2017年05月30日

【存続希望】カールが衰退した要因はうまい棒に有り

記稿.2017/05/30

 カールの食感は、うまい棒と比べるとハードです。
 どちらも、トウモロコシが原料なので、風味もほぼ同じです。


> どちらが好いかというと、やはり、うまい棒になると思います。


 ‥カールのあの形状が好いという向きもありますが
 多少大きめなので、ハードさも手伝って、
 口が小さい、アゴに力が無い人には食べずらいのです。

 しかも、ハードさを乗り越えて、ガシガシ行こうにも
 歯に絡みつくので、食べるのが億劫にも思えてしまうのです。

 ‥どうせなら、もう少し小さくすれば良かったのにと思います。

 (たぶん、小型化させると、あのハードさが出ないとかで、没になってきたのかも知れません)


> ということで、同じ原材料だし


 リスカが責任を取って、カールの製造を請け負えば良いと思います。
 明治はキャラクターだけを維持して、それで良いと思います。


 リスカとしては、ハード食感のうまい棒に挑戦できたり
 カールおじさんキャラをコラボしていく手もあると思います。

 うまい棒のノウハウを活かして、柔らかめのカールを送り出すという手もあると思います。


 ‥生産中止を決め込む以前に
 コラボに向かわなかったのは、双方の体質ですかね。
 似たような風味の商品ですので、やはり、ライバル意識は有ったように思います。


> 放っておいては、どこぞの国が真似をし出すだけですから
> 食べ物文化だけに、それだけは我慢できないというか、憤慨です。
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2017年05月29日

【勝手句帳】110 29-5-26/5-27 静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2017/05/29

|早咲きの桜の土手のにぎわいも瞬の間にして若葉の輝き        焼津市・高草短歌会(5-26)


 *瞬の間(つかのま)とでも読ませたいのか??
  束の間(つかのま)では、もはやセンスが合わないと言いたげか

 (同意できかねます)
 (‥束(つか)なる言葉の痕跡がまったく見えなくなるのは、まずいんじゃねぇの)
 (それでなくても、花の期間はサクラで七日間もあるわけで、瞬の字の当ては論外です)


> ネタは、五句目の括りに向かうまでの
> 前置きの扱いに、詩情がまったく感じられません。


 ‥「若葉も好いね」と言いたいのでしょうが
 とくに若葉を讃えるに適った趣が示されているわけでも無く
 
 かといって花についても、何も書いてないのも同然です。
 
 上の句を飾りのように置くだけでは、どっちともにおざなりです。
 (しかも「早咲き」なんで‥花に関しては尚のこと掻い摘まみ程度の印象です)

 ‥どうにも、まずは「桜の花」に謝ってください。


|あれほどの花のなみだは風に果て 振り向く君の若葉の輝き


> サクラ咲く時節が、なみだのように散り去ったというのに
> 振り向けばもう君は、立ち直っていて、なんとも輝かしく若葉を身に纏っている
> ボクの方が戸惑うばかりだよ(でも悪くない、それも君の放つ魅力の一つなのだなあ)




|バックミラーに赤あかと夕陽映しつつバイクで走りし遠き日憶う     裾野市・石蕗歌会(5-26)

|流れ見るバックミラーに夕陽濃き バイクの風に愁う黄昏


 ‥ネタは、映像に描いて見たくなるような着目です。でも


> 記憶に従って、思い返しているところまでを句に折るよりは、
> その時をそのままに詠んでみる方が楽しいと思うのですが
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2017年05月28日

【勝手句帳】109 29-5-20/5-23 静岡新聞掲載分から

↓6)向宜詠吟.2017/05/28

|太鼓橋藤満開に咲き満ちて           浜松市・三ヶ日俳句研究会水鳥発行所(5-23)

|藤越しに逆さと映える太鼓橋 渡りた先に亀戸の苑


 ‥「藤 太鼓橋」でググってみると、「亀戸天神の藤まつり」で画像が並ぶようです。 

 (これはもう、ネタは、それの詠みと断定できるかと‥)
 (それにしても、景色にアングルが見えてきません‥「満開に咲き満ちて」はクドすぎます)
 (ということで、↓画になりそうな見映えの好いのをチョイスしてみました)


 FUJI&TAIKOBASHI.jpg

 出典:亀戸天神の藤の花


 ちなみに‥江戸期の浮世絵に、その太鼓橋は朱に塗られておりません。
 そしてデカい‥(あれの半円状の橋の端と端は階段状なんだろうなと思わざるを得ず)


> 浮世絵のそのまんまがお目見えすれば、さらに名所になるのにな‥(見てえだろうし)


 * 神社の入り口に見られる半円状の架け橋を「太鼓橋(たいこばし)」と言います。

  亀戸天神社の太鼓橋は二つあり、
  手前を「男橋」、奥を「女橋」と呼び、「三世一念の理」がこめられているそうです。
  ‥簡単に述べると、池と橋を人の一生に見立てとるんだそうです。

 で、池の形状もかなり変わっておりまして、
 鳥居と社殿の間に池が縦長にまるを描いた様相です。(だから太鼓橋が二つ必要)

 で、池の内側を苑にしてあるという次第です。
 ‥江戸の当初から、「亀戸の藤」として知れ渡っていたそうです。


> にしても、ここは菅原道真&菅原家の祖神の社なんですよね。(その辺はさておき)


 ‥手直しからの引っぱりをどうしようかと、かなり悩みました。
 頭から短歌で詠むなら、五句目を「亀戸の藤」で括りたい向きになるところですが、
 俳句からの引っぱりなんで、すでに「藤」が出ちまっております。

 ‥仕方がないので
 社内側からのアングルで、藤越しに太鼓橋を見ながら、さらに
 それを渡って藤を見に入る流れになりました。

 (そうでもしないと、太鼓橋の句になっちまいます)

 ‥それにしても
 太鼓橋の上から藤の花は見えず、つたの緑で覆われているだけです。
 その辺の写真が見当たらないのですが、誰も注目してねぇって事ですか?

 (‥そうなんでしょうな)

 それで、この日まで、藤の花が、葡萄やキウイフルーツと同じく
 蔦を伸ばす樹勢であるということを知らずに居り、漸くにして理解しましたぜ。

 (少し考えれば判ることでも、思い込みがどこかにあって、すっぽ抜けていると)


 ‥要するに、藤の花とは
 人の手が加わらないのでは、あーもきれいに並ぶことが無いと言うことです。

 じゃ、藤原の「藤の原」ってのは、自然界には存在し得ないってことで良いのか?
 それとも、この藤原ってのは、「藤の花の上の景観」を指しているのか?

 とくに食べる系の栽培でも無いのに、花が見たいがゆえに、その栽培方法を見出すのだろうか?

 只でさえ稲作にしても里芋にしても、日本の農耕は伝来に由来するのだから、
 ‥藤の花を見て、それの栽培を思いついたのはやはり渡来人だったと考えられるかと
 ‥じゃ、「藤原」の姓を授かったもとい授けたって事は、どういうこと??

 (着想からして、渡来文化っすよね)
 (しかも葡萄栽培圏が絡むように思えてくる。葡萄以前にそれ系の植物栽培はあったのか?)


> 放置しておくだけだと、寄生植物にしかならないのに
> きちんと手入れしてやると、なんとも雅に様変わりするのは、
> 如何にも貴族体質としか言いようがない‥


 ‥さすが日本の貴族由来の姓の代名詞「藤」、目の付け所からして自覚があったと
 でも結局は、その藤原の栄華を支える羽目になったのは庶民でーす。
 どんなに雅やかに見えようと、寄生植物の弱さが克服されるわけではありません。

 「藤原」とは、実に因果な響きだったんですね。
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2017年05月25日

【勝手句帳】108 29-5-19 静岡新聞掲載分から

↓10)向宜詠吟.2017/05/25

花嫁の人力車ゆく飛花さなか          沼津市・若草俳句会

|往来や人力車こそ飛花のごと歴史浪漫の風よぎりたり


 *飛花(ひか)‥風に飛び散る桜の花びら。(春)


 ‥ネタの趣はまぁそこそこ好い感じではあるのですが
 「花嫁」と「飛花」‥まぁ昔ながらの縁起担ぎでいえば最悪ですよね。

 ということで、発想を変えてみたところ‥


> 斯様に格好良く仕上がりました。(ごっつあんです)
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2017年05月21日

【アイデア】新元号0年度案

記稿.2017/05/21

 元号(年号)が変わると、年度のダブりがどうにも好かん。
 経済的にもコンピューター上での表記が面倒くさいだろうし
 この際だから、0年度を導入して重複を避けるべきだと思う。


> ‥そういう提案は誰もしないのか?
posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:21 | Comment(0) | 目の付け所をナス/2017 | 更新情報をチェックする

2017年05月20日

【勝手句帳】107 29-5-16 静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2017/05/20

|春月のまだ遊んでる滑り台        三島市・市民俳句会

|春の月まだ遊んでる滑り台 風なく雲なく艶々として


 ‥ネタの句は、春の月に照らされている滑り台の様子を詠んでいます
 とくに遊んだままの子供が居るという訳ではありません。

 なかなかのユーモアが盛り込まれいて、どう引っぱるかでしたが、どうにか整えました。


> ‥振り返ってみると、主役は月になく滑り台だったと
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【勝手句帳】106 29-5-13 静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2017/05/20

|こひのぼり諸行無常の空泳ぐ         静岡市・「宇宙」みなみ句会


 ‥ネタの着眼が実に見事、素晴らしい!!!
 (言われてみれば、そうですねと、唸るしかねぇ!)

 しかし、「諸行無常」などとテーマが大きくなってくると

 もはや「鯉のぼり」は、風に吹かれるだけの鯉のぼりではなく
 端午の節句としての「象徴」の趣です。


|鯉のぼり勝って兜の緒を締めよ 諸行無常の泳ぐ空


> 日本男児たる者、己に対して高みを目指してこそ本懐であろう
> それを祝うということはどういう了見だろうか??(自惚れにも程があろう)
> 「勝って兜の緒を締めよ」が、この行事の本懐であろうぞ
> 祝うのでは無い「学ぶ」のだッ
> 学んで学んで学び尽さんとしたとて、諸行無常に吹き荒れる空には心許ないのだぞ
> ‥そうとは言え、斯様にも鯉のぼりのように悠々と生きたいものだな


 (まさに、天晴れな詠み)



|鯉のぼり元気に泳ぐ里の空          掛川市・草の実俳句会


 ‥ネタの着目は至って平凡ですが、好く整っています。
 ですが、その「里の空」を見上げたなら、
 さらに発想を飛ばしてみるのが「鯉のぼり」というものです。


|鯉のぼり法螺貝きこゆ古戦場 戦国ロマンも里ありき


> 空一杯に広げられた数多なる鯉のぼりを見ていると
> 戦場に響き交う法螺貝が聞こえてくるようだ(どこの里でも戦火は見られたことだろう)
> それにしたって、かつての戦国の世に思いを馳せようとも、
> 基本は里だよ。里を護らんとして、里を愛し、里に生きるがゆえに熱くなれるのだ
> その点、パッと見で決めて引っ越しゃ好いみたいな現代の空気は残念なほどに全然成ってないよね
> (だから、現代の自由には、互いが好き勝手言うだけで、ロマンが通っちゃいないのだ)


|浪漫は一人では成らず
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 09:58 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする

2017年05月18日

【勝手句帳】105 29-5-12 静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2017/05/18

初蝶の頭上にまとい宮詣り          沼津市・香陵句会

|初蝶がおつむに居よる宮詣り まずはその怪を払いませう


 *怪(け)‥あやしいもの。


 ‥詣での「詣」の字を、参りに当てて、「宮詣り(みやまいり)」
 (盲点でした、好いと思います)

 ‥まぁ「宮」ですので、仏閣ではありません。(江戸時代がどうだったかは判りません)
 仏閣なら他力本願も有りかと思いますが、神道は自立云々とうるさいところですからね。
 「初蝶の頭上にまとい」って、そりゃアカンでしょ。


> まずは、そんなお花畑思考をお祓いして貰わないと。
> 「そのつもりで来たんでしょ?」と、ツッコまれちまい兼ねませんな。


 「お祓い」=「お清め」=早い話が手入れです。掃除です、洗濯です。
 その穢れ・汚れ自体を「悪」とした概念ではありません。
 根絶やしにせんとして改めよとか‥そういう事ではありません。

 満たされない想念なり、ナイモノねだりばかりの想念などを払うことで
 気持ちを落ち着かせるという所に、お祓いの意味あります。

 ‥でもまぁ

 効率の悪いモノの見方というのも確かにございます。
 しかし、それにしても、気持ちが落ち着かないのでは、客観視もままならないと‥

 (仮に‥客観視できたとしても、身についた習慣はそうそうに改まらないのが相場です)
 (神道の神々の方針は、実に気長ということになるかと思います)
 (なにしろすべてはバランスに左右してこそですから)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 00:58 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする

2017年05月15日

【哲学】偏見とお得に有りつきたい症候群

↓4)記稿.2017/05/15

 暮らしの中に競争を意識させると、
 まず始めに、何が一番に楽に優位に立てるかを誰しもは考える。


 ‥考えざるを得まい。そしてそのまま洗脳に染まるのだ。


 そして段々と
 日常のたわいのない暮らしぶりが、糞のように見えてくる‥

 「あれもくだらねぇ、これもくだらねぇ‥」

 すべてはお互いの暮らしを成り立たせている何気ない所作に過ぎないだけなのに
 それこそが、繋がりのある暮らしぶりの一つ一つの実際という次第にも拘わらず
 頭ごなしに、「糞」としてレッテルを貼り付けるのだ。

 しかも概ね二十年間も、そんなくだらねぇ気持ちで一杯になって悶悶と過ごすのだ。

 ‥まさに「糞」だね。(人生の無駄、後悔、不敬)


> それでは一体誰がそれらを笑顔で引き受けるようになるだろう?


 皆で、若いうちから、それらを糞だと言ってるような様である。
 ‥まるで、格差社会を望んだの如しだろう。

 (まさに、今の時代だよ‥願ったり叶ったりじゃないのか‥)


 そしてやってきたのが金融博打の万歳三唱だ。絶対資本体制だ。
 この国の流行りは、すべてにおいて万歳三唱で始まる。

 (そうやって始まった事柄ほど、大いに糞なんだけどな)

 そしてその糞の大元の西洋文化に媚びを売らんばかりに、自分たちを卑下することに懸命だ。
 バカなの?マゾなの?、ポチが主人を選び間違えるにしてもショボすぎる。

 ‥それが「共生」を選ばずに
 「競争」を選んでいる者どもの弱みということでもある。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:09 | Comment(0) | 哲学/一般 | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

【勝手句帳】104 29-5-9 静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2017/05/13

排水溝へ群るる若鮎光る波                 沼津市・千本プラザ俳句教室
小アユ跳ね命をつなぐ早瀬かな               沼津市・千本プラザ俳句教室



 ‥ネタ1は
 排水溝がどのような規模を想定しているのかがまるで分からないので
 評価のしようがありません。


> ‥リアルに描こうとして、そのままに言葉を盛る必要があるのか?
> その辺の線引きをどうするかが今後ともに課題でしょうね。


 ‥ネタ2は
 「命をつなぐ」が何を指しているのかが、思わせぶりなだけで、具体的な意図が不明です。
 この手の掴みは、鮎の生き様ということになるので


> 無理に春の季語に見合うように「小アユ」などと盛る意味があるのか?‥でしょうね。


 ということで、二つのネタをまとめてリスペクトしてみました。


|鮎光る群るる命の早瀬かな 激しく生くる穢れを流し


> 早瀬に群れる鮎の生き様は実に清々しい(すがすがしい)
> そりゃ、お互いに激しき流れに棲もうというのだ、穢れを流しつつ生きているのだろう
> (私たちも手本とすべきと‥そんな鮎に惹かれるのだろうよ)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:46 | Comment(0) | 名句にポン/2017 | 更新情報をチェックする