2017年07月29日

【弥勒論】05 課題は‥{発行権限云々}×{お金の流し方}(第一章01-07)

向宜弁論.2017/07/29

 ベーシックインカム絡みで、代弁的に政府通貨の言葉が飛び交ってくるが
 その洞察は悪く無いにしても、それだけでは宜しくも無い


> そもそもの資本経済のお金の流れには手付かずのままの発想だからである


 ‥今や、どことなく軽量化され始めているが、以前からの信用創造の流れを語ると次になる

 誰かが銀行からお金を借りたり、引き出して使うと、そのお金が次の銀行に流れる
 銀行同士はそれで得たお金をこれ幸いとばかりに、短期的にカネを銀行間で回し合う
 貸しだした側のカネを、届いた側のカネとの辻褄を合わせる儀式にも見えるがそうでもなく
 当然の如く自由化されている

 ‥銀行群の基本は、兎に角、借用価値(お金の創出)と送金を繰り返して手取りを稼ぐのだ‥

 (以前は、借り手から担保を取り、それの通貨価値相当を種銭として)
 (市中銀行は中央銀行に預金分としてカネを預け入れ)
 (そこからレバレッジを掛けて、種銭価値倍増ルールに則って紙幣発行していた)
 (つまり、借り手が居なくなると、この仕組みは途端に全体で酸欠だ)

 (銀行の貸し剥がしとは、中央銀行に納める締め日に間に合わせるカネの都合だった)


 ‥自分らの財に種銭倍増価値があるにも拘わらず、権限が無いと言うことで吸い取られるのだ‥


 (その各中央銀行は、為替レートの辻褄をにおわせながら、中央の中央に上がり分を送金していた)
 (送金と言っても、実質的には文面の交換に過ぎない‥だから為替‥組織信用の形だ)
 (子分の市中銀行やら企業やらを手なずけておく為にも、借用書の売買が認められた)
 (出し抜くことしか頭に無い金貸し連中からしてみれば、それは化かし合いの賭場だった)


 ‥つまり、{借用書}={金利を手にできる権利}={権利売買する上での裏付け}‥


 (交換して元金分が下がろうが、金利配当が同じなら損得トントンとした腹づもり)
 (借用書の交換の成り立つことが前提で、金利で稼げることが欠かせないのだ)

 (返済不能の借用書を不渡りというが、それはまたババ抜きだった)

 (親分側にしても、出る杭を警戒し、ただ指をしゃぶって見ているだけなんてことをしない‥)
 (つまり、親分側の出来レース or イカサマがバレるとお互いに廃退だ)


 ‥バレなきゃOKのどこに、基本的人権の尊重があると言うのだね‥


> {貸し出し総額}−{返済される割合+金利+貯金される割合}{絶対的返済流通量の不足}


 ‥斯様な仕組みに据えおかれたままだから、無担保&逆金利にしても間に合わない
 (はじめから搾取が目的の詐欺システムだった)

 ‥政府通貨云々の実現にしてみても
 今やその形は、日本国財務省と日銀のタッグみたいなもので
 公債への支払い文句が、政府説明の決まり文句から撤去されるだけにとどまりかねない‥

 (まぁそれだけでも随分とした前進には見えるだろう)それゆえ、そこが又曲者なのだ

 (資本主義社会では、未来永劫、借金まみれでいてくれないと破綻してしまうのだから)
 (そこで身に付いてしまった癖を、リセットする気があるとは、とても思えない)



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:59 | Comment(0) | 弥勒論 | 更新情報をチェックする

【弥勒論】04 政府発行の通貨に無いがゆえに{返済&金利}が発生する(第一章01-07)

↓3)向宜弁論.2017/07/29

 ベーシックインカムに懐疑的な声にしても
 その疑問の本質を突き止めて正しく語ることはない
 それは、資本主義の欠陥を大衆にさらすことと理解しているからだ


 ‥そこを濁すかのように、決まり文句は財源だ‥


 そんな財源が幻想であることぐらい誰にでも明白だ
 なぜなら、自由主義のそもそもは、善意だろうと強要を認めない点に尽きるからでもある

 ‥どうして、テメエで汗して手にしたそれを他人優先に使わなぁならんのだ
 ‥順序的にも、(稼ぐ為に)すでに時間拘束もされ汗も掻きヘトヘトにある
 ‥なら、まずその全額を自分の為に使えるのが筋(最低でも自分の生業の継続が先だ)

 そこまでをすでに十分に満足してるレベルと同じにするなってことで、二分するのだ

 ‥しかし、積み上がった国債を見ても、エリート側は誰も反旗を翻さない
 ‥それはどうしてだろう?
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:06 | Comment(0) | 弥勒論 | 更新情報をチェックする

【勝手句帳】132 29-7-25 静岡新聞掲載分から

↓6)向宜詠吟.2017/07/29

黒南風や吹奏楽部音合わせ                    島田市中河町


 <評>「黒南風(くろはえ)」は、梅雨どきの南風のため、天が暗くなるのをいう。
    そんな中で、吹奏楽部の面々が、演奏前の「音合わせ」をしているのである。
    「黒南風」という季語がよく利いている。
    これに対し、梅雨明け後の南風は天が明るくなるので、白南風(しろはえ)という。by選者


|黒南風や吹奏楽部音合わせ 今は未熟を乗り越えたれと


> ‥この頃、先生の指導がなんだか急に厳しくなって
> 今、私たちの吹奏楽部では、部員同士の呼吸に不協和音が雑じってしまってます
> (未熟なんだから、音合わせすれば下手な音も混じりますけどね)
> 頑張りの歩調が合わないのではダメということなんだと思います


 

 *↑舞台の京都では、黒南風なる言葉は使わないと思う。




風鈴売りのリヤカー揺れて陽を弾く昭和の音の蘇りくる       浜松市中区元魚町

|リヤカーに鈴なる風鈴 日を弾く 昭和の余韻 響き交ふ風


> めずらしく風鈴売りを見かけた
> リヤカーに鈴なりに飾られた風鈴が、道端で日を弾いていた
> ‥ああ、なんと懐かしい‥
> 昭和の頃を思い出させる一陣の風に、しばし聴き入っていたよ
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2017年07月27日

【弥勒論】03 資本競争がもたらした心理(第一章01-07)

向宜弁論.2017/07/27

 今やどうしようもない格差の絶対資本体制にまでにたどり着いた現代経済が
 人類に突きつけている因果は、存続の希望を閉ざすほどに影響甚大だ

 どんなに馬鹿でも、地球環境について寝ぼけたままでは居られなくなっている

 なまくらの刀をさぞや名刀と偽った程度の科学力で
 (多くの者らが)科学万能に自惚れたのである。名刀のレベルにさえ辿り着けないくせに
 核を破裂させる程度の大ざっぱで、コントロールも覚束ないのに神の如しと大げさだった


> 経済に相対し、まみえたのは‥所詮、「誠実」と「自惚れ」だった


 (誠実は改善を促し、自惚れは停滞を引き起こす)

 それにしたって、儲けることしか頭に無くなれば、それら改善にしても血で黒ずむのだ
 それが須く21世紀の絶対資本体制に至るまでの連綿とした経済事情だった

 それでも、私たちは、そんな血まみれた手を握り合いつつ、一つのことを学んだ
 それは、まずは公平であること、次に自然を尊重し穢さないこと、自由はその次ぐらいで丁度良いと


 しかし、それにしたって

 再起もままならぬ資本社会ゆえに、絶対資本体制の上位に立つと
 途端に取り憑かれて、公平への改善など上の空なのだ‥

 お金の歴史(戦争の歴史・改ざんの歴史)が如何に真っ黒だったかについて
 エリート的に受け入れることが出来ないとばかりに
 先祖の努力に泥を塗りたくないとばかりに
 自分の出自を善良だと正当化しておきたいがばかりに

 ちっとも、お金の白黒よりも、自分たちの白黒をあんずるばかりでどうしようもない

 なにしろ競争に染まったままだ、自分たちを真っ黒と言い始めたら
 取って代わられるばかりだと思い込んでいる‥

 ‥競争ゆえの思考ゆえ‥
 貪ってきた己の姿に大衆の目が恐ろしいとばかりだ



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
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【弥勒論】02 お金のルールを決めるのは今や人間同士の思惑(第一章01-07)

向宜弁論.2017/07/27

 もはや、お金の歴史を、先駆的高度文明の存在を抜きに語ることはできない
 その者らが、人類にお金と戦争を吹き込んだのだ(何の為に?)


> ところで、その者らはどこからやって来たのだろうか?


 文明を地球に限定しては、この謎を推し量ることは出来ない
 しかし、その又源流を考えれば考えるほどに、神を思い浮かべるばかりだろう
 そうだ、宇宙には始めから高度な連中がなぜか居たのだ(そう考えざるを得まい)
 その者らの間で仲違いが発生し、人間を介した競争になっていた‥


 ‥不思議なもので、この世に宗教というのがある辻褄にもなろうか‥


 その神々でさえその程度ということなんだから、人間が頑張って知恵を絞っても高が知れている

 経済だからと、数学的な手法が駆使されているなんてまやかしだ
 何のことはない、最後に決めるのは、各々の都合である
 好いようにデータを解釈し、時には尾ひれを付けて改ざんするのだ

 経済とはまさに、嘘を見抜けるかどうかの化かし合いにあるのだ

 黙ったままでは、鉄砲玉としてこき使われるばかりである
 そんな偽りと格差に覆い尽くされた経済ルールに終止符を打つのは善良の神などではない
 今や人間同士の知恵と取り決めだ



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:30 | Comment(0) | 弥勒論 | 更新情報をチェックする

【弥勒論】01 資本主義の偽りと原点(第一章01-07)

向宜弁論.2017/07/27

 ‥もう一度言いますよ
 お金の問題には、すべからく話し合い(お互いの思惑)が絡んで来たのです
 お互いに出し抜く為にも、だんまりにも非公開情報が絡んで来たのです
 その秘せられた内容を知る者に有利だったのが資本の格差でもあったのです

 その原点こそが、出し抜く為の取り決めだったんですから
 ぶっちゃけ、産業革命を境に、誰が支配権を手にできるのかとした追い込みが始まったのです


|お金という道具があるのではない、取り交わされた誓約があったのだ


 ‥人類史上、最も不思議なのは
 気がつけば、お金が発明されて、お金の貸し借りが正義として崇められてきたことだ
 ヒトは其を拝金主義と揶揄するが、まさに、カネこそがすべてとして取り憑かれるのだ

 ‥神は信用ならずとも、カネなら信用できると‥

 その神にしても、私たちは、お金の起原同様に忘れ去っている
 すべてが真っ新のまま手さぐりだ
 それゆえ、潜在的にはこう理解しているはずだ

 ‥お金という道具を発明したのも、また神である‥

 しかし、その前提には、鋳造技術という高度な文明が必要である
 神が発明したのはお金だけだったろうか?
 否、それだけの鋳造技術を以てすれば、鉄器の創出も難しくなかっただろう
 ならば、目に見える価値を生み出すのだ、それを守る術も合わせて考えもしただろう


> 労働の対価としてのカネは、いつの間にか、奪ったあとの分け前に変わった


 蓋を開けてみれば、それが人類の程度だった
 金や銀の希少性が、その意味を誰にもわかりやすい形で正当化していた
 それはまた、防衛の正当化を余儀なくした

 お金の歴史は、戦争ビジネスの歴史でもあるのだ

 一方で、金や銀を運ぶのは手間だった
 そこで発明されたのが、為替だった
 (契約書の受け渡しとサインがお金の役割を担うのだ)

 実のお金(金銀&商品)がどこにあろうと、動かさずとも取引が為されるのである
 その為替(契約書)のなれの果てが、今や紙幣であり株式であり国債にある


> さて、本当のお金はどこにあるだろうか?


 私たちが思い込んでいる日常となった通貨とは、それこそ只の紙切れ(不換紙幣)である

 「紙は信用ならずとも金(きん)なら信用できると‥」(兌換取引)

 元々、コインの鋳造は王様や大司教の権限だった
 それが伏せられて今も連綿と続いているという
 伏せられていると言うだけあって、代理人には高給が支払われている

 否、正確には、発行したあとのお金の使い道の権限だ

 その代理人が、真っ先に投資すべき先が防衛(恐喝)であり
 その次が、同盟国を傘下に縛り付けておく為の根回しにあるのは、問うまでもない

 ‥主と代理人が、如何に善人だろうと、仕組みはどうしたって真っ黒なのだ
 それはそのままに、人類の程度だった



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:19 | Comment(0) | 弥勒論 | 更新情報をチェックする

【勝手句帳】131 29-7-22 静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2017/07/27

|うす紅のふくよかに咲く八重桜散るをいそがず夕光に映ゆ  静岡市・SBS学苑パルシェ教室短歌会

|うす紅と夕光に映ゆ八重桜 散るを急がずまるく添いけり


*夕光(ゆうこう)

> 桜と言ったらソメイヨシノで、八重桜が好いという割合は下がるだろう
> でも私は、八重桜の散り急がずに丸まると寄り添ってある趣が大好きだ
> しかもそれら濃いめのピンクが、春の夕日に照らされて
> うす紅へと変わる様が、なんともそろい微笑んだようで、それがまたたまらないのだよ




|現実に飽きて変えたき法なりや七十年の平和にも馴れ            静岡市・駿府短歌会
|戦争の「放棄」仰ぎて七十年徐々に九条不都合のこゑ            静岡市・駿府短歌会

|七十年 放棄御輿の色直し「独り善がりはダメ」担ぎ出し


> 思えば(今年は)日本国憲法施行からちょうど七十年である
> これまでの目玉と云えば戦争放棄の「放棄御輿」だったわけだが
> ここに来て、世界情勢に都合が宜しくないとして、お色直ししようって気運らしいけど
> 「戦争反対」をだな、例え独りになっても貫き通さずしてどうするんだって話さ
> 「戦争放棄」のお題目なら尚更さね
> ‥「独り善がりはダメ」とか、ほんとお門違いも甚だしい‥
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:41 | Comment(0) | 名句にポン/2017後半 | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

【勝手句帳】130 29-7-21 静岡新聞掲載分から

↓7)向宜詠吟.2017/07/26

|朝焼の七面がれ場赤燃ゆる       沼津市・裸子駿河句会

|尽きぬのかナナイタガレや夏至来光 赤く腫れたるナミダのような


> キミは知っているかね?、日本三大崩れに匹敵する七面山(ナナイタガレ)
> その七面山は太陽の通り道と糸魚川・静岡構造線とがクロスする希に見る霊場だという
> その姿は朝日を浴びて赤く染まるまでも無く
> 赤くはだけた山肌が、いつの頃からかずっと崩れ続けているという
> まさに流し続けた涙の見せる赤くはれ上がった表情そのものに見えて来る
> (なにゆえに‥そこまでの悲しみに打ちひしがれているのだろう‥)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 19:35 | Comment(0) | 名句にポン/2017後半 | 更新情報をチェックする

【詩】人格ときめえ

向宜詠吟.2017/07/26

感情が無い若しくは薄いと云うことで
忌み嫌われるのが人の世だ

また

多重人格への理解に乏しいがゆえに
同じように扱われているのも人格云々への問いである

しかし

心が豊かということへの憧れと共に
実はそれこそが正体不明にも係わらず
安易に敬愛されてしまっている不可解且つ不公平な状況もない


これの辻褄を考えるにこうまとめることが出来よう


より多くの他者を理解するには、ある程度の経験値が必要だ
それは、無関心だった意識が、より多くの心を知ろうとして原野を彷徨うようなものだ
その結果、明らかに以前とは異なる雰囲気をまとうことになる

(誰しもにある経験だろう)
(今やAIにしてみてもそれが常識だ)

そこに、新たな見方を獲得するにせよ
云うならばそれは、心に年輪が刻まれるようなもので
姿は同じにせよ中身はまったくの別である

つまり別人だ、多重人格としての自己を獲得していくのである

心が豊かとは、心に刻まれた年輪の多さと云うことであり
他者の感情の多くを、それのパターンへの失敗を知り
それとは違う選択を試み、妥当を積み上げた結果と云うことになる‥


そしてそれは、それがゆえに時には無情にも見えるだろう


(どう反応して善いかわからない)
(そんなのはしょっちゅうにあるも、徹底の仕方が異なってくるのだ)
(無論、そこの徹底の仕方は誰も同じではない)

他者に見る失敗にしても、目指さんとした目的が違えば
刻まれるだろう自己の獲得も随分と変わってくる

心が豐かを互いに尊重しようとも、それぞれに豊かとしている気色は
自分に近いか否か、次の人格を得るに適っているか否かにしかない

また

それぞれ成長のパターンも異なる
さらには、進展を見せずの人格と格闘している様もある
一様に同じで無いのだ

それでも

感情が無いという言い方がピタリとするパターンがある
それこそが、無礼をわきまえず、自分を差し置いて
他人との隔たりを思い込ませて、ランク付けしたがる人格の主張だよ

「甚だ実にきめえ」

ランク付けとは、まさしく今時のAIのプログラムさながらだ
順位付けでしか計算(比較分岐)していないのだからな‥

人として健全に対処することへの配慮無きポンコツだ

すこやかに育て上げるとした人格に触れずに来た「哀れ」をそこに見るばかりだろう
「椅子取りゲーム」×「敗者復活不能」の社会を見ての変容とした人格を刻んだ姿なのだろう

心サンドバック漬けの言葉しか知らないというのも

「甚だ実にきめえ(遺憾である)」




> うた詠み終わります、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:21 | Comment(0) | 哲学/一般 | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

【弥勒論】まえがき‥弥勒論とは‥

向宜弁論.2017/07/24...20170723...

 ‥日月神示に出てくるのが「ミロクの世」なるお言葉です

 (666を英語で俗読みするとトリプルシックス)
 (トリプルシックスを日本語訳すると「みろく」‥怪しいぜ)
 (ということで漢字でGOになっとります)
 
 そもそも‥どんな意味があるかは、謎めいてますが
 今更ながらにも、問うべきインパクの提示としては適当に思い附してみました


 「弥勒論」とは、つまり、お金という道具のルール改正案です


 難しく思われてきたお金の形を整理して、一から暮らしやすい形を提案します
 ‥ザックリ言いますと


> これは、誰しもにはお金を創造できる権利があるとして
> 公平かつ合理的に、まず手元にお金を手にできる形から始める仕組みです


 そういう風に法律に明文化するわけでーす
 それを、万民幣権【ばんみんへいけん】と申しまーす

 (これが無いと基本的人権はすべからく骨抜きでーす)


> 又、如何にして、公平かつ合理的にお金が消えるかという点も併せて考慮します
> この考慮を、金慮【きんりょ】と申しまーす


 ‥手始めの思考として
 従来的に企業口座とされてきた概念を、予算座売上座に分けます

 すると、年度締め切りの度に

 {売上座}−{予算座}={年度利益} ‥とした計算が成り立ちます

 予算座への入金は、年度予算として
 四半期毎に分けて、行政申請することで、誰でも手にできます(要事業登録)
 ‥この手続きを予算穂認【よさんすいにん】と申しまーす


 結果、(相殺され)企業の黒字分だけが有効期限から解放されたお金に成るのです


 (年度の中途で売上座からお金を引き抜くとルール違反です‥基本的に無効)
 (そもそも四半期毎に申請すれば予算付くので、無理に手元資金を追う必要がございません)

 ‥また、企業間取引だけですと、ただの椅子取りゲームにしか成らないので
 外的に別枠でお金を流し込まないと、経済的に上向きません
 ということで、まずは、ベーシックインカムが思い浮かぶかと思います

 (このベーシックインカム類も合わせて一年毎の有効期限付きというのが辻褄です)


 ‥汗して手にする黒字分だけが、実的に増えだすということです
 ‥見かけ上、人口が増えれば、経済のパイが増えて見えますが、実はそうでは無いと
 ‥斯様に説明すれば、バラマキもバラマキに見えないという事です


> 基本はこれだけです(2〜3ほど課題が残ってますけど‥後ほど)


 ‥基本がたったこれだけなのに、まぁ色々と細かくなるのが
 お金ゆえの細々とした辻褄と利便と公平と治安でして、それの一つ一つを金慮していくわけです

 基本的な形は概ね示せますが、実際の効果や運用の段階に於いて
 民族的に馴染まなかったりすると、数値の調整やら、カスタマイズしないと成り行かない訳です
 ‥そこは、理論では無く、話し合いという事です

 資本経済学のなにがインチキかというと
 そこの話し合いの用を数式化できもしないのに
 皆で数式の世界だけで説明付くモノだと‥思い込んでしまっている点です

 (知的生命体の大前提こそ話し合いということです)
 (ロボットAIにも応用できる概念です)

 大筋のルール提示までは一人のアイデア枠として認められはしても
 具体的な係数なり、数値を法律に盛り込む作業は
 話し合いというのが、須く人の世の習わしと言うことです



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 12:14 | Comment(0) | 弥勒論 | 更新情報をチェックする