2017年11月24日

【勝手句帳】167 29-11-17/11-18/11-21 其の2静岡新聞掲載分から

↓4)向宜詠吟.2017/11/24

|流れ星ひとつ胸のポケット       掛川市・鴟尾の会(11-17)

|流れ星まずは自分に願い事 二つ流れて平和の祈り


> ‥流れ星に願を掛けるなんて、いつ頃から始まったのか知らんけどね
> 一つ目の願いなんてたいてい勝手気ままだよ
> 「自由」が一番って事なんだろうけどね
> 皆で一つ目の願いを聞いて貰ったら、二つ目は叶える方の願いを聞くのがマナーって事だよ
> ‥皆のお願いを聞いてあげるような太っ腹の神様らの本音と言ったらね
> 「皆でなかよくネ♪」って事なんだと思うよ、つまり世界平和さ


 ‥そこが分からないようでは、一つ目だって叶うものではない‥

 ‥まずは与えて、次に「感謝」が戻ってくるのが理想だが
 「うらみ」や「搾取炎上」が撥ね返ってきてても、お金だと同じにしか見えていないから
 食べちゃえば同じとかの論では、とてもとても世界平和には至らない

 でも、中には、鈍感にも無反応というのも有る
 その場合は待つより他は無い

 自分が感謝に鈍感なタイプとの自覚があれば、叶う順番も後まわしって事だよ
 自分でそのつもりでも、感謝度の世間水準なんて誰も知らないからね
 (自惚れているようでも、自己嫌悪でも、自信喪失でも怪しいって事になるよね)


 ‥まぁ、ツッコんだことを言えば‥


 生きている事への謝意が大きいと、一つ目の願いで平和を祈るものなんだけどね
 そして、「願い事なんかとくに無い」と言うのが、平和のベストな状態とも言えそうだが‥
 それはそれで願い事を叶えてあげたい症候群ってのが、神様らの側に有るわけで
 ‥実は迷惑にも、願い事が空っぽにならないように毒も盛られてるって事なんだ

 だから

 「願い事なんか無い」という状態をそれ程に悲観する必要は無いのだよ(むしろ正常)




|秋晴れの曼珠沙華のいろ燃えつづくくれない交じる路傍の風も     裾野市・石蕗歌会(11-18)

|曼珠沙華 路傍の風の仏かな 冬同行と佇ち残り


 *同行(どうぎょう)‥いっしょに神仏に参詣(さんけい)する人々。いっしょに修行する人。
 *佇つ(たつ)

> ‥曼珠沙華ってほんと不思議な花だよ
> 路傍の片隅に一夜にして登場しちゃうとこなんかマジシャンだし
> 見た目は、ど派手で、花形スターよろしくの貫禄だし
> それでいて、さっぱりと頭を丸めて出家した姿で冬を佇むんだ
> ‥これを宗教家に例えるとこうなる‥
> 若い内の体力で奇蹟を見せて、信者を集めたものの
> 「あんなのは若い内です、本質は祈りです」なんて言ってる感じ
> で、寂れた世の中が春になる頃には楽しむこともなく、使命完了で去って行く


 (‥デキすぎの余計な世話好きの厚かましさを思わざるを得ないのは痛々しいけどね)
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 23:42 | Comment(0) | 名句にポン/2017後半 | 更新情報をチェックする