擬人化やりたきゃな川柳に行けよ。アホか)
先週は「かな」でツッコんだんだから
今回も「なり」でツッコんで降格または現状維持が公平な扱いだった。
‥でも、国語教師の勘違い(?)からツッコミ不発。残念!
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:47
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プレバト俳句
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