2016年12月04日

【物理】光は螺旋なり

記稿.2016/12/04

> 光は波でも物質でもありません。螺旋です。


 その螺旋のイメージを一言で表現するなら、
 ドラゴンボール、ピッコロの放つ魔貫光殺砲の軌跡が一番にわかりやすいかと。

 光は周りの影響が無い状態では、ただ螺旋を描いて真っ直ぐに進んでいます。

 螺旋を横から見れば、波のように見え
 螺旋を描くがゆえにそこには遠心力が発生するのです。つまりそれが質量を観測せしめると‥

 赤い波長と青い波長の違いは、その螺旋の角度になります。

 赤い波長は、浅めの角度で螺旋を描き、青い波長は深めの角度で螺旋を描きます。
 ぶつかることで、その螺旋の角度はいとも簡単に変化します。
 ‥物質には色が付いているのではなく、反射する光の角度が異なるだけなのでそう予想できます。
 ‥また、螺旋の角度が違っても速度が同じなら、質量にも影響を与えることになります。


> つまり、螺旋の角度を変えてやることで、まったく別の性質を帯びることになります。


 とはいえ、それだけですと余りにも単調すぎるので
 たぶん、螺旋の中に螺旋が入れ子式になっているのだと予想されます。

 あと、簡単に螺旋の角度が変換できるとすれば、共鳴現象も加味するものと予想します。
 ‥簡単にコピーできるという事になると思います。もちろんコピーできるだけの光があればです。

 特定の変換を可能とする物質に光を通過させることで、性質がガラリと変わってしまうのです。

 でも、光を一気に変換しようとすれば、熱にも変換されるので、そうそう簡単では無いと思います。


> ‥と言うことは何ですか??
> 熱を発している状態の螺旋の角度というのもあるのかも知れませんね


 さらには、マイナスや虚数に角度を変えるような性質も想定されてきます。
 ‥なんじゃそりゃとしか今は想像すら覚束ない予想ですが、
 角度が変わる、共鳴する‥それだけのことで性質を変えてしまうなら、表現としてそう言えるかと。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:55 | Comment(0) | 哲学/一般 | 更新情報をチェックする

【勝手句帳】050 28-11-29 其の1静岡新聞掲載分から

↓8)向宜詠吟.2016/12/04

|縁むすびの小さき社や秋日濃し         清水町玉川

|振り向けば継ぎたる祠秋夕濃き 昔も今も是ぞ古里


 ‥「秋日濃し」これにヒントを得まして
 秋夕濃き(あきゆこき)に至りました。(ご馳走さん)

 秋夕(しゅうせき)とも読むようですが、そんなの関係ねー。
 秋夕(チュソク)とも発音があるようですが、漢字文化捨てたくせに検索のトップに出てんな!
 ‥それにしてもこの二つは似ているな。
 どうにも日本の熟語には、半島由来の言葉が変化して定着パターンが結構あるみたいですな。
 つまり、半島は半島で、大陸とは違う熟語を形成していたが、
 漢字としてはすっかり捨てちまったので、その痕跡が日本に漂っている模様。(やれやれ)


 「夕焼け」との違いは、何と言っても‥夕日の当たっている対象を詠むと同時に
 振り向けば、そこに夕日がある光景がダブルで示せるという点になるかと。

 稔りの秋を意図して「秋夕濃き」です。(祠に掛かるとすればそれ以上でも以下でもありません)
 ‥ちなみに、小さき社(やしろ)=祠(ほこら)‥だそうです。

 応用として、「春夕濃き」「夏夕濃き」「冬夕濃き」なんてのも考えられますが
 ‥どれかを代表して「夕日濃き」とするならば、夕焼けとの混乱が避けられそうにありません。
 ‥まぁ著生の言い分としては


> 「夕焼け」は夏に暮れてやるとしても、「夕日濃き」は秋だろうと思っとります。
> ‥季語上のそこの境目は、どうにも8月15日。(是にはちょうどいい半端かと)


 社や祠をみて有り難いなどと思う前に、まずは、そこに住みついて先祖を尊べてね。
 ‥じゃなきゃ、何を以て古里と呼べるでしょうや??

 (ふるさとに思えずなら‥ただのくそ拝金教のパシリなんだよ若しくは思い込みだな)
 (お互いに寄り添うにしても、それを過去形で振り返ることになるわけだから)
 (その積み重ねたかつての証が「祠」というわけだ‥他に何があろう)

 ‥「縁結び」など俺的に言わせると、どうでも好い余韻さ
 骨を埋める気があるなら、向こうからやって来るもんよ。




|秋日揺れ川底の砂黄金色            静岡市葵区長沼

夕日濃き瀬戸のたゆたう波黄金 まま往く船の澪ぞのこれり


 *間間(まま)‥折々。時々。
 *澪(みお)‥船の通った跡。航跡。

 ‥ネタの並びを下地にヒントを得ました。(ご馳走さん)
 ここは先の言い分を兼ねて「夕日濃き」を盛ってみました。


> この風景が詠みたかったんすよ。ようやっと詠めたぞ‥の思いです。
> ‥ネットの写真でしか見たことありませんけどね。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:25 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする

2016年12月01日

【参考】食事と恋愛の関連

↓2)記稿.2016/12/01

> 所謂‥結婚をして後に劇的に変化するのが「食」です
> 食が変われば、性格にも影響し、以前ほどの盛り上がりも無くなるかもしれません。


 ‥まぁそういう推理です。
 勿論、あげまんよろしくにアップすることもある予想でもあります。


 よくよく考えてみるに、旦那にしろ女房にしろ、
 以前の食生活があって、そこにその人の性格基盤が形成されてきたのです。

 それが、グルメにも付き合い始めると、崩れ始める‥

 親元を離れての食生活にもあると思いますが、自分なりのペースになることで
 今までになかった自分が目覚めたりするわけです。(偏る場合も勿論あります)


> それもこれも、食の変化だからとして考えるのが、ここでのテーマです。


 まぁ上質の食事を取ると効率が良いというのもその一つです。
 でも、誰もがそれを得るチャンスがあるというわけではありません。

 だからこそ、お袋の味にポイントが置かれるのです。

 その親の性格にしても、そこにある食生活がどうかという事です。
 その食事になれていたから、素直だったかも知れないが、そこから離れてみて見えてきたものもある。
 ‥ここではそう考えます。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:40 | Comment(0) | 考察 | 更新情報をチェックする

【所謂】豆腐風味マヨネーズ

↓4)記稿.2016/12/01

> ガッテンで見た豆腐をすりつぶすと別次元の濃厚さを得るという豆腐の感想


 豆腐をミキサーにかけてとろとろにするだけなんですが
 それで豆腐の細胞に隠れていた脂分が表面化するという下りなんですが
 まぁこれが、早い話、豆腐風味のマヨネーズということです。

 豆腐でマヨネーズができてしまうと云う事で

 マヨネーズ好きならハマりそうな話ですが
 マヨネーズがそれほど好物に無いなら意味のない話です。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:44 | Comment(0) | 日記/2016 | 更新情報をチェックする

【プレバト】冬の足湯、俺も詠んでみた

向宜詠吟.2016/12/01

|枯野ざれ まばらな街の足湯かな
|冬夕焼 足湯の湯気の濃くなりぬ
|一人来る又来る鴨や夕足湯
|賑やかをあとに足湯の息白し



> うた詠み終わります、ありがとうございました。



稚草

> 今時の温泉街も、昔ながらの温泉街もよく分からないのですが


 まばらな印象を先に出してそのままでは雰囲気悪すぎるので
 「夕足湯」なんて‥文字連想にも演出してみました。

 わざわざ寒くなる夕暮れを狙って足湯というのもどうかなと思うんですけど

 景色が良ければ、それなりのスポットにはなりそうですよね。
 ‥というオチにしてみました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 20:03 | Comment(0) | 日記/2016 | 更新情報をチェックする

【勝手句帳】049 28-11-26 静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2016/12/01

|天に向く楓小さくたたしめて青光りゐる苔玉のあり        静岡市・しおん短歌会

|多々しめる楓ぞ散れる風に立つ いざ無念とはこの抜け穴よ


 ‥「たたしめて」がよく分かりません。
 多々湿るなら、下の句の流れからして、散り落ちているようにも思えますが
 天に向くと出だしにあるので、多々占めるとも解釈できそうです。

 ‥ですが
 湿る[しめる]四段「しめりて」、占める[しむ]下二段「しめて」ですので、活用が異なります。
 その辺がどうにもとんちになってしまっているのです。(分かりづらい)
 (そもそも苔玉ってのは、苔の苗木みたいな奴らしいので、ますます分かりません)


 ‥まぁその辺は兎も角、「たたしめる」×「楓」は面白いと思いました。


> 状勢はとても悪い。すでに赤備えの兵も多くが失われている‥
> そんな中私はまだ生き残ってしまっている。
> こうなっては、もはや‥秀頼様だけでも逃げのびて頂き、家康に一杯食わしてやることぐらいだ。
> ‥誠‥無念とは、この抜け穴をくぐり抜けることよのう。


 (むろん、拙者も武士としての本懐を遂げずに)
 (ここに、生き恥を晒してでも、秀頼様の脱出を最後まで見届けなければならないのだ)


 ‥なんでも、手鞠唄に歌われた伝承通りだったそうです。子孫まで居りまーす。(TVで見たよ)
 「花のようなる秀頼さまを 鬼のようなる真田が連れて のきものいたり鹿児島へ」

 真田幸村の見てくれは、普通のオッサンだったらしいが
 「鬼」とか歌詞に出てくるのは、それが逆に、討ち死に説をそそっているような気もするのだが
 ‥まったく以て謎である。

 家康に迫ったのが別人で、幸村は大坂城に居たままにないと辻褄が合わない。
 ‥それとも、秀頼が出陣していたのか?

 只でさえ生き残ってれば赤備えは目立つんだし、弾が飛んでくるんだから、城まで戻る方が難しい。
 家康も逃げられたのを気取られないように、秀頼が出陣しなかったように書き換えたとしか思えない。
 しかし、秀頼が出陣してればしていたで、そこから幸村が離れられなくもなる筋になるから
 ‥秀頼もまた多少豪傑に描かないと幸村のイメージもポシャる感じになっちまうんだよな。




|来年も見たいと思ふまんまるの神無月の月夫と一緒に        静岡市・駿府短歌会

|神無月の夫婦の月見まんまるや
|神無月の月見夫婦のまんまるや よしなに願うそのまたの月見


 *神無月(かんなづき)‥陰暦十月(十一月)頃

 ‥無難に整っているので、直す必要もありませんがリスペクトしてみました。
 やや、第三者視点の上の句になりますが、「夫婦の月見まんまるや」にすると
 俳句としては悪くありませんが、+七七に引っぱると途端に面白くないのです。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 16:29 | Comment(0) | 名句にポン/2016 | 更新情報をチェックする