↓2)記稿.2018/06/24
> 私たちの御奉行様が、私たちの申し立てを聞き届けないのはおかしい(民主主義:下から目線)
> 我々の代官が、我々の指図に従わないわけがない(資本主義:上から目線)
‥よって、公僕なる立場は
私慮を排して、需要に沿った立ち振る舞いをするものにあるとの思い込みが先行する
これは、そこにあるべき、政を司る上での人格権を軽視した状況だ‥
もとい「私意による判断権限」への猜疑である
> 私意による判断権限に罪など無い(絶対王政体制)
‥という歴史の横暴の果てに
現代のような‥他の人権を害する行為と結果に対して、罪を問う制度が成り立っている
如何なる立場の者であれ、これの公平に据え置かれる
‥ところがどうだろう‥
公僕でさえ、選択の自由から、既得権益側に従うも自由、庶民の正義に添うのも自由だ
‥人権のそもそもは
お互いの不和からなる争いを諫めて、公平にあるべき姿(基準)への理解である
決して、自由を暴力のように振る舞う方向には無い
其を自由ゆえに軽視しだせば、絶対王政への批判と同じ轍を踏む次第になる
しかし
既得権益側は、制度が変わろうと相変わらずに資本で以て暴力を振るうハラスメント体制のままだ
さらに、自分らの代官を据えおいてやらかすのだから、自分らが裁かれる立場にも無い
まったく以て、相も変わらず既得権益側に有利な仕組みになっている
‥述べるまでも無く、公僕正義など何の力も無い‥
強いてあげるなら、教育上の詐欺行為‥偽装教育が指摘されるのみである
(この意味において、現行政治制度の詐欺性を問えるのみだ)
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