↓9)向宜詠吟.2017/05/04
|名のなきも名のある山も笑ひけり 藤枝市時ヶ谷
|知る山も知らぬ山も春の仲 花ははにかみ霞に隠れり
‥ネタは着目よりも
言葉の盛り方(名のなき‥名のある‥)が面白い印象ですが、
日常の言葉で盛るなら手直し(知る山‥知らぬ山‥)の方です。
さらに、
「山笑う」の季語としては、それで成立しているように見えはしても、
文章としては、笑う対象がどこにも示されていない形ですので落ち着きません。
> ‥まぁ、そんなこんなで斯様なリスペクトになりましたん
「山笑う」はほぼ初春よりの季語で、
「春霞」は晩春よりとの違いはあるわけですが、そこはまぁどうにもなりません。
‥どちらにせよ、ネタの句の印象自体が、初春らしくありませんからな
(そこが、笑う上での対象が別に有るのではないのかと、思わせてしまっている敗着です)
> 対象をさらに要求してしまうような季語の応用(言い回し)には、注意しましょう。
|過疎村のオルガンひとつ卒業歌 島田市旭
|まっすぐな思ひ出の道糸桜 御殿場市神山
*糸桜(いとざくら)‥枝垂れ桜の別称。
‥ネタ1は、「過疎村」をどう解釈するかになります
パッと見の印象として
上五は「分校の」だろうと思うわけですが、
|分校のオルガンひとつ卒業歌
‥どうにも、卒業式の練習との向きも否定できなくなってきます。
ということで、「過疎村」と強調してある意図を考えてみるに
この後、「廃校」なのではないのか??‥と思われるわけです。
‥ですが
上五「過疎村」の盛りでは
どうにも、外部からやって来た人の目線です。(卒業写真を撮りに来た業者のカメラマンとか)
いやいや、それじゃ駄目でしょ
どうしたって、自分ところの学校をそんな風に表現するわけがないんです。
(それでなくても、この村には楽器がオルガンしかねぇような向きにも見えてしまっています)
|果てるらむオルガンひとつ卒業歌 泣きけるこの日も糸桜
‥本日、分校を卒業することになりました。
‥思えば、私が、この分校の最期の卒業生になりました。
‥(どうしてなのだろう)
‥卒業と同時に里の分校が消えてなくなると思うとほんと泣けてきます。
‥そういえば、見送った卒業式の度に校庭の糸桜が咲いていたように思います。
‥この日も忘れられることなく咲いているのを見るとますます泣けてきます。
> ネタ2は、列んで隣りにあったので、「糸桜」だけお借りしました
‥無理に「思い出」などと盛ろうとしてもどうにも変!
「まっすぐな思い出って何?」
「まっすぐな思い出の道って何?」
人間ってのは、たいてい凸凹した思い出しかないものでして
道にしたって、凸凹が前提です。
‥真っ直ぐなのは「志」で概ね十分です。
|挫折なくして、真っ直ぐな道など成らずっ!
|廃校のオルガンひとつ懐かしき あの頃のまま今も耳こえり
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