↓8)向宜詠吟.2017/03/03
|春たつや木々の芽ゆるむ音を聴く 静岡市・あけぼの句会(2-24)
|待っていた春風頬をほころばせ 静岡市・静岡川柳社(2-24)
|待ちにけり頬に春風ほころばせ 木々の芽ゆるむ音のきこゆらむ
‥面白いもので、二つの句を合体してみたところ、斯様に整いました。
この攻め方は、紀友則の「ひさかたの‥」にだって負けてねぇべ。
‥斯様な攻めがあったとは
あと十年生きても、ひとりでは気がつきようが無かったな。
いやはや、他者から学ぶべきもまだまだごまんとあると‥
(他者から何を学び取るかこそが、その人の創造性&人生を左右する次第に変わりはない)
(見方によっては、この世はお宝だらけと言うことだ)
(そこを知る程に欲張りはじめても、どうにもゴミ屋敷にも成りかねないんだけど‥)
(地球の大きさの中に、オーム宇宙を詰め込んでありますって、まさにそれだからな)
*ちなみに、「木々の芽ゆるむ音(ね)のきこゆらむ」と読めば三十一音。
> ‥待ちに待っていた春風が今吹いているのだなぁ。頬を伝いくる風がどうにも心地よい。
> まるで心の内から、芽がポンと弾けて二〜三分咲きしたかのようにうれしい。
> (きっと近隣の木々たちも同じように思って、音を立てて咲き始めることだろうよ)
それにしても‥去年とのギャップがほんとありすぎて、まさに早う来て下さいの日々っす。
(去年は二月の中頃に小夏日陽気になったのに、今年はまったく違うじゃねぇか!)
‥日向ぼっこできないと、ほんと句なんてやる気にならねぇし
日向ぼっこのできない環境で、詩人とか、馬鹿丸出しだって最近ようやく分かるようになりました。
思えば、句を詠むようになったのは20の頃で、学校通うのに部屋を借りたのがきっかけだった。
余りに日当たりが良すぎて、布団にダニが湧いちまったっすけどね。
要するに、小学校に上がる前に越した先が、外れにも日当たり最悪で
その間の十数年間、詩人の魂的に大損こいてたって事のようです。
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