2017年07月27日

【弥勒論】03 資本競争がもたらした心理(第一章01-07)

向宜弁論.2017/07/27

 今やどうしようもない格差の絶対資本体制にまでにたどり着いた現代経済が
 人類に突きつけている因果は、存続の希望を閉ざすほどに影響甚大だ

 どんなに馬鹿でも、地球環境について寝ぼけたままでは居られなくなっている

 なまくらの刀をさぞや名刀と偽った程度の科学力で
 (多くの者らが)科学万能に自惚れたのである。名刀のレベルにさえ辿り着けないくせに
 核を破裂させる程度の大ざっぱで、コントロールも覚束ないのに神の如しと大げさだった


> 経済に相対し、まみえたのは‥所詮、「誠実」と「自惚れ」だった


 (誠実は改善を促し、自惚れは停滞を引き起こす)

 それにしたって、儲けることしか頭に無くなれば、それら改善にしても血で黒ずむのだ
 それが須く21世紀の絶対資本体制に至るまでの連綿とした経済事情だった

 それでも、私たちは、そんな血まみれた手を握り合いつつ、一つのことを学んだ
 それは、まずは公平であること、次に自然を尊重し穢さないこと、自由はその次ぐらいで丁度良いと


 しかし、それにしたって

 再起もままならぬ資本社会ゆえに、絶対資本体制の上位に立つと
 途端に取り憑かれて、公平への改善など上の空なのだ‥

 お金の歴史(戦争の歴史・改ざんの歴史)が如何に真っ黒だったかについて
 エリート的に受け入れることが出来ないとばかりに
 先祖の努力に泥を塗りたくないとばかりに
 自分の出自を善良だと正当化しておきたいがばかりに

 ちっとも、お金の白黒よりも、自分たちの白黒をあんずるばかりでどうしようもない

 なにしろ競争に染まったままだ、自分たちを真っ黒と言い始めたら
 取って代わられるばかりだと思い込んでいる‥

 ‥競争ゆえの思考ゆえ‥
 貪ってきた己の姿に大衆の目が恐ろしいとばかりだ



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:45 | Comment(0) | 弥勒論 | 更新情報をチェックする

【弥勒論】02 お金のルールを決めるのは今や人間同士の思惑(第一章01-07)

向宜弁論.2017/07/27

 もはや、お金の歴史を、先駆的高度文明の存在を抜きに語ることはできない
 その者らが、人類にお金と戦争を吹き込んだのだ(何の為に?)


> ところで、その者らはどこからやって来たのだろうか?


 文明を地球に限定しては、この謎を推し量ることは出来ない
 しかし、その又源流を考えれば考えるほどに、神を思い浮かべるばかりだろう
 そうだ、宇宙には始めから高度な連中がなぜか居たのだ(そう考えざるを得まい)
 その者らの間で仲違いが発生し、人間を介した競争になっていた‥


 ‥不思議なもので、この世に宗教というのがある辻褄にもなろうか‥


 その神々でさえその程度ということなんだから、人間が頑張って知恵を絞っても高が知れている

 経済だからと、数学的な手法が駆使されているなんてまやかしだ
 何のことはない、最後に決めるのは、各々の都合である
 好いようにデータを解釈し、時には尾ひれを付けて改ざんするのだ

 経済とはまさに、嘘を見抜けるかどうかの化かし合いにあるのだ

 黙ったままでは、鉄砲玉としてこき使われるばかりである
 そんな偽りと格差に覆い尽くされた経済ルールに終止符を打つのは善良の神などではない
 今や人間同士の知恵と取り決めだ



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:30 | Comment(0) | 弥勒論 | 更新情報をチェックする

【弥勒論】01 資本主義の偽りと原点(第一章01-07)

向宜弁論.2017/07/27

 ‥もう一度言いますよ
 お金の問題には、すべからく話し合い(お互いの思惑)が絡んで来たのです
 お互いに出し抜く為にも、だんまりにも非公開情報が絡んで来たのです
 その秘せられた内容を知る者に有利だったのが資本の格差でもあったのです

 その原点こそが、出し抜く為の取り決めだったんですから
 ぶっちゃけ、産業革命を境に、誰が支配権を手にできるのかとした追い込みが始まったのです


|お金という道具があるのではない、取り交わされた誓約があったのだ


 ‥人類史上、最も不思議なのは
 気がつけば、お金が発明されて、お金の貸し借りが正義として崇められてきたことだ
 ヒトは其を拝金主義と揶揄するが、まさに、カネこそがすべてとして取り憑かれるのだ

 ‥神は信用ならずとも、カネなら信用できると‥

 その神にしても、私たちは、お金の起原同様に忘れ去っている
 すべてが真っ新のまま手さぐりだ
 それゆえ、潜在的にはこう理解しているはずだ

 ‥お金という道具を発明したのも、また神である‥

 しかし、その前提には、鋳造技術という高度な文明が必要である
 神が発明したのはお金だけだったろうか?
 否、それだけの鋳造技術を以てすれば、鉄器の創出も難しくなかっただろう
 ならば、目に見える価値を生み出すのだ、それを守る術も合わせて考えもしただろう


> 労働の対価としてのカネは、いつの間にか、奪ったあとの分け前に変わった


 蓋を開けてみれば、それが人類の程度だった
 金や銀の希少性が、その意味を誰にもわかりやすい形で正当化していた
 それはまた、防衛の正当化を余儀なくした

 お金の歴史は、戦争ビジネスの歴史でもあるのだ

 一方で、金や銀を運ぶのは手間だった
 そこで発明されたのが、為替だった
 (契約書の受け渡しとサインがお金の役割を担うのだ)

 実のお金(金銀&商品)がどこにあろうと、動かさずとも取引が為されるのである
 その為替(契約書)のなれの果てが、今や紙幣であり株式であり国債にある


> さて、本当のお金はどこにあるだろうか?


 私たちが思い込んでいる日常となった通貨とは、それこそ只の紙切れ(不換紙幣)である

 「紙は信用ならずとも金(きん)なら信用できると‥」(兌換取引)

 元々、コインの鋳造は王様や大司教の権限だった
 それが伏せられて今も連綿と続いているという
 伏せられていると言うだけあって、代理人には高給が支払われている

 否、正確には、発行したあとのお金の使い道の権限だ

 その代理人が、真っ先に投資すべき先が防衛(恐喝)であり
 その次が、同盟国を傘下に縛り付けておく為の根回しにあるのは、問うまでもない

 ‥主と代理人が、如何に善人だろうと、仕組みはどうしたって真っ黒なのだ
 それはそのままに、人類の程度だった



> 修弁させていただきました、ありがとうございました。
posted by 木田舎滝ゆる里 at 21:19 | Comment(0) | 弥勒論 | 更新情報をチェックする

【勝手句帳】131 29-7-22 静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2017/07/27

|うす紅のふくよかに咲く八重桜散るをいそがず夕光に映ゆ  静岡市・SBS学苑パルシェ教室短歌会

|うす紅と夕光に映ゆ八重桜 散るを急がずまるく添いけり


*夕光(ゆうこう)

> 桜と言ったらソメイヨシノで、八重桜が好いという割合は下がるだろう
> でも私は、八重桜の散り急がずに丸まると寄り添ってある趣が大好きだ
> しかもそれら濃いめのピンクが、春の夕日に照らされて
> うす紅へと変わる様が、なんともそろい微笑んだようで、それがまたたまらないのだよ




|現実に飽きて変えたき法なりや七十年の平和にも馴れ            静岡市・駿府短歌会
|戦争の「放棄」仰ぎて七十年徐々に九条不都合のこゑ            静岡市・駿府短歌会

|七十年 放棄御輿の色直し「独り善がりはダメ」担ぎ出し


> 思えば(今年は)日本国憲法施行からちょうど七十年である
> これまでの目玉と云えば戦争放棄の「放棄御輿」だったわけだが
> ここに来て、世界情勢に都合が宜しくないとして、お色直ししようって気運らしいけど
> 「戦争反対」をだな、例え独りになっても貫き通さずしてどうするんだって話さ
> 「戦争放棄」のお題目なら尚更さね
> ‥「独り善がりはダメ」とか、ほんとお門違いも甚だしい‥
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 13:41 | Comment(0) | 名句にポン/2017後半 | 更新情報をチェックする