2016年09月29日

【プレバト】コスモス畑、俺も詠んでみた

向宜詠吟.2016/09/29

|一輪の強さは無くも秋桜
|物申す多背でほほえむ秋桜
|ますますや伸びるコスモス背伸び女子
|野原から叫ぶコスモスここで生きむ



> うた詠み終わります、ありがとうございました。


稚草

> ‥俳句と言うよりは川柳よりかなと。


 ナデシコではこうは詠めないよな。
 コスモスの方がイメージがしっくり来る。
 ‥なでしこジャパンよりコスモス日本なんだろうな。

 「なでしこ」なんて、言っちゃあ‥今やただの余韻もとい妄想にしかないからな。


 昔(弥生以前ぐらい)は外来植物が少なかったから、大和撫子なんて表現になったんだろう。
 ‥じゃ、当時はナデシコが群生してたのか??

 それはそれで興味のあるところだが、区分の境はやはり徐福集団の渡日だろうな。

 徐福集団が植物を持ち込まなかったなんてことはありえない。
 その辺りから平安にかけて中華風の味付けが加わり、さらに黒船により欧州風の味付けが加わり
 ベルリンの壁が壊れたあたりから、一気に従来種の駆逐が激しくなり
 ‥同時に、道路開通やら山開きラッシュッで山岳部にまで及ぶようになったと。


 (今咲いてる風景を詠もうってなだけで、現代風って事なんだと思う)
 (‥まぁ人のすることなんて、そんなに変わらんだろうけど‥否、科学が入れば違うか)
↓/手直しの手直しを読む/↓
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:06 | Comment(0) | プレバト俳句 | 更新情報をチェックする

【勝手句帳】021 28-9-27 静岡新聞掲載分から

↓2)向宜詠吟.2016/09/29

|幼き日寝床の中に聞きゐたる父の杵振る餅搗きの音   掛川市・なでしこ短歌会


 通常、餅つきは一家総出の大会みたいなもので
 子供が寝床のままに搗いているという感覚に「?」がよぎりました。

 当人がまだ歩けないような赤児だったのか
 それとも風邪で寝込んででもいたのか
 親が、餅を搗くのを商売とするような何かを担っていて、毎日のようだったのか
 それともその辺気にもしない親だったのか


> その辺、なーんも分からんので、悩んじゃう歌になってしまっています。


 ‥ただ意味が通ってればいいってもんじゃないんだよ。




|さよならと握り返され夏惜しむ  静岡市清水区元城町

|さよならと握り返され 夏惜しむ孫らに「またおいで」と見送る


 ‥わざわざ俳句の詠みを短歌に仕立て直してみました。
 概ね‥爺婆が孫と別れる時節という光景なのかなと思うわけですが、
 仮に、そうじゃなかった場合
 誰が誰の手を握り返したのか、まったく見当がつかない詠みになってしまいます。

 そのような想定できない要素が絡む場合、
 それは、短歌にも俳句にも相応しくない着眼という次第に及びます。
 つまり、言うならば、それが和歌の不自由にあるわけです。(許容とも言いますが)


> すべてを31音なり17音で語り尽くせると思ったら大間違いです。
> ‥ただそこに挑戦してみているという自覚を常に保ちましょう。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 04:02 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする