↓5)向宜詠吟.2017/12/14
|青春は戦闘帽で挙手の礼 牧之原市・細波川柳会(12-8)
|青春は戦闘帽で挙手の礼 死ニ方用意のその間ほど
*挙手の礼(きょしゅのれい)、間(ま)
> ‥戦前生まれの空気には、兵役が骨にある
> 「青春」×「戦闘帽」×「挙手の敬礼」
> 太平洋戦争映像を引っ張り出すと、途端にそれの世界が現れる
> (あれが日本男児の本懐にすら描かれている)
‥どうしてあの時代の人達は‥
あんなにも礼儀正しく「死に方用意」にも挙手の礼と共に死ねたのだろうか??
> 主に兵役絡みで集まったというだけの事に‥それほどに真剣に仲間を思えるのなら
> 今の時代のちゃらんぽらんの自由選択ゆえの競争には、なんのメリットも無い
> むしろ現代社会の方が「不幸の追求」の最中を彷徨っているようにだって見えてしまう‥
‥まぁ、どっちにしたって‥
> やらかしていることは、戦争行為、略奪行為、俺たちこそが正義の風情だからな
> 時代に作法の違いが在るだけで、勝ち取るとした中身にさほどの差は見られない
(手足をもぎ合うばかりで、手を取り合っちゃいない空気も同じさね)
|一代記胸に画くだけ書にならず 袋井市・どまん中川柳(12-9)
|一代記健気な人生書にならず やはり波乱の家臣かな
> ‥一代記を書いてみたいという願望が有るだけで、書に至るには及ばない
> どうにも平凡だし、自分にできる非凡な一代記といったら
> ‥そりゃ‥
> 恥ずかしくない大きさの組織について
> それの波乱に巻き込まれて、頑張って、生き抜いて
> その波乱の時のしかとした家臣だったって所に、胸を張るぐらいが精々に思えるばかりだよ
‥「信長の野望」からして
当時のご先祖様らが、ずらり登場するだけでも「誇り」を抱けるからな
‥でも、それにしたって
戦国の世が、天下に戦無き平和を目指していたからに他ならない
生涯に終える見通しすら立てることが無かった身勝手だけの応仁の乱と比べてみれば
雲泥の差を思わざるを得ないわけで
今の時代にしたら、どうにも応仁の乱と同類だし、自慢できることなんかどこにも無い
‥まぁ「波乱」といっても
個人の大成目指してというよりは、平和への貢献ということだと思うけど
その波乱の起きるにしたって、市場好き勝手挑戦原理だからな
千人万色の時代ともなると
自由にしたって無秩序的飽和だよ
「自由からして必要悪」の扱いで論じることはいくらでも可能さ
つまり
波乱の形も様々に捉えることができるだろうよ
(ドラマチックにあるかどうかを問わなければ、波乱も又解釈しだいさ)
(肯定も見方しだいでもあるわけだ‥それこそが千人万色の視界にあろうよ)
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