2017年05月15日

【哲学】偏見とお得に有りつきたい症候群

↓4)記稿.2017/05/15

 暮らしの中に競争を意識させると、
 まず始めに、何が一番に楽に優位に立てるかを誰しもは考える。


 ‥考えざるを得まい。そしてそのまま洗脳に染まるのだ。


 そして段々と
 日常のたわいのない暮らしぶりが、糞のように見えてくる‥

 「あれもくだらねぇ、これもくだらねぇ‥」

 すべてはお互いの暮らしを成り立たせている何気ない所作に過ぎないだけなのに
 それこそが、繋がりのある暮らしぶりの一つ一つの実際という次第にも拘わらず
 頭ごなしに、「糞」としてレッテルを貼り付けるのだ。

 しかも概ね二十年間も、そんなくだらねぇ気持ちで一杯になって悶悶と過ごすのだ。

 ‥まさに「糞」だね。(人生の無駄、後悔、不敬)


> それでは一体誰がそれらを笑顔で引き受けるようになるだろう?


 皆で、若いうちから、それらを糞だと言ってるような様である。
 ‥まるで、格差社会を望んだの如しだろう。

 (まさに、今の時代だよ‥願ったり叶ったりじゃないのか‥)


 そしてやってきたのが金融博打の万歳三唱だ。絶対資本体制だ。
 この国の流行りは、すべてにおいて万歳三唱で始まる。

 (そうやって始まった事柄ほど、大いに糞なんだけどな)

 そしてその糞の大元の西洋文化に媚びを売らんばかりに、自分たちを卑下することに懸命だ。
 バカなの?マゾなの?、ポチが主人を選び間違えるにしてもショボすぎる。

 ‥それが「共生」を選ばずに
 「競争」を選んでいる者どもの弱みということでもある。
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:09 | Comment(0) | 哲学/一般 | 更新情報をチェックする