記稿.2017/03/20
俳句や川柳から
+七七引っ張る短歌への詠み足しは、面白入っちゃ面白いのですが
俳句や川柳をただ手直しするだけより、かなりハードな着目が要求されてきます。
ハッキリ言って、非常に疲れるっす。
しかし、自分一人で細々と一から十まで詠むよりは
圧倒的に、ポテンシャルの高い短歌に仕上がるのには、毎回驚かされてしまうのでーす。
> そんな驚きに慣れてしまったのか
俳句や川柳の間違いや指摘という作業が
如何に中途で、平凡で、単細胞な作業だったかという事実に
「あれ?」と気がつかされてしまうのです。
> されど
「引っ張れる詠みとそうでない詠みとの違いとは??」
‥ここが重要で
俳句や川柳として整っているように見えても、引っ張れないでいると
どうにも、じれったい時間だけが過ぎていき、引っ張る必要が果たしてあるのかどうかに
自問自答してしまいます。
この違いが何なのかが‥よく分からず‥
とりあえず‥詠めてても「名句にポン」として成立しない引っ張りは弾いてしまえと思うこの頃です。
> まぁあれですよ。男と女の関係みたいな物で
俳句や川柳の完成度を、男として女としての完成度としてみるなら
+七七への引っ張りは、とくに完成度が高くなくても引っ張り合わさることで
輝きを増すという見方になるように思います。
まぁそう考えますと
「俺の歌風との相性が絡むのか??」‥まぁ、まだ何とも申し上げられませんな。
‥知識の制限は確実にあるだろうな。(苦手や知らんことははまったく引っ張れんからね)