2017年12月22日

【盲点】未だ天気予報に折り込まれていない見落とし

記稿.2017/12/22

> いつか書こうかと思っていたら、本日(冬至)になりました


 ‥地球は楕円軌道で太陽を廻っている
 ということは、年に何度か同じ距離を得るパターンがいくつも生ずる

 ‥例えば、正月のような陽気
 正月との距離に等しいと、小春日和になりやすいとか‥
 (まぁ、経験的にそんな日和は年に何回も有るわけでは無いが気になる)


 ‥同じ距離でも
 近づいてくる時と、遠ざかる時とでは気温の上がり方がどうとか
 地球と太陽との距離を、AIを用いて
 天候比較算出すれば、それなりの相関関係が得られると思う


 ‥さらに軌道と言っても
 螺旋のずれが生ずるので、必ずしも同じ角度からの光量を浴びるわけではない
 さらに言えば、太陽の活動状態がどうかも天候にかかわる重大な要素だが
 未だそのような視界からの解説を聞くに及ばない程度のままだ
 (太陽フレアで電子機器がどうとかぐらいだよ)


> 果たして、地球の側に好みの距離感やら光量はあるだろうか?
> それは、私たちの暮らしに如何にして絡んでいるだろうか?
posted by 木田舎滝ゆる里 at 15:50 | Comment(0) | 日記/2017 | 更新情報をチェックする

【勝手句帳】178 29-12-14/12-15/12-16/12-19 其の2静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2017/12/22

|燕去りまた独りなり過疎の村        静岡市・デイサービス小平野俳句会(12-15)

|燕去りまた独りなりの村 艦と艦長の如くかな


 *終(つい)

> ‥制空権を失い、沈みゆく艦と命運を共にした艦長たち
> 今や沈みゆく里と命運を共にする市民(高齢者)と言うことだが
> ‥どうしてそうなったかの過程は異なるも‥
> これが、実によく似ている

  なにゆえにそこまでして生き方にこだわるのか?

> ‥そこが古里だから‥死に所と決めていたから
> その論理を集団に強いれば、被災後の暮らしぶりは、むごいことになる

> ‥理由は何であれ、人間であろうとする条件に
> 古里も、死に所も当てはまってはいないのだ
> 生きている同士で手を組まざるを得ないだけである


 ‥それがどうして競争下克上に偏向しちまってるわけ?


> そりゃ、慣れ親しんだところで生涯終えられりゃ気が楽だわいな
> ということで、競争下克上に慣れ親しんでの歪みも又あるのに
> ズボラにもずっとそのままと言うだけのことだろう


 「競争下克上のままに死するべきと」

> 一方は、それら歪みに対して、責任を取ろうとしない
> 一方は、沈みゆくままに消えようと腹を決めている
> どちらの方が集団性としてポイントを心得ているかは問うまでもない


> ‥多数決が正しいとは言い切れない要素でもある
> それを「自由だから」という一言で、見なかったことにしたいのでは
> 同じ顛末が繰り返されるばかりだろうよ
> (そこには、平和を望んできたなんて志は、微塵たりとも無かったって事だから)




|また一軒空き家となりて冬に入る      浜松市・雄踏俳句会(12-15)

|また一軒空き家となりて冬に入る 限界村に火の鳥降りず


> ‥里が限界になるまで居残りを決める
> 決めていたとはしても、不死鳥の舞降りを期待していないわけでは無い

> ‥頑張っているとしても
> ひとりでも生きるというそれだけで手一杯でやれやれだ

> 資金に余裕があっても、なぜか集まらないところには集まらない
> ヒトにしても、渡り鳥の所があると言うことで、それを薄情とか言いたいわけでも無い
> ‥ただ残念なままという事だよ
> ‥残念だろうと耐えているという事だよ
> ‥耐えられるだけの喜びが、かつてそこにあったって事だよ
> ‥でも、それ以上では無かった
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 11:22 | Comment(0) | 名句にポン/2017後半 | 更新情報をチェックする