2018年08月24日

【勝手句帳】244 30-8-10,11,14 其の4静岡新聞掲載分から

↓5)向宜詠吟.2018/08/24

|蝸牛あじさいの葉を上りつめ梅雨ぞらの風首ふり探がす        三島市・銀杏樹の会(8-11)

|カタツムリあのスピードで茎登坂 あのスピードで何度も登坂‥orz


 *茎(くき)、登坂(とはん)

> ‥蝸牛が紫陽花の葉に居たりするのは、湧いて出たからでは無い
> その茎を這って登ってきたからだ(あのスピードでである)

  ヒトに例えたら、マンションの壁をボルダリングで登る感じだろうか‥

> それを何度も何度も繰り返すのだ
> 思うに、登坂好きなんだなぁと今更ながらに気が付いたよ

  ‥のろまな癖に登坂好きとは、得手不得手の概念が覆った思いだなぁ‥




|学校田泥に成りきり田植済む        掛川市・句会あさかぜ(8-10)

|やり出せば泥になりきる田植かな 挑む広がり死ぬ気の太か


> ‥泥の田んぼに足を踏み入れ、いざ田植である
> 初めての視界にふと思った
> 昔の田はそれこそ地域一体に広がっていた(しかも手作業だ)
> そりゃ、自分ところの受け持ちはその一部に過ぎないわけだが
> ちょっとした豪農なら見渡す限りなんて次第もあっただろう

> ‥勿論雇ったりしただろうけど
> 雇われる側とてそのただ広さを前に、すべこべ抜かすより死ぬ気で挑まなぁならなかった
> 地主一族自ら田んぼに繰り出そうとも同じことだ

  その手作業を、春と秋で繰り返してきたのだ(田植と稲刈り)

> ‥それはもう、死ぬ気の覚悟だったに違いない
> そんなだから
> 出征ぐらいなどと、ちょっと出掛けてくる気持ちのところも有ったかも知れない
> 皆で協力が前提ということで甘っちょろい鬨(かちどき)気分を漂わせていたかも知れない
> そのぐらいの「死ぬ気の覚悟慣れ」に麻痺感もあったのだろう

  ‥それ程の苦労を
  土地さえ有れば、俺も欲しい、もっともっとの勢いだった(厭わなかった)

  (ガキの頃からその風景の中に立つというだけで、板に付いちまうんだろうなぁ)

> ‥現代はどうだ?
> 田植機&稲刈り機を引っさげたって、好き嫌いを言い始める始末だ


  現代人の口にする「覚悟」の薄っぺらさに思わず気が付いちまったさ
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posted by 木田舎滝ゆる里 at 22:22 | Comment(0) | 名句にポン/2018後半 | 更新情報をチェックする