↓4)向宜詠吟.2016/09/21
|子育ての梅雨空運ぶランドリー 静岡市・川柳グリーンの会
|子育て○梅雨空○ランドリー
この句の「梅雨空」は、季語の持つ余韻が大きくなりすぎています。
動詞を付け加えずとも光景が見えてしまうのが厄介です。
さらにいえば、梅雨の晴れ間を見計らって通おうと、雨の続いている陽気に仕方なく通おうと、
そんなのは両方ありえるどうでもいい部分です。
‥その辺で
「梅雨空」だと、どっちつかずにも、落ち着かないだけでしかありません。
そのような両方の印象が、脇からつっついてこないように季語を選ぶことも大切です。
|子育ての助けや梅雨のランドリー
‥おっと、句またがりになってしまいました。これは失敬。(って、こんなのべたなメモ同然です)
|子育てや梅雨に駆け入るランドリー
それにしても、昔はおしめのイメージがあったのに、今だとナンジャラホイ??
これは、着せたい衣服が多くなりすぎて、洗濯が多すぎますって落ちなのか?
それとも、やんちゃ盛りの大家族なのか?
‥それでなくても、梅雨に洗濯物がたまる傾向にあるのは普通かと‥
梅雨時ぐらい、着る物を減らす工夫をすればいいんじゃねぇかと、考えてしまうと
このテーマでの子育ての余韻は、もはやそれほどに印象強くないかなと。
(想定される子育ての対象は、幼児・赤ん坊ではなく、むしろ小学児童にまで手広いのかなと)
(どうせ車で運ぶんでしょ、車維持するカネがあるのに洗濯機はどうなのって話になるからね)
俳句としては、生活事情がそれぞれで異なりすぎて
もはや、何を狙っているのかがよくわからず、残念な空気感が漂うのです。
(そういう意味では,句またがりの方が時代に添ってうす味にも十分ということか‥)
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